2012年11月18日日曜日

希望の若い指揮者

最近ブロムシュテットとゲルギエフを二日連続で聴いて、それはそれなりに良かったのですけれど、若手の指揮者でずば抜けた人っていないかなあと思っていたら、たまたまオランダの放送局のアーカイブで見つけたのが、カナダのモントリオール出身のヤニック・ネゼ=セガン(Yannick Nezet=Seguin)指揮のロッテルダム・フィルの公演。 

曲目が渋くて、ブラームスの二重協奏曲にバッハの「音楽の捧げもの」から、そして後半はブラームスの交響曲第一番。 

ネゼ=セガンはまだ30代半ばの若手ですが、イケメンというよりちょっと可愛い感じ(笑)がして好感が持てるだけでなく、けっこう大胆な音楽作りをする人のようで気に入りました。昨年ザルツブルクで「ドン・ジョヴァンニ」を振ったのもこの人。 

ブラームス二曲を聴いてみると、ドイツの伝統音楽云々というよりも、彼なりに好きなように演奏していて、テンポやディナミークもかなり激しく動くのに変な不快感がありません。ティーレマンなどが好きな人にはあわないでしょう。 

要するに私のセンスにマッチする指揮者ということなんでしょう。 

ちょうどドイツ滞在中に彼の指揮する「ドン・ジョヴァンニ」(演奏会形式で一部ライブ)が発売されたので買って帰りました。 

ダルカンジェロのドン・ジョヴァンンニ、ピザローニのレポレッロと両方ともバス歌手ですが声と表現がかなり違います。ダルカンジェロの声はジョヴァンニにはちょっと重く太すぎる気がしますが、ピザローニのレポレッロはひと昔前のフェルッチョ・フルラネット以来の最高のレポレッロという気がします。 

しばらくネゼ・セガンのブラームスとモーツアルトを楽しみたいと思います。 

2月2日にネゼ=セガン指揮のロッテルダムフィルの西宮公演があるのですが、院試やら学年末試験と重なるので行けるかどうか不明です。ブラームスの4番をやるので楽しめそうなんですけれど。 

しかし、日本にいると音楽会にはなかなか行けません。平日の夜のコンサートは授業の準備や家事(夕食を夫と母に食べさせる!)があって行けませんし、土日だと昼のコンサートから帰って大急ぎで食事の支度をするのが大変。たまに手をぬいてレトルトのスパゲッティーなんかを夫に作ってもらいますが。(笑) 

やはり音楽会は外国のホテルで昼間ゆっくりして、夕方にちょっとおめかしして出かけ、夕食はコンサートホールのビュフェで軽食をとって、終演後はまっすぐホテルに戻って寝るのが一番です。:-) 

日本にいると音楽会に行く精神的余裕がないんですよねぇ。 

あれ?若い指揮者の話から大変脱線しましたね。それにしても、ネゼ=セガンは気に入ったなぁ。 

http://concerthuis.radio4.nl/concert/1831/Zondagmiddagconcert_Rotterdams_Philharmonisch_Orkest_o.l.v._Yannick_NezetSeguin外部リンク  

(あと25日間だけ公開だそうです。)





2012年10月29日月曜日

ポリーニは今?

マウリツィオ・ポリーニが現在来日中です。健康上の理由により大阪と名古屋の公演がキャンセルされたため、公演は東京のみ。私も大学祭に伴う連休に聴きに行きたいと思っているのですが、ちょっと不安を感じるところがあります。

最近音楽関係のブログや評論家の講評で「ポリーニは衰えた」、「ポリーニは堕落した」などというあまり気持ち良くない記事が散見されるようになりました。

事実ポリーニは春に大病を患い、再起が危ぶまれた状態であったと聞きます。

昨年ザルツブルク音楽祭で聴いたポリーニは若干のミスがあったものの、大変粒だちの良い音で、ぐんぐん前進する彼らしい音楽を聞かせてくれました。「ワルトシュタイン」と「熱情」を中心にふたつの小さい(2楽章だけの)ソナタを弾き、「ワルトシュタイン」では第二楽章のダブルグリッサントの個所がうまくきまらなかったものの、「熱情」は凄く激しい演奏でした。小さなソナタもその器からはみだしそうなぐらい大きく聞こえました。

ところが、今年もザルツブルクで彼のコンサートに行ったのですが、それが「おや?」と思うようなできばえでした。作品はベートーヴェンの後期ソナタ3曲。

Op. 109(ホ長調)が始まった時、音が小さい上に分散和音が一部浮く(深く打鍵されていない時におきる現象)ような気がしてやや不安になりました。二楽章は彼らしい鋭い音も聴かれ、三楽章も無難に終了。でも、何だか音が彼の音ではありませんでした。

Op.110(変イ長調)は「悲歌」からフーガに移るところなどちょっと迫力不足。あと最後の詰めのところにフォルティッシモで大きなミスタッチがありました。ソナタ32番(Op.111, ハ短調)はいきなり一楽章の最初の飛躍に失敗!いくつか不安な個所があり、正直言ってどっぷりとポリーニの世界に遊ばせてもらうことができませんでした。しかし、長い長いトリラーをきれいに弾きながら音楽を作って行くところあたりは彼らしい出来でした。

座席は去年一番前でうるさすぎたぐらいでしたが、今年は12列目で本来なら理想的な音が聴けるはずだったのですが、音が浮いてしまったり、音の輪郭が不鮮明だったり、「座席が悪いのかな。」と思いました。ところが偶然その3日後にクリスティアン・ジメルマンがまたしても(!)公演をキャンセルしたため、ピンチヒッターとしてレイフ・オヴェ・アンスネスがリサイタルを開きました。Twitterでその情報を得るや速攻でチケットを予約し、聴きに行ったのですが、ポリーニの時とほとんどかわらない位置に席を取ったにもかかわらず、アンスネスの音は冴えて、力強くも繊細であり、非常に素晴らしい演奏でした。

とすると、やはりポリーニは不調だったのでしょうね。

ただ、救いになったのはアンコールに弾かれたベートーヴェンの二曲のバガテル。
Op. 126-3(変ホ長調)は柔らかく美しい音で落ち着いた演奏を聴かせてくれました。この人にこれほど柔和な表情があったとは!しかし、この曲を聴くと次の第4番(ロ短調、スケルツオ風の諧謔味のある曲)がどうしても聴きたい!「もう一丁!」と叫びたくなった時、ちゃんと第4番を弾いてくれました!これは嬉しかったです。

ギクシャクした変てこりんなところがこの曲の面白さ。その味わいを満喫することができて、「ブラーヴォ!」と思わず叫んでしまいました。

ポリーニの新しいCD(ショパンの24の前奏曲など)とブラームスの第一番の協奏曲(協演、ティーレマン、シュターツカペレ・ドレスデン)ではひどい不調を感じませんが、やはり前奏曲で「ほぉ?」と思うところがあったり、かつてほどの鋭さは感じられないように思いました。ただ、夜想曲は二曲とも(Op.27, 1,2、嬰ハ短調と変二長調)とても満足できました。ブラームスのほうは、ティーレマンがちょっと控えめ(あの格好つけたがり屋さんにしては:-))でしたが、ポリーニは健闘していると思います。

このCDでは終演後の拍手がカットされていますが、オランダの放送局radio4.nl のアーカイブで聴いた同じ演奏の録音では5分以上割れるような拍手喝采が入っていました。もう轟音って感じでした。なお、radio4.nlのアーカイブではこの曲はもう消去されています。(期間限定なのです。)

11月1日の公演、今のポリーニには期待できるような、しないほうが良いような微妙な状態ですが、クセナキスの作品2曲とベートーヴェンの小さなソナタ4曲(Op. 78, 79, 90、それぞれ嬰ヘ長調、ト長調、ホ短調)と「告別」(Op. 80a)という地味なプログラムを楽しめれば、と思います。「告別」の終楽章で思いっきりはじけて欲しいです。そして小さいソナタでも彼らしい「良い」音を聴かせてほしいです。




2012年10月15日月曜日


オランダの放送局

http://www.radio4.nl/

のアーカイブを掘り起こしていたら、私がこの8-9月のヨーロッパ滞在中に「聴きたい!」と思ったものの、日程上行けなかったコンサートの実況録音がありました。

2012年9月21日、アムステルダム・コンセルトヘボウで行われたコンサートで、マリス・ヤンソンス指揮、アムステルダム・ロイヤル・コンセルトヘボウオーケストラ、同放送合唱団によるブラームスの「ドイツ鎮魂曲」(Ein deutsches Requiem)。独唱はソプラノ、ゲニア・キューマイヤー、バリトン、ジェラルド・フィンリー。

ジェラルド・フィンリーは去年ザルツブルクで「ドン・ジョヴァンニ」を聴いてぞっこん惚れ込んだカナダ出身のバス・バリトン歌手。マリス・ヤンソンスは特別な理由はないものの何となく好きな指揮者。それに私はアムステルダム・コンセルトヘボウオーケストラの響きがとても好きです。

ところで、この放送局、ニュースレターだけはオランダ語と英語のバージョンがあるのですが、ホームページはすべてオランダ語。

アーカイブはなかなかの宝の山で、歴史的名演から最近のコンサートまでずらりと並んでいます。ただ、いずれも期間限定なので今日あった録音(録画も少々)が、3か月後にあるとは限りません。

ジャンル、時代、作曲家、演奏者によって検索することができます。

さきほどのマリス・ヤンソンスの「ドイツ鎮魂曲」、

http://concerthuis.radio4.nl/dirigent/96/Mariss_Jansons

のページから録音を聴けます。(現時点であと86日間聴けるそうです。)

解説は私のオランダ語力ではわかるようなわからないような文章なので、辞書をひいて調べていたのですが、ふと自動翻訳を使うことを思い出し、まず「蘭→独」をやってみました。

この部分です。

(原文)
Zwak hart

Jansons sterft bijna wanneer hij in april 1996 de opera La Bohème van Giacomo Puccini dirigeert. Hij herstelt in Zwitserland van zijn hartaanval. Het toeval wil dat zijn vader in 1984 sterft tijdens het dirigeren van het Hallé Orchestra. Voor zijn artistieke werk krijgt Jansons vele internationale onderscheidingen. Hij leidt op 1 januari 2006 het Neujahrskonzert der Wiener Philharmoniker, een belangrijke erkenning. Dit concert leidt hij in 2012 voor de 2e keer.

(ドイツ語訳)

Schwaches Herz

Jansons fast gestorben, als er im April 1996 war, führt die Oper La Bohème von Giacomo Puccini. Er erholt sich von seinem Herzinfarkt in der Schweiz. Zufälligerweise starb sein Vater im Jahr 1984 während der Durchführung der Hallé Orchestra. Für seine künstlerische Arbeit erhält Jansons viele internationale Auszeichnungen. Er führt zum 1. Januar 2006 Neujahrskonzert der Wiener Philharmoniker, eine wichtige Anerkennung. Dieses Konzert führt er im Jahr 2012 für die zweite Zeit.

一行目がちょっと変ですが、ヤンソンスは1996年4月に「ラ・ボエーム」を指揮している時に心臓発作で死にかけたことはちゃんとわかりました。スイスで療養したこと、父親も1984年にハレ交響楽団を指揮中に心臓発作で亡くなったこと、これもしっかりわかります。そして、ヤンソンスがその芸術活動に対し多くの国際的な賞を授与されたということもOK.

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートに2006年はじめて登場し、2012年に再登場する(実際には「した」)こともちょっとだけ変な個所がありますが読めました。

ということで、ドイツ語訳は85点ぐらい。

では、英語訳です。

weak heart

Jansons nearly died when he was in April 1996, the opera La Bohème by Giacomo Puccini conducts. He recovers from his heart attack in Switzerland. Coincidentally, his father died in 1984 while conducting the Hallé Orchestra. For his artistic work gets Jansons many international awards. He leads by 1 January 2006 Neujahrskonzert der Wiener Philharmoniker, an important recognition.
This concert he leads in 2012 for the 2nd time.

全体に時制がうまくとらえられていませんが、まあ、かなりわかるレベルです。一行目はドイツ語版よりよく訳せています。

これも使い物になりそうなので、75点。

では、日本語版をどうぞ。


心臓の弱い

彼は1996年4月にあったときにヤンソンスはほぼ死亡し、ジャコモ·プッチーニのオペララ·ボエームは実施しています。彼はスイスの彼の心臓発作から回復します。ハレ管弦楽団を行いながら、偶然にも、彼の父は1984年に死亡した。彼の芸術的な仕事のためにヤンソンス多くの国際的な賞を取得します。彼は2006年1月1日Neujahrskonzertデアウィーン·フィルハーモニー管弦楽団、重要な認識でリードしています。このコンサートは彼が2回目のために2012年にリードしています。


これは苦しい!事実を知っている人には最後のところも理解できますが、何の前知識のない人には難しいでしょう。

40点!

接続詞がうまく認識されていないようです。「ほぼ死亡した」人がどうやってオペラを実施することができるのでしょう?

あといくつか翻訳させてみましたが、やはり文のつなぎ目とか語のかかり方、それに前置詞のところでひっかかっています。

欄→独、蘭→英ではその点は比較的問題が少ないのですけれど。

私は学生一人一台コンピュータを備えたCALL教室でインターネットを自由に使う授業をやっています。バーチュアルドイツ旅行とか、病院体験、ホテルさがしに予約など、実際にネットを使ってシミュレーションしています。

それに加えて、毒にも薬にもなるツールとしてオンライン辞書と自動翻訳を紹介し、いかにドイツ語と日本語が遠い言語であるかわかってもらうようにしています。

ドイツ語から英語の訳はだいたい使えるレベル(ただし、きちんと書かれた解説やマニュアルに限ります。)ですが、ドイツ語から日本語はとても使えないということを繰り返して言うのですが、学生さんの作業状況を教師用コンソールで確認(各学生さんがどんな作業をやっているかチェックできます。)してみると、懲りずに自動翻訳で日本語訳させようとしていた人がいたので、最後は笑ってしまいました。

複数の外国語を理解できるようになったら、自動翻訳も使用可能だと思いますが、英語だけできる人にはやや苦しく、英語も理解できなければ、まず自動翻訳は使い物にならないと思います。

だから、学生諸君には英語も頑張ってほしいのです。英語を足がかりにドイツ語を勉強しているわけですし、英語とドイツ語がわかれば北欧の言語やオランダ語もあまり苦労せずに理解することができるのです。

ひとつ書き忘れましたが、私にとって大変助かるのはgoogle.translateなどの音読機能です。文字はわかっても読み方がわからないとなかなか先に行けません。決して自然な読み方ではありませんが、何も音読ツールがないよりはマシです。

ちなみに、マリス・ヤンソンスとコンセルトヘボウ管弦楽団は11月に来日しますので、大阪公演に行くつもりです。


訂正:ヤンソンスと共に11月に来日するのはバイエルン放送響でした。すみません。チラシを机の上に置いていたのに間違えました。

2012年10月7日日曜日

外国語を学習する動機?

さきほど見つけたオランダの放送局のサイト、アーカイブを掘り起こしてみたら、凄い!とんでもない宝の山を掘りあててしまいました。

2時間ぐらいうろうろしていたらブラームスの交響曲第4番だけでも、シャイー、ヘルヴェッヘ、ハイティンクの三種類(まだまだありそう)を見つけ、それぞれ少しずつ聴き比べしました。上記の三人の指揮者、私はそれぞれのスタイルなりに好きですが、まあ解釈の異なることといったら、驚きです。

あと、夏にザルツブルクでもベルリンでも聴くはめになったインゴ・メッツマッハーが案外ふつうの人であることも理解しました。この人、現代ものばかりやっている別世界の人かと思っていたのですが、ベートーヴェンの7番も、なかなか面白いです。(全部聴いてませんが。)

どうやら私は無料で掘りまくれる宝の山を見つけたようで、またしても勉強と雑用、それに家事の時間を喰われてしまいそうです。

http://www.radio4.nl/

ここのアーカイブ、歴史的演奏からつい先日のコンサートまで揃ってます。

ところで、オランダ語でしか書かれていないこのサイト、あっちこっち探っているうちにほとんど解読できてしまいました。

オランダ語ってドイツ語と英語を足して2で割って、それをすこし省略したような言語ですね。ドイツ語ほど語形変化が難しくなく、語彙の6割はドイツ語と英語から想像できます。

オンラインの「蘭→独」の辞典を使ったら大半がわかりました。

やりかけて途中でインセンティブをちょっと失っていたオランダ語の勉強(というより遊び)を再開するには良いチャンスです。

音楽と外国語の両方が結びついた分野は私にとっては一番意欲の持てるところです。

33年前にアムステルダムを訪れた時、オランダ語は音声的にはさっぱりわかりませんでしたが、放送局の番組の案内は内容が音楽であるだけにこれまた理解できてしまって驚異!

いやはや楽しいです。

しかし、そろそろ仕事をしないと・・・遊んでいられないのです。

まだ風邪と歯痛が治らず半病人なんですけれど...

美しいドイツ語に感動!

調べものをしていたらオランダの放送局を見つけました。

そのアーカイブたるや、最高レベルの演奏会のライブ録音が多数入っていてびっくりしました。

ベルリンフィルのように有料ではなく、音声だけ無料で流してくれる放送局はありがたいです。

http://concerthuis.radio4.nl外部リンク

その中にシューベルトの「美しい水車小屋の娘」をクリスティアン・ゲルハーアー(Christian Gerhaher)が歌っている録音がありました。

http://concerthuis.radio4.nl/concert/2320/Van_het_internationale_concertpodium_Bariton_Christian_Gerhaher_en_pianist_Gerold_Huber外部リンク

この人、4-5年前に大阪で「冬の旅」を聴いた時はそれほど感動しなかったのですが(日本到着後最初の公演だったので、時差ボケなどで調子が悪かったのだと思います。)、ハイバリトンの大変美しい声ですね。普段はバス、バスバリトンの歌手を好んで聴く私ですが、高めのバリトンもなかなか素敵だと思いました。

演奏では、途中(たぶん)演奏者自身によると思われる朗読が入っていて、そのドイツ語が実にきれいです。

ドイツ人の歌手だからといって全員がとびきり上等の美しいドイツ語で歌ってくれるわけではないので、この人の演奏はけっこう貴重かもしれません。

(ドイツ語の教材のCDやDVDの録音者は一応標準ドイツ語を話してくれるようですが、声、話し方ともに自然できれいな人は少なく、学生さんに「この人の読み方は不自然だよ。真似しないほうがいいよ。」と言うことがあります。)

う~ん、聴いていて実に’気持ちいいです。朗読も大袈裟でなく、非常に自然かつ表情豊かです。

ドイツ・リートにはオペラとまた違った美しさがあって興味が尽きることがありません。

マティアス・ゲルネが、いつもリートをやっていると苦しくなることがある、時にオペラで大声を出さないとやりきれない、というような意味のことをどこかで言っていたのを思い出しました。

リートだけを追求するのは、確かにしんどいかもしれません。ものすごい集中力を要求されますから。

う~ん、ドイツ語は美しい!この美しいことばを生涯追及したいです!


(・・・)


今「美しい水車小屋の娘」全曲を聴き終えました。暖かく深い感動がこみあげて来ました。いい演奏だった!!
ピアニストも来日時と同じ若手だと思いますが、よく歌に寄り添っていました。

久しぶりにドイツ語に感動したので、駄文を連ねてみました。


2012年9月28日金曜日

ドイツの税関、恐るべし!

先日堀米ゆず子さんのバイオリンがフランクフルト空港の税関でひっかかり、押収されるという事件がありましたが、ガルネリの名器はご本人のもとにもどることになったときき、ほっとしました。

さて、私も今回の旅でドイツの税関をめぐってちょっとしたトラブルにあいました。

一回目は、出発前に自分でオルデンブルクの友人宅に送っていた小包2つのうちひとつが「不達」になってしまいました。

EMSで送ったため、トラッキングしてみたところ、「不達のためオルデンブルクかブレーメンの郵便局に持ち帰り」となっていましたが、これはあり得ない話でした。

友人宅では、郵便配達の人に自宅の鍵を預けており、不在の時は家の中に小包を置いてもらっていました。また近所4軒すべてが友人の旦那さんの兄弟の家で、休暇中などはその家族が荷物を受け取っています。

なのに一箱だけいつまでたっても届かないので不思議に思っていたら、税関から連絡があり、出頭せよとのこと。

次に私が電子辞書を忘れて来たのと、風邪薬が足りなくなりそうになったので、夫にオルデンブルクあてに送ってもらったところ、ふたつとも荷物は届かず、トラッキングしてみるとまたしても「郵便局に持ち帰り」という謎の表示が出ました。

これはもしかして・・・と思い、税関に電話を入れてみたところ、やはりそこで留め置かれていました。

結局4つ送っEMS便のうち3つがまともに届かなかったのです。

以前こんなことはなかったので驚きました。

では、原因を順番に書きます。

1. 最初に自分で送ったもの:なかみは秋冬用の衣類と下着。

これは、日本の郵便局から荷物を発送した後、輸送の途中で伝票の一部が剥げ落ちて、「書類不十分」であったため配達されなかった。

2. 夫に送ってもらった電子辞書:

私が普段使っている電子辞書が少し古くなったので新品をアマゾンで購入して、それを送ってもらいました。購入価格3万円ちょっと。破損をおそれて開梱せず、箱入りの新品をそのまま送り、invoiceに価格を300ユーロと正直に記入。

ところがドイツでは175ユーロ以上の品物には関税がかかるのです。このことを夫も私も了解はしていましたが、箱から出して何度か使い、「中古品、価値なし(No value)」と書いてもおそらく見破られるだろうと思って正直に申告したところ、予想通り課税されたわけです。官吏の目の前で開封させられ、55ユーロほど課税されました。

3. 夫に送ってもらった漢方の風邪薬(麻黄附子細辛湯ーまおうぶしさいしんとう、ツムラのエキス剤)

これもなかみについて"chinese medicine for colds"と記入したので、「一切の薬物をドイツに郵送してはならない」というドイツ側の規定に抵触し、「放棄」するか、「送り返す」かのどちらかを選択せよというので、「送り返す」ほうを選んだのですが、一か月たってもまだ戻って来ません。

というわけで問題なく届いた荷物はひとつだけで、ひとつは書類不備について注意されただけで返され、ひとつは関税を払った上受け取り、ひとつは事実上放棄しました。


そこで思うこと。

正直者はバカか?

電子辞書の価格を170ユーロと偽って書いておけば課税されなかったのでしょうが、私はこの手の虚偽の申請をするのはこわくてできません。

漢方薬を "Supplement" と書いてもらえばよかったかもしれないかどうか?

おそらく、本当にサプリメントなのか税関の官吏の目の前で開封させられ、どうやらサプリではないことが発覚したでしょう。

ドイツの税関を通るなら、本人が通るにしても荷物が通るにしても、書類はきちんと書いておかねばなりませんね。虚偽の申告をした場合、没収、罰金、あるいはそれ以上の措置が待っているかもしれませんから。

帰国時に3つ送った荷物のうちひとつがほかの二つと一緒に届かなかったので、もしかして税関で何かあったのかと思いましたが、無事遅れて届きました。

菓子、実際に着た服、本、日本から持って行った下着などにオードトワレ(薄い香水とでも説明しておきます。香水と違って100mlまで非課税です。)100mlがはいっており、申告する必要のある品はありませんでした。


私は税関をごまかすことができるほど頭が良くないので、正直に関税を払い、輸入禁止物は放棄しただけです。



2012年9月17日月曜日

帰国しました。


帰国しました。

フランクフルトでまた無駄に歩き回りましたが、無事大阪行きLH740便に乗れました。

目下時差ボケと疲れでぼんやりしています。

旅行の成果は音楽の面では十分でしたが、勉強の面ではやっと手がかりがつかめた程度で、これを基礎に更に研究しなければなりません。どうも外国語教育に関して私には強い思い込みがあったように思います。

ベルリンで足を傷め、あまりに痛さに骨折を疑って(何しろ私の左足は2002-2008年の間に3回骨折しているのです)、朝一番に整形外科に飛び込み、麻酔と痛み止め注射を打ってもらい、さらにサポーターと靴の底敷きを特注で作ってもらいました。一週間治療を受け、少し回復したのでまたあっちこっちに調べものや買い物に出かけていたら今度は足首を痛め、さらにふくらはぎがひどく痙攣して再び整形外科行き、検査、麻酔注射とになりました。

ベルリンであまり歩けなかったのが残念でしたが、元気であれば朝から晩まで出かけて、その結果疲れ果てて別の病気を発病していたかもしれないので、この怪我は私にはほどほどの抑制になりました。

過去3回のベルリン滞在では旧壁地域東側の廃墟の残る場所に宿をとっていたので、街のきたなさと、不便さ(その地域はサブ・カルチャーの中心地で、私とはほとんど縁のないものばかりでした。郵便局もスーパーもなし。でも中央官庁まで電車で2駅!)で、もうベルリン行きはやめようかと思っていたのですが、今回はじめて旧西ベルリンの中心地シャルロッテンブルク(厳密にはクーダム)に宿を取り、快適な都市生活を送ることができました。

第二次世界大戦時、空爆で建物の上半分が吹っ飛んでしまった「カイザー・ヴィルヘルム教会」のすぐそばに投宿しました。実際には教会は再建されて礼拝も行われていますが戦争を忘れないために教会の廃墟は残されました。

しかし、上記の教会の廃墟も老朽化したため改修工事中で塔の8割ぐらいの部分まですっぽり覆われて、てっぺんだけしか見えませんでした。

私は「崩落の可能性のある」廃墟の下のギャラリーで、この街と教会の写真と歴史的記述をみて、涙を流しました。

そして、新しい教会堂の中で長く瞑想に耽っておりました。

書きたいことはたくさんありますが、とりあえずは帰国のご報告まで。

2012年9月6日木曜日

音楽、演劇、舞踏、映像の世界の融合


ザルツブルクとベルリンで感じたこと。音楽、演劇、舞踏、映像の世界がきわめて接近してこれら4つの要素がひとつの公演をなしている。

今日Stage Theter des Westensでミュージカル"Tanz der Vampire"(「吸血鬼の踊り」、日本でもやっていますよね。)を見てそう思いました。

芸術をジャンル分けするのはもはや簡単でないというかあまり意味がないように思います。オペラやミュージカルでは、パフォーマーにはこの少なくとも2つか3つをみたす能力が求められるので日ごろの練習はただ事でないほどハードだろうと思います。

ザルツブルクで観た「ナクソス島のアリアドネ」にしても前半はほとんどが演劇と舞踏を伴い(もちろんプロのダンサーも出てきて見事な踊りを披露してくれましたが)、歌手自身がものすごく踊りがうまくて仰天しました。帰国したら歌手の名前や経歴について書くつもりです。

後半はあの強烈なコロラトゥラさえなければ、観ても、聴いても楽しくてたまらない強烈な公演でした。

ベルリンで足を負傷して苦労しています。


今日はホテルの近くにあるベルリン工科大学の人文科学系の研究所に行き、その先生やアシスタントの方々とお会いしました。

最初に迎えてくれた女性と1時間半ほど話した後、彼女の同僚の教員と一緒に「一心亭」という日本料理店になぜか寿司を食べに行きました。海外の日本料理店はにせものが多いのですが、ちゃんとした太巻きをいただくことができました。

午後は研究所の図書館を案内してもらったり、メディオテーク(コンピュータやそれを使った教材などをそろえた総合的な自習室)に連れて行ってももらいました。

整形外科に行く必要があったので(足を骨折までとは行かないまでもかなり負傷してしまったからです。)今日はメディオテークで調べ物をするのを諦めました。

明日から大学と整形外科に通います。

せっかく旧西ベルリンの中心街の最高の場所に宿をとりながら、ほとんど歩けないのが大変残念です。10-15分歩けば、あるいはちょっとバスに乗ればベルリンの西側の名所に簡単に行けるのに、カタツムリのようにしか歩けないのが情けないです。

今回は地下鉄、バスの路線、さらに街の風景をgoogle mapsで十分に予習して行ったのですが、見えてはいるがたどり着けない、まるでカフカの「城」のような世界にいます。

明日また整形外科で診察です。傷めた個所を庇うあまり足首が猛烈に痛くなってしまいました。

外出困難な場合は徒歩5分ぐらいで行ける「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」(何と目下改修中ですっぽり覆われています。)の礼拝堂で瞑想でもしましょう。

夕方テレビを見ても面白くないので本来なら徒歩10分ぐらいのところにある「西側の劇場」(Theater des Westens)にミュージカル、「バンパイアの踊り」を見に行きました。いやはや、それはまあ豪華でタカラヅカも顔負けの歌と踊り、そして映像を堪能させてもらいました。

その時に思ったことをブログの次の記事として書きます。

2012年9月3日月曜日

ベルリンに来るなら。


ベルリン3日目。

天気は良いものの、日陰は寒いぐらいで私はセーターに上着を羽織っています。しかし、日が照ると暑くて大汗をかきます。こういう気候は苦手です。

書きたいことはあふれるほどあるのですが、なかなか時間がないのと、風邪をひいてしまって調子が悪いので最小限のことを書きます。

観光旅行に行く場合、どこそこで何を見て、どこのお店で何を買って、そしてどんなものを食べるか、などと前もって考えますよね。

ベルリン観光をするのに目的地を決めてしまうとけっこうがっかりする可能性があります。

ベルリンではいたるところで工事(それも大規模)をやっていて、お目当てのものは見られないかもしれません。

2010年に来た時は「勝利の塔」が補修工事中ですっぽり覆われており、今年はかつての西ベルリンの象徴であり、ドイツの歴史、文化に興味のある人ならおそらく誰もが訪れたであろう「カイザー・ヴィルヘルム教会」の半分空爆で吹っ飛んでしまった廃墟が改修工事のためすっぽり覆われていました。

旧西ベルリンといえばあの廃墟を保存し、新しくモダンな鐘楼と礼拝堂を作ったカイザー・ヴィルヘルム教会が何と言っても一番有名なのではないでしょうか。ちなみにこのあたりを「クーダム」と呼びます。

私の宿泊しているホテルの筋向いのホテルに至っては、クーダムの教会のある景色の見える部屋はお値段が20ユーロぐらい高かったと思います。

とにかく、ベルリンは廃墟から立ち上がった街ではあるのですが、まだまだ復興に向かって前進の途上にあるのです。

一昨年、去年私が宿をとった中央(ミッテ)地区のホテルの周囲も工事場だらけ、大きな廃墟も残っていて、壁という壁は落書きだらけというすさまじい状態でした。でも官公庁街まで歩いて行ける距離でした。

今日私はカイザー・ヴィルヘルム教会を訪れました。すっかりショッピング地区となってしまって、まだまだ大規模な商業施設が建築中のクーダムの中でこの教会の博物館(写真が多数ディスプレイされています。それを見ると戦争の愚かしさがわかります。)をまわり、新しい礼拝堂---見事なブルーのステンドグラスに囲まれた塔---に入りしばらく想いに耽っていました。

礼拝堂のキリスト像を見たとき、何か強烈な力にすっぽりと包まれました。大きく手を広げて私を招いてくれているキリスト像には抗いがたい力があります。そしてほんの数人しか人の入っていない礼拝堂で一生懸命祈りました。

いつ私に最後の時が来ても、私を見捨てないでください。信仰というのはその原理について難しいことを考えるものでも、適当なエピソードで面白く物語るものではなく、心の底に最後の砦として護っておくものだと思います。涙がポロポロとこぼれてきてハンカチで拭いました。

さすがに観光客も少なく、誰ひとり大きな声でしゃべっている人はいませんでした。大声をあげられるような雰囲気ではありません。後ろでさかんに写真をとっている日本人あるいは隣国の男性が変に目立っていました。

教会の廃墟は残念ながら見えません(中側から少しみられますが、崩落の可能性があって危険なので全体像は見られません。)

あの廃墟と化した塔を見ることはなかったけれども、大変深い感動を覚えました。また明日も行くかもしれません。今回クーダムにホテルをとって良かったです。

しかし、あの廃墟を改修して保存しようというドイツ人の心意気にも感動致しました。永久にベルリンは発展の途上にあるのかもしれません。

名所旧跡を見るなら、心の目で見たいものです。

2012年8月22日水曜日

テレビを諦めた話の続き

先日テレビをやめることに決めたと書きましたが、その理由を夫が上手に書いているので、ここにリンクしておきます。

http://heikou-konton.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html

要するに私らも歳をとってしまったということなんです。(笑)




ザルツブルクより


突然ですが、私は8月14日からオーストリアのザルツブルクに滞在しています。夢のような美しい景色、ぬけるように青い空・・・モーツアルトがすごしたこの街にいるとまるで桃源郷に遊んでいるような気分になります。

そして世界最高級の演奏家、俳優、演出家による公演は私の疲れた精神を激しく高揚させてくれます。

しかし連日の感動と当地の猛暑でついに疲労困憊してしまいました。そこで今日はコンサートを諦めて一日ホテルとその周辺だけで過ごしました。

オペラやコンサートの感想(一部すでに書いたものがありますが、)は24日にドイツのオルデンブルクに到着してからゆっくり書きたいと思います。

とことで私がこの街で実体験できたのは、「民族と言葉のモザイク」です。

一日にいくつの言葉を耳にすることでしょう!ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語は毎日どこへ行ってもききます。声楽のコンサートでは私の後ろの席でスェーデン語が聞こえました!あと、スペイン語とオランダ語も。

実際にはもっともっと多くの言葉が話されているのでしょうが、私がそれを認識できないだけです。明らかに東欧の言葉(軟音が多い)とわかったこともあります。でもロシア語ではなかったのと、その人々の風貌からしてポーランド語かと思いました。

あと、今日駅でチェコ語らしき言葉をききました。

今回嬉しかったのはお母さんが子供に話しかけているイタリア語がかなりわかったことです。大人どうしの会話はまだあまり理解できませんが。

中国語と日本語を聞かない日はありません。ホテルにも数十人の日本人と中国人の団体さんが来ています。ダイニングルームが言葉のわからない団体さんでいっぱいだとものすごく引いてしまいます。

ともかく、私が外国語のレパートリーを増やせば増やすほど、わかる言語の数が増えてザルツブルク滞在が楽しくなると思います。今はほとんど理解できないハンガリー語なんかいつか挨拶程度にできるようになると嬉しいなあと思います。

ザルツブルクに来るたびにわかる言葉が増えますように!言葉(といっても挨拶程度ですよ。)の勉強がこんなに楽しいものだったとは私自身知りませんでした。ドイツ語は苦行でしたから。(笑)

では、またザルツブルク、オルデンブルク、ベルリンから投稿します。


2012年8月1日水曜日

テレビに「マイッタ」した話


目下前期末試験の採点、論文の発表会の司会などで大変忙しい日々を過ごしております。

ところで、この数日間私は朝起きると目がかすんで携帯の画面を見ても字が読めません。日中は頭痛に悩まされ、夜になるとテンションがあがって眠れなくなります。

いったい、私はどうしたのでしょう?

決して仕事のし過ぎではありません。答案を見るのは大変ストレスのたまる仕事なので少しずつ採点しています。驚き、怒り、笑いの三者の間を行ったり来たりしながら。:-)

この不調の原因は実はテレビなんです。

我が家では約3年間テレビをやめていました。NHKの受信料は払い続けたものの、ワンセグ以外で見なくなっていたのです。ワンセグで見ることは月に一回あるかどうかという程度でした。

ところが去年の11月にケーブルテレビ(有料チャンネルを含む)まで契約してテレビを復活させたのでした。天気予報を見たかったからです。あと、クラシックの専門チャンネルを契約したかったからです。

テレビがあると、「ながら」ができなくなります。音楽を聴きながら家事をこなすことはできますが、テレビを見ながら食事の支度なんてできません。

それに、テレビはまさに必要のない時(CM!)に限って音量があがります。

そしてテレビはやたら煽ります。一人だと絶対に笑わないようなシーンでも、無理矢理に笑わされます。お笑い番組の類は、何だかとっても不快です。

そして見てしまってから、「ああ、疲れた。見なくても済んだ番組だったのに。」なんて言ってしまうのです。

この春に1960年代後半~70年代前半のテレビドラマ、「スパイ大作戦」(子供時代、この番組を見るのが最高の楽しみでした!)がCTVで再放送されたので、毎晩7時から8時まで、食卓の会話すらやめてテレビに見入っていました。なぜなら、集中して見ないとすぐわからなくなる番組だったからです。

一か月ばかり月曜から金曜まで「スパイ大作戦」を見続けて、何だか我が家の「会話」が減ったような気がしました。それに、テレビに茶の間を支配されてしまいました。番組に間に合うよう用事を片づけるか、あるいは後回しにしてしまうようになりました。

ここ3か月ぐらい再びテレビを見ない生活をしていたところ、オリンピックが始まりました。

もちろん、開会式も見ていませんし、そもそも時差が7時間あるので実況放送を見る気はありませんでした。

ところが、東京オリンピックで日本人として大活躍した三宅義信さんの愛娘(注:ここは私の思い違いで、宏実選手は義信さんの姪でした。)三宅宏実選手が女子重量あげ48kg級に登場するというので、「つい」見てしまいました。コーチのおやじさん、昔はいかにも強い日本男児という感じだったのですが、ずいぶん柔らかい感じの人になっていました。ああ、懐かしい!

(だいたい東京オリンピックを覚えているなんて言えば、年齢がバレてしまいます。しかし、三宅選手は素晴らしかった。太短い脚がかえって魅力に思えました。東京オリンピックに関してはこの重量あげ以外ほとんど覚えていません。)

サイボーグな感じの三宅宏実さん、見事に銀メダルを手にしました。

さて、それからちょっと柔道を見ようと思ったのが間違いのもとで、結局3日連続で午前1時ぐらいまでテレビの前に釘づけになっていました。


当然のことながらひどい寝不足に陥るとともに、興奮しすぎて眠れなくなりました。朝寝坊できた3日間はそれで良かったのですが、今日からは朝寝坊できないスケジュールなので昨日以来キッパリ夜のライブ中継を見るのをやめました。

おかげで、昨夜は夫と二人で話に花を咲かせながら夕食をとることができました。私たちも歳をとったねぇ、動画を見ていると目が疲れてしまうもの、なんて言いながら。

二人ともまた給料が下がることだし、テレビのない生活に戻るかなぁ、なんて今話しております。

結局私たちはテレビに「マイッタ」をしたのです。

でも、「マイッタ」をしないと腕が折れたり、窒息して意識を失うことだってあるでしょう?

そろそろテレビに対してけじめをつけようと思っています。

と言っても、8月中旬からまたヨーロッパ一人生活。ホテルに一人いるとテレビをつけっぱなしにしてしまうのですよね。

困ったものです。

さて、夕食の支度をしながら、またオペラのDVDでも見るか。あ、DVDを見るのはテレビを見るのと同じか。DVDはやめて同じ曲のCDを聴くべし。

2012年7月8日日曜日

実演を聴かずして演奏家を判断することは困難?


今日は梅雨の晴れ間に池田市にある逸翁美術館・マグノリアホールまで増井一友ギターソロコンサート、「スペインの夏---ラテンの風」を聴きに行ってきました。

こちらがポスター。

http://www.hankyu-bunka.or.jp/sys/topics/article/26

結論を先に言えば、「実演を聴かずして演奏者を判断することはむずかしい」と感じました。

増井さんのギター演奏はYouTubeでも拝聴して大変好ましい印象を抱いていたのですが、やはり実演は違いました!

ところで、本題からはずれますが、私は去年の夏にザルツブルクとドレスデンでモーツアルトのオペラを3つ(ダ・ポンテ三部作です)聴いて、完全にオペラの虜になってしまいました。実はそれ以前オペラは大嫌いなジャンルで、テレビやラジオで放送されていても、「うるさい、長い、大袈裟、非現実的、耐えられない!叫ぶソプラノは最悪!」と思っていたのでした。それに私は去年の秋までイタリア語が全くできませんでしたので、イタリアオペラは退屈でした。

それが実際に劇場で、超一流の演奏家によるオペラを聴いたら、その最初の日からオペラの世界に完全にはまってしまったのでした。この件はまたブログに書くことにしますが、それほど実演って面白く、正直なんですね。

増井さんの演奏も同じで、実演に触れてすっかりその魅力の虜になりました。

本日聴いた曲で私の知っていたのはあのターレガの「アルハンブラの思い出」だけでしたが、はじめて聴いた曲なのにいずれもたっぷり楽しむことができました。最初のルイジ・レニアーニの「カプリス Op.20より、No.2, 15, 9,7」ですぐにぐっと引きこまれてしまいました。あと、演奏者自身の解説も理解の助けとなりまた。

何と言ってもラテンのリズムが素晴らしかったです。譜面に書けないような一秒の何十分の一にもみたないわずかなタイミングのずれ---まさに「ゆらぎ」---の快いこと!

「アルハンブラ」での6度の(Fis-->D)の上昇時に感じる快い高揚感(ここはうまく表現できません。とにかく私には気持ちいいのです。)に酔い、トレモロの間からメロディーが浮き上がるところ、低音は太くおなかに響く音で、高音はまるで裏声のようになまめかしく、中音はトレモロに埋もれないしっかりとした響きで演奏され、演奏のきめの細かさに驚きました。

梁田貞作曲、壺井一歩編曲、「城ケ島の雨」は本日のサプライズでした。面白い編曲と演奏でオリジナル作品とはまるで違った世界を体験させていただきました。短調とも長調ともつかずふらふらする和声の中に、あの「城ケ島」のメロディーがホ短調で切れ切れに続く世界、ギターならではの音色の変化が楽しめました。しかし、あのメロディーの際立たせかたは凄かった!

ちなみに演奏者の解説によると、音楽大学の学生に「城ケ島の雨」を知っているかどうかきいたところ、一人も知らなかったそうです。そのあたり、世代間の隔絶を感じますねぇ。そういう私も実は「城ケ島」→ショパンの「24の前奏曲」の終曲のメロディーという変な連想でこの曲を覚えているだけで、歌詞を知りません。(笑)

さらにスペインものがいくつも続くのですが、私自身に全く知識がないのでここはまとめて感想を。

私はもう30年ぐらい前だと思いますが、スペインの女性ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャを何度か実演で聴いたことがあります。

その時に受けたスペイン音楽の感銘は、今なお忘れることができません。あまりにも微妙な「ゆらぎ」なので決して真似のできないリズムの揺れ、「こぶし」を唄う時の人間の声に似た、これまた絶対にコピーできない即興性を感じて驚嘆したのでした。

スペインの音楽にはドイツの4拍子のマーチとは異なる世界があるのですね。

今日はその昔聴いたアリシア・デ・ラローチャのスペイン音楽を久しぶりに思い出すような演奏でした。

それともうひとつ、最初に書くべきだったのですが、ギターの音は同じ分散和音を弾いても弾きかたによってずいぶん表情が違いますね。明るい響きになったり、くぐもった音になったり、ためらうような控えめな音になったり、ピアノ弾きにはちょっと想像しがたい世界です。

あと、千変万化の音色も堪能しました。まるで地声と裏声の対比のような弾き分け、全く同じ高さの音を出すにも、解放弦とひとつ下の絃の高いポジションを使いわけることによって独特の「鐘の音」の効果をあげるところ(エドゥアルド・サインス・デ・ラ・マーサの「暁の鐘」)、靴を踏み鳴らすフラメンコそのもののサバテアード(レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ、「サバテアード」)など、リズムの心地よさと音色の変化が絡み合い、ピアノでは表現できない楽しさを体験できました。

誰かが話(講義?)をしていて、それに質問が出たり、ツッコミがはいる人々の話の輪(いや、もっと直截的に申しましょう。私には「講義」の様子に聞こえてしまいました。)など楽しく想像を、いや妄想をはたらかせておりました。:-)

あと、グラナドス、「ゴヤのマハ」、はたして作品は「着衣のマハ」、「裸体のマハ」(「マハ」は単なる「女性」という意味だと思います。)のいずれにインスピレーションを得てかかれたのでしょう。(そういえば、増井さん、「裸体のマハ」のことを「脱いでるマハ」なんてべたな言い方をされたので、おかしくてたまりませんでした。)

いや、本当に楽しいひとときを過ごさせていただきました。

大雑把な感想ですが、またひとつ新しい分野の音楽に開眼してしまって、はっきり言って・・・困っています。(笑)

とにかく、実演を聴くのと録音を聴くのでは体験できる世界がまるで違うということが昨年のザルツブルク、ドレスデンについで理解できた演奏会でした。


2012年7月4日水曜日

突然話題について行けなくなった話

夕方、CNN International のテレビを「聞いて」いたら突然女性アナウンサーの言っていることがさっぱりわからなくなってしまいました。

耳をすましても聞こえるのは"particle"とか"missing particle(?)"とかだけ。これ、文法の話ではないよね、と思ったものの結局わからず、次に男性がコメントをつけた時にやっと「何やら稀有の現象あるいは物質が見つかったらしい」というところまで行きましたが、やはりあとはギリシャ語なみ。

キッチンでテレビを見ていた夫に、「突然英語が全然わからなくなったよー。私の耳に異常が起きたのかなぁ?」と声をかけてみたら、

「ヒッグス粒子が非常に高い確率で存在することを示す観測結果が得られたんだよ。」

「ヒッグス粒子?」

その後NHKのニュースをきいてだいたい理解しましたが、実は日本語できいても知らない単語がたくさんありました。

そこをNHKの武田アナウンサーがとても上手に説明してくれたので驚きました。

アナウンサーの仕事って大変ですね。いきなり入ってきた科学技術ニュースでもしっかり自分で把握してカメラの前で説明しないといけないのですから。

「イケメン系アナウンサー第一世代」とひそかに私が呼んでいる武田さんは偉い!私ならこんなネタが入ってきたら逃げます。(笑)

あとは、我が家の物理やさんに詳しく説明をしてもらいました。

私の場合、音楽ネタなら英語でもドイツ語でもたいていわかるのですが、科学技術ネタになると一気に理解率が落ちます。要するにバックグラウンドの知識がことばの認識力に大きな影響を与えているわけですね。あたりまえですけど。

ドイツ語の授業をやっていて、文法概念をなかなか理解してもらえないのも、学生さんの言語に関する背景知識が違うからなんですね。

私にとって「格」の概念は大変基本的なもので、ドイツ語、ラテン語だけでなく、それこそフランス語やイタリア語を考えるにも、もしドイツ語ふうに「格」で言うとここは3格(与格)、いや、ラテン語では与格じゃなくて奪格か、というふうに逆にあてはめてしまうのです。

「格」を当たり前と思っている限り、わかっていただける授業はできないのでしょうねぇ。

しかし、私はどうやって格の概念を身につけたのか、それが思い出せません。たぶん大量の文を丸暗記する中で自然に感覚で覚えたように思います。授業では一応格の用法を分類して説明しますが、実はその説明法を文法の教科書を執筆することになるまでよく知りませんでした。

今日覚えた語彙:boson, particle, elementary particles, etc.



2012年6月18日月曜日

アウサン スーチーさんのノーベル平和賞スピーチ

一昨日の夜、台所の片づけをしながらテレビのスイッチを入れたところ、アウンサン・スーチー(Aung San Suu Kyi)さんのノーベル平和賞受賞スピーチが始まるところでした。

驚くなかれ、彼女が受賞したのは1991年。21年後まで彼女は受賞するために国外に出ることができなかったのです。

おそらくミャンマーの正装と思われる紫系の地味ながら美しい衣装をまとい、いつものように白い花を髪にさしてゆっくり、しかし力強く話しておられました。

心を打ったのは、彼女が自宅軟禁されていた時代、自分はもうリアルな世界の人間ではないと感じたくだりで、ちょうどスピーチ原稿が nobelprize.org に掲載されたので、引用ささせていただきます。

Often during my days of house arrest it felt as though I were no longer a part of the real world. There was the house which was my world, there was the world of others who also were not free but who were together in prison as a community, and there was the world of the free; each was a different planet pursuing its own separate course in an indifferent universe. What the Nobel Peace Prize did was to draw me once again into the world of other human beings outside the isolated area in which I lived, to restore a sense of reality to me.


私が自宅軟禁の身であった頃しばしば私はもはやリアルな世界の一部ではないように感じました。私にとっては、私の世界である家がありました。同じく自由でないけれども獄中でコミュニティーをなして一緒に暮らしている人々の世界がありました。そして自由な人々の世界がありました。そのひとつひとつの世界が、その互いに関係のない(indiferrent)無関心な宇宙(universe)の中で自分たちだけの孤立した道を進む異なる惑星でした。
ノーベル賞がが成してくれたのは、私が現実感を回復できるように、私を私が暮らしていた孤立した領域の外にいる他の人々のもとへ今一度ひきもどすことでした。(筆者試訳)




この後、彼女は自宅軟禁されていた「時間のたっぷりある」時代には、巧みに仏教的思想を使いながら彼女が人生に渡って学び受け入れた言葉や教訓(教え)について沈思熟考することができたと語りました。


そこでは、仏教的用語(「苦しみという意味の」「ドゥカ」(dukha))という概念をに取り入れながら孤独、引き裂かれた状態について語られていました。(この部分、時間があればまた訳します。)




この後、人権の大切さについて述べ、さらに"kindness"という語を使って次のように述べています。


 Even the briefest touch of kindness can lighten a heavy heart. Kindness can change the lives of people. Norway has shown exemplary kindness in providing a home for the displaced of the earth, offering sanctuary to those who have been cut loose from the moorings of security and freedom in their native lands.


ほんのちょっとした思いやり(kindness)でさえも、重い心を明るくしてくれます。思いやりは人々の人生を変えることができるのです。ノルウェイは、地球上で追放された者に家(home)を与え、故国における安全と自由という拠り所から切り離された人々にサンクチュアリーを提供することにより、良き(好例となる)思いやりを示して下さったのです。




と、ノーベル賞に対する感謝もきちんと述べられています。ただ、彼女の言うkindnessに対する良い訳語が見つかりません。




テキストは今しがた見つけたばかりなので、もう一度ゆっくり読み直します。


講演を聞いていて、何か熱いもの、そして大変強いものと同時に彼女のやさしさ(kindness)を感じました。人権思想は理屈だけでなく、ハートの問題でもあると感じました。




この講演はどうやら日本のテレビでは同時中継されなかったようですね。


私はたまたま CNN International で見たのですが、受賞コンサートなども中継され、貴重な番組をリアルタイムで見ることができませんでした。




授賞式にお出ましの国王ご夫妻はじめ、参列者の服装が地味でシックなのにちょっと感激しました。最近オペラ歌手のもろ肌を脱いだような派手で露出の多い服装ばかり見ていてうんざりしていたところでしたので。(笑)


おごそか、しかし穏やかなひと時でありました。




講演のテキストは以下のところで全文読めます。


http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/1991/kyi-lecture_en.html



2012年6月17日日曜日

アウンサン・スチーさんのノーベル平和賞1991が今日行われました。

夕食後片づけをしながらテレビのスイッチ(CBC International)を入れたら、アウンサン・スチーさんがノーベル賞受賞スピーチを行うところでした。 

我が家ではテレビをほとんど見ないので、彼女が1991年に受けたノーベル賞の受賞演説を今日行うとは全然知りませんでした。 

いや~、格調高い、力強いスピーチでした。全部わかったわけではありませんが、いずれスピーチは公開されるでしょう。 後半、公演中に何度か拍手がありました。

中でも"kindness", "compassion"と仏教的な思想に根ざした表現を私はあまり違和感なくすっと受け入れることができました。西洋人にはこの概念はちょっと理解が難しいのではないかと思いました。 

また追記します。

2012年6月15日金曜日

「一般人」とは?

松田聖子さんが、再々婚を発表しました。お相手は大学准教授の「一般男性」だそうです。他にもスポーツ選手が「一般の女性」と結婚したとか、皇室の方が「一般の人」と結婚する、など芸能人や皇室の方が「結婚」する相手が「一般」人という表現をよく見かけます。(ここでは「一般の男性」、「一般の女性」などの表現をまとめて「一般人」と呼ぶことにします。)

上のような意味での「一般人」とはどういう人なのでしょうか?

セレブやスポーツ選手、あるいは皇室ではない人のことなんでしょうか?対語は何でしょうか?「特殊人」、「特別人」でもなさそうです。むかし「パンピー」(「一般ピープル」の略)という語がはやりましたが、「非パンピー」?いくら何でも変ですね。

皇室の話だけはちょっと別にしましょう。なぜならば、皇室の場合は「一般人」は「皇籍にない人」という意味で使われていると思われるからです。

では、皇室以外のケースで「一般人」と言われる人は「何」でない人なのでしょう?

この「一般人」には一対一で当てはまる対語がないように思います。ケースバイケースで「一般人」の対語は変わってくるようです。「スター」、「セレブ」、「芸能人」、「スポーツ選手」など名の知れた人であればいずれも「一般人」の逆たりえるようです。メディアに露出している人たちです。

今思いついたのですが、世界を驚かせるような能力をもった「ハッカー」が結婚する場合、やはり「ハッカーの○○氏、一般女性と結婚。」となるのでしょうか。

さらに、極悪犯罪者が「一般の女性」と獄中結婚する、と言いますか?いや、「支持者の女性」と獄中結婚でしょうか?そういえば死刑囚詫間守は獄中結婚していました。ちょっと調べてみたら、相手は「支援者の女性」となっていました。

考えれば考えるほどわからなくなって来ました。

世の中に特別強い影響を及ぼすことのない人を一般人と呼ぶのでしょうか?

いやちがう!「一般人」とはプライバシーの一応ある人のことではないでしょうか?

有名人、ことにメディアに露出している人はプライバシーなんてないでしょう?その逆の立場の人が「一般人」では?

考えれば考えるほどわからなくなるので、そろそろやめます。

しかし・・・「オタク」の対語として「一般人」ということがありませんか?

今日はこの辺にしておきます。

malte@k2r.org


2012年5月24日木曜日

「辛い」とは?

目下二年生のドイツ語の授業のひとコマで、ドイツの食事、食習慣について読んだり、インターネットで調べたり、話し合ったりしています。

昨日問題になったのは、「辛い」とはどんなことか、という点です。

あるアフリカ出身、ウィーン在住の人が、

「オーストリアの食事は何なんだ!全然辛くないじゃないか!辛さこそ大事なんだ。辛さが生きるためのエネルギーを与えてくれるのだ。」(大雑把な要約)

と言っているのを取り上げて、「この人が<辛い>と言っているのはどんな風味なんでしょう?」と問いかけてみました。

ちなみに「辛い」の元のドイツ語は"scharf"です。

私(神戸市出身)が子供の頃「辛い」と思ったものは、まずは東京のうどんの汁でした。
あれは辛かった。今なら「醤油辛い」と言いますけれど、当時の私は単に「東京のうどんは死ぬほど辛い」と言っていました。

それからぬか漬けを食べて、「今日のきゅうりはすごく辛い。」とも言っていました。これは「塩辛い」あるいは「しょっぱい」ですね。

にぎり寿司を食べて、そのわさびが鼻にツーンとぬけた時、「わぁ、辛い!」とも言いました。


時代とともに「辛い」の意味するところも少しずつ変わっているのかもしれません。


夫(東京人)にきいてみると、何だか私とは「辛い」のさす風味が微妙に違うようです。
彼は醤油ものを「辛い」とは言わないようです。しょっぱいものも「辛く」はないみたいです。

夫も私も共通に辛いと感じるのは「辛子」です。(あたりまえかな。)ラー油とか、ねり辛子とか、それこそ激辛カレーとか。(もっとも私は辛いカレーは食べないので、激辛カレーがどんな味か知りません。キーマカレーあたりで十分「辛い」です。)

学生さんにきいてみると、どうも彼らにとって「辛い」のは辛子味とか、強烈な調味料の入った「舌を刺すような」強い味のことをさしているようでした。塩辛いものを「辛い」とは言わないみたいです。ある留学生さんは「トムヤンクンが辛い」と語っていました。

で、結局、読んだドイツ語の文章の"scharf"という語は「スパイシーな」と訳すことにしました。

しかし、手元にある小学館の大きな独和辞典を参照すると、"scharf"にはたくさんの訳語がありましたが、「スパイシー」はありませんでした。

これだとドイツ語を英語に置き換えただけで、ダメな訳なんでしょうか?

そういえば、最近ドイツに約1か月ずつ3度ドイツに滞在し、ゲーテ・インスティトゥートの授業をたくさん参観させていただいたのですが、さまざまな国から来ている参加者に先生はこの「辛い」のようにちょっと抽象的な語について、「あなたの国ではどういうものをさしますか?」とよくきいておられました。

2012年5月22日火曜日

館野泉さんの新境地

クローズアップ現代「音楽にすべてをゆだねて~左手のピアニスト 舘野泉」を偶然見たのですが、大変良い番組でした。

私は北欧の音楽が好きなので館野さんの若い頃時々演奏を聴きましたが、すてきな銀髪の紳士になっておられました。

10年前65歳の時、演奏会後突然脳出血で倒れ、右手が使えなくなるという不幸に見舞われました。医師には、「もう二度とピアノを弾くことはできない。」と宣告されたそうです。どれほどショックだったことでしょう。

2年足らずでピアノに向かうことはできるようになったものの、右手は使えません。でも、左手だけの曲だけ弾いて済まそうとは思わなかったそうです。表現したいという意欲、ピアノを弾きたいという気持ちが激しくてたまらない日々を過ごされたようです。

ある時アメリカに住んでいる息子さんがフィンランドにいる館野さんのところに楽譜を持って来てくれたそうです。それはイギリスの作曲家が書いた左手だけのための作品でした。

それを見た瞬間、館野さんは大きなインスピレーションを得たのでした。

「左手だけであれ、右手と左手であれ、音楽を理解し、役者としてそれをみんなにきかせたい。」という願望に捉われ、ついに左手だけで演奏する練習を始めたそうです。左手だけで弾く技術を習得するのは簡単なことではなかったそうです。

彼は日本および海外の作曲家たちに呼びかけ、彼のために左手のための作品を作曲してもらいました。10年間で実に40曲もの曲が寄せられたそうです。

作曲家のインタビューも面白かったです。

「左手だからこそできる、独創的な境地を発見することができた。」という意味のことを語っている作曲家もおられました。

倒れてから10年、館野さんは今や左手による他に例を見ない境地に達することができたのです。

とにかく、作品の本質に迫り、見つけたものを役者として人々に見せたいという意欲ひとつで彼は頑張って来たのでした。

館野さん、本当によい笑顔を見せておられました。

話しながら、ちょっと泣きそうになるかと思うと穏やかな笑顔を見せてくれました。何だか底知れない感動をいただきました。

館野さんは復帰10周年のコンサートツァーを二年間にわたって行われるそうです。まだ完成していない作品もあるとか。(作曲家さんたち、間に合わせてあげてね。)

75歳にしてこの心意気。彼にはまだまだ新しい世界が拓けるでしょう。私もその境地をぜひ一人の聴き手としてシェアさせていただきたいです。

司会の国谷さんも、今日は芸術の番組とあって、ちょっとドレッシーな格好で出て来られました。彼女も時々言葉を失っていたようでした。

2012年5月6日日曜日

「今日の○○語」

昨日Twitterでふらふらしていたら、こんなサイトを見つけました。

"Transparent Language"
http://www.transparent.com/wotd/today/ 

ここでGermanを指定すると、"German Word of the Day" が出て来ます。

5月6日の「今日のドイツ語」が示され、その下にその日の語を使った例文が英訳とともに書かれてています。全くの初心者にはやや難しいかもしれませんが、音声がついているので、単語を、そして例文をしっかり耳から覚えるには最適です。

昨日私はドイツ語のほか、イタリア語、フランス語、スエーデン語、オランダ語、日本語、それにLeetspeak(元来ハッカーに使われていたとされるかなり特殊な英語)をメールで送ってもらうよう設定しました。

7か国語で単語と例文をしばらく眺め、口に出して言ってみてからトイレに立ち、しばらく時間を置きました。そして覚えたはずの例文を書いてみようとすると・・・もうほとんど忘れていました。(泣)

完璧に書けたのはドイツ語だけで、イタリア語とオランダ語はだいたいの出来具合。Leetspeakも思い出すことができました。スエーデン語は部分的に覚えていた程度で、フランス語は何と全く思い出すことができませんでした。

何という貧弱な記憶力よ!でも、初老のおばばでもまだ頑張りますって!

さて、今朝起きて復習してみたら、さらに忘れていて、完璧だったのはやはりドイツ語のみ。イタリア語とオランダ語が痕跡を残す程度でした。スエーデン語はその日の単語のみ記憶していました。昨日のうちに記憶から消えたフランス語は跡形もなし。

しかし、挫けずに今日も覚えてみました。今日はラテン語を追加しました。数時間おいて書いてみたら、今度はドイツ語、フランス語、イタリア語が完璧、オランダ語とスエーデン語はかなり悲惨でした。Leetspeakは今日まだアップロードされていません。ラテン語はとても平易な例文だったのでできました。

過去に遡及してその日の語と例文を見ると、日によって例文の文法的レベルが異なります。また、学習する人の関心によっても覚えられる例文と覚えられない例文ができるでしょう。だからすべてを覚えようなんて考えないで、その日に気に入った例文があれば覚えるだけで十分だと思います。ただし、その日の「単語」は確実に頭に刻み込んで。

「今日の○○語」、音声がついているのでけっこう役に立ちそうです。

初心者にとって何よりも難しいのは「読み方」でしょう。読み方がわからないと授業でどこをやっているのかすらわからなくなり、ノートも取れなくなります。そして3か月で完全に「落ちこぼれ」。

新しい言語に入門するにはまず音声を身につけるべきだと私は考えています。四半世紀ばかりドイツ語を教えていて痛感するのは「音声」面の大切さです。

私が今あえてスエーデン語やオランダ語等に「入門」しようとしているのは、一度「初心者」の目線で新しい外国語を学んでみたいと思ったからです。

実際に勉強してみると、テキストに書いてある文法事項を覚えようとしても、読み方がわからないと覚えるどころか書き写すことすらできないことに気づきました。教科書に発音のきまりがきっちり書いてあっても、実際の文章を読もうとすればさまざまな疑問点がでてきて、自分では解決できずギブアップしてしまいそうになります。

さて、3か月後、私はどれくらいスエーデン語とオランダ語を読めるようになっているでしょう?

ところで、案外難しいというか見落とせないと思ったのは日本語です。

昨日(5月5日)の「今日の日本語」は「引きこもり」でした。

弟は中学の頃からひきこもりです。」に英訳、"My brother has been withdrawn from society sinse middel school." がついてます。"withdraw(al)"を「引きこもり」に対応させたのは、必ずしもぴったりではないにせよ、面白い解釈だと思います。

かくして日本語も勉強すると英語が上手になるかもしれません。

ところで、Twitterですが、私はあまり書きませんが、実は世界中の新聞・雑誌のヘッドラ インと趣味関係のサイト(欧米のオペラハウスのインフォメーションなど)を見ています

Twitterはチャットをするとばっちり記録が残ってしまって誰にでも見えるようになってし まいます。でも、ヘッドラインを手掛かりにさまざまなニュースを読むのも面白いですよ。もちろん日本語でもいいです。Twitterで時々良いものを拾っている私です。

2012年2月25日土曜日

明日は泣きに行ってきます。

今頃本当はロシアの上空あたりを飛んでいて、あと数時間にフランクフルトに着くはずだったのに、なんて後ろ向きに考えてはいけません。

明日は本来なら私の大好きなアンナ・プロハスカがスザンナを、またその劇的表現力を高く評価しているドロテア・レシュマンがアルマヴィーヴァ伯爵夫人を歌う「フィガロの結婚」(シュターツオーパー・ベルリン)の公演最終日なので、行けないことが大変悲しいのですが、でも、挫けません!

明日はライプツィヒ聖トーマス教会少年合唱団(以下トマーナーと呼びます)とゲヴァントハウスオーケストラによる「マタイ受難曲」の公演が大阪のザ・シンフォニーホールで行われます。指揮は前回同様トマーナーのカントァ(音楽監督、要するに指導者)ビラーさん。

残券がまだありましたので、予約し、この公演に行くことにしました。

2008年にこのメンバーが日本公演を行った時、大阪公演を聴いて大変深い感銘を受けました。以来「マタイ受難曲」フリークとなり、全曲盤のCDを20種類以上集めて聴き比べました。(この話に触れると長くなるので、ここでは省略。)放送で聴いたものを含めると30種類以上の「マタイ」を知っています。

前回の公演時、終曲に近いところのバスのアリア、「私が心よ、身を浄めよ。(Mache dich, mein Herze, rein!)」ではボロボロ泣いてしまいました。

長い受難の後、息をひきとったキリストのなきがらを「私がイエスを葬ってさしあげよう。」とバス歌手が歌うのですが、2時間半以上の苦しい音楽の後、長調に転じてほとんど爽やかに歌われるこのアリア、いつ聴いても涙がこぼれます。急に緊張が緩んでどっとこみあげて来るものを感じる瞬間です。

受難曲ではキリストの受難は語られますが、復活はまだ語られません。だから最後まで重い雰囲気(終曲の合唱はハ短調)です。でも、このバスのアリアは「復活」を予感させるので、私は特別に好きです。

今回のソリストは前回とほとんど同じなので、なおさら嬉しいです。バスのゴットホルト・シュヴァルツ、福音史家(今回はテノールのアリアも歌う)のマルティン・ペツォルト、ソプラノのウーテ・ゼルビッヒ、いずれも素晴らしい声ばかりです。アルトが新しいメンバーになっていますが、名前がシュテファンなので男性かもしれません。だとするとカウンターテナーですね。実は私、けっこうカウンターテナーが好きなんです。

明日は何も考えないで3時間にわたってトマーナーの美しいドイツ語と渋い音楽に耳を傾けることにします。そして・・・やっぱり泣くでしょう。ハンカチ必携。

・・・ここでやめるのが普通の人なんですが、私はおなじメンバーの東京公演も聴きたくて、火曜日に上京します。

前回は東京のみロ短調ミサがあったのですが、今回はマタイのみなのでちょっと残念ですが。

ドイツに行けなかったうさばらしではありませんが、とにかく2年ぶりに東京にも行きたいです。

とりあえず明日は、私が一昨年わざわざライプツィヒまで訪ねたトマーナーの合唱団、久しぶりに聴けるのがとても嬉しいです。

多文化・多言語共生環境へ

前回更新時、中断していたブログを「再開します」と宣言しながら、結局一年以上放置していました。

実は本来の予定では、私は本日から17日間ドイツに滞在して研修を行いつつコンサートにも通う予定でしたが、健康上のトラブルが原因でこの研修をキャンセルせざるを得ませんでした。

そのためかなり気分的に落ち込んでいますが、同時に少し時間的余裕ができたので駄文をまた連ねてみようかと思い立ったところです。

まずは近況から。

2009年8月~9月と2010年2-3月、8-9月にドイツとオーストリアに滞在し、いまどきのドイツ語事情を調べたり、オペラやコンサートに通いました。

中でも、2010年夏にザルツブルクで体験したモーツアルトのオペラの世界の影響は絶大で、「ナンセンス」と全く興味を抱いていなかったオペラにすっかりはまる羽目になってしまいました。

ドイツ語の世界にのみ閉じこもっていた私でしたが、モーツアルトのイタリア語によるオペラ(「コジ・ファン・トゥッテ」、「ドン・ジョヴァンニ」、「フィガロの結婚」---いわゆるダ・ポンテ三部作)によってドイツ語だけでは経験できない、太陽の光にあふれたイタリア的な明朗さと軽快さに感動しました。

ブラームスが書いた二曲のピアノ協奏曲を比べると、第一番が概して重苦しく、鬱々とした雰囲気に閉じこもっている(第三楽章はそうでもありませんが。)のに対し、第二番では重厚なドイツ音楽に明るい光が差し込み、ずいぶんと違った世界を体験させてくれます。

ああ、これがブラームスの「イタリア体験」の結果だったのだとあらためて感じさせられます。

今の私は、イタリアを体験した後のブラームスの世界とでも言えばよいかもしれません。

まず、言語的にドイツ語だけに拘ることをやめました。

新たにイタリア語を勉強し始め、オペラやリートの歌詞も独・英・仏・伊の4カ国語で読み比べるようになりました。4つの言語間の意味やニュアンスのずれは何ともしがたいですが、日本語と西欧語の間ほどの距離はないので、4か国語を同時に学習できて便利です。(しかし、何故か英語だけが他の言語と「時制」の概念において違っているのが気になって仕方がありません。)

他にもスエーデン語やオランダ語(オランダ語はドイツ語と英語の知識のある人にはほとんど内容が推測できてしまいます。)もぼちぼちやっています。

かくして私は言語的にも音楽的にも「多文化・多言語共生」環境に移りつつあります。

私自身大変喜ばしいと思っているのは、昔からの付き合いなのにあまり上手でない英語の世界に復帰できたことです。何しろザルツブルクで聴いた魅力的な声の持ち主3人全員が英語圏の国の出身でした。

3人の歌手と出身国を挙げると、ジェラルド・フィンリー(Gerald Finley)がカナダ出身、、サイモン・キーンリーサイド(Simon Keelyside)とクリストファー・モルトマン(Christopher Maltman)がイギリス出身です。

フィンリーは「ドン・ジョヴァンニ」のタイトルロールを歌い、その艶やかな高音(とてもバス・バリトンとは思えない高音です)、魅力的な中音、そして強く迫力のある低音で完全に私を魅了しました。この人の声は私にとってたぶん「理想の声」です。

キーンリーサイドは、トーマス・クヴァストホフの代役で「冬の旅」を歌いました。彼の持っているどこかノーブルな雰囲気にすっかりまいりました。ドン・ジョヴァンニとかアルマヴィーヴァ伯爵を演じてもなお気品のあるこの人、不思議なバリトンです。

そしてモルトマンは「コジ・ファン・トゥッテ」のグリエルモを歌いましたが、とろけるような高音と力強い低音で最高に楽しませてくれました。

この3人の歌手のおかげでイギリスやカナダ、そしてアメリカの作曲家の作品にもなじむことができるようになりました。

帰国後彼らのDVDとCDをamazon.co.ukから買いまくり、時間のある限り鑑賞しました。個々の感想はいずれ書きます。

話が脱線してしまいましたが、今の私にとっては音楽も言葉もドイツを中心にヨーロッパ、北米全体に広がりつつあります。できればアジアの国にもとっかかりを作りたいのですが、まだそのチャンスがありません。


今後さまざまな言葉について、感銘を受けた音楽について少しずつ書いて行きたいと思います。

ドイツ研修をキャンセルした副産物としてブログ更新となったのでした。

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