2012年9月17日月曜日

帰国しました。


帰国しました。

フランクフルトでまた無駄に歩き回りましたが、無事大阪行きLH740便に乗れました。

目下時差ボケと疲れでぼんやりしています。

旅行の成果は音楽の面では十分でしたが、勉強の面ではやっと手がかりがつかめた程度で、これを基礎に更に研究しなければなりません。どうも外国語教育に関して私には強い思い込みがあったように思います。

ベルリンで足を傷め、あまりに痛さに骨折を疑って(何しろ私の左足は2002-2008年の間に3回骨折しているのです)、朝一番に整形外科に飛び込み、麻酔と痛み止め注射を打ってもらい、さらにサポーターと靴の底敷きを特注で作ってもらいました。一週間治療を受け、少し回復したのでまたあっちこっちに調べものや買い物に出かけていたら今度は足首を痛め、さらにふくらはぎがひどく痙攣して再び整形外科行き、検査、麻酔注射とになりました。

ベルリンであまり歩けなかったのが残念でしたが、元気であれば朝から晩まで出かけて、その結果疲れ果てて別の病気を発病していたかもしれないので、この怪我は私にはほどほどの抑制になりました。

過去3回のベルリン滞在では旧壁地域東側の廃墟の残る場所に宿をとっていたので、街のきたなさと、不便さ(その地域はサブ・カルチャーの中心地で、私とはほとんど縁のないものばかりでした。郵便局もスーパーもなし。でも中央官庁まで電車で2駅!)で、もうベルリン行きはやめようかと思っていたのですが、今回はじめて旧西ベルリンの中心地シャルロッテンブルク(厳密にはクーダム)に宿を取り、快適な都市生活を送ることができました。

第二次世界大戦時、空爆で建物の上半分が吹っ飛んでしまった「カイザー・ヴィルヘルム教会」のすぐそばに投宿しました。実際には教会は再建されて礼拝も行われていますが戦争を忘れないために教会の廃墟は残されました。

しかし、上記の教会の廃墟も老朽化したため改修工事中で塔の8割ぐらいの部分まですっぽり覆われて、てっぺんだけしか見えませんでした。

私は「崩落の可能性のある」廃墟の下のギャラリーで、この街と教会の写真と歴史的記述をみて、涙を流しました。

そして、新しい教会堂の中で長く瞑想に耽っておりました。

書きたいことはたくさんありますが、とりあえずは帰国のご報告まで。