2012年2月25日土曜日

明日は泣きに行ってきます。

今頃本当はロシアの上空あたりを飛んでいて、あと数時間にフランクフルトに着くはずだったのに、なんて後ろ向きに考えてはいけません。

明日は本来なら私の大好きなアンナ・プロハスカがスザンナを、またその劇的表現力を高く評価しているドロテア・レシュマンがアルマヴィーヴァ伯爵夫人を歌う「フィガロの結婚」(シュターツオーパー・ベルリン)の公演最終日なので、行けないことが大変悲しいのですが、でも、挫けません!

明日はライプツィヒ聖トーマス教会少年合唱団(以下トマーナーと呼びます)とゲヴァントハウスオーケストラによる「マタイ受難曲」の公演が大阪のザ・シンフォニーホールで行われます。指揮は前回同様トマーナーのカントァ(音楽監督、要するに指導者)ビラーさん。

残券がまだありましたので、予約し、この公演に行くことにしました。

2008年にこのメンバーが日本公演を行った時、大阪公演を聴いて大変深い感銘を受けました。以来「マタイ受難曲」フリークとなり、全曲盤のCDを20種類以上集めて聴き比べました。(この話に触れると長くなるので、ここでは省略。)放送で聴いたものを含めると30種類以上の「マタイ」を知っています。

前回の公演時、終曲に近いところのバスのアリア、「私が心よ、身を浄めよ。(Mache dich, mein Herze, rein!)」ではボロボロ泣いてしまいました。

長い受難の後、息をひきとったキリストのなきがらを「私がイエスを葬ってさしあげよう。」とバス歌手が歌うのですが、2時間半以上の苦しい音楽の後、長調に転じてほとんど爽やかに歌われるこのアリア、いつ聴いても涙がこぼれます。急に緊張が緩んでどっとこみあげて来るものを感じる瞬間です。

受難曲ではキリストの受難は語られますが、復活はまだ語られません。だから最後まで重い雰囲気(終曲の合唱はハ短調)です。でも、このバスのアリアは「復活」を予感させるので、私は特別に好きです。

今回のソリストは前回とほとんど同じなので、なおさら嬉しいです。バスのゴットホルト・シュヴァルツ、福音史家(今回はテノールのアリアも歌う)のマルティン・ペツォルト、ソプラノのウーテ・ゼルビッヒ、いずれも素晴らしい声ばかりです。アルトが新しいメンバーになっていますが、名前がシュテファンなので男性かもしれません。だとするとカウンターテナーですね。実は私、けっこうカウンターテナーが好きなんです。

明日は何も考えないで3時間にわたってトマーナーの美しいドイツ語と渋い音楽に耳を傾けることにします。そして・・・やっぱり泣くでしょう。ハンカチ必携。

・・・ここでやめるのが普通の人なんですが、私はおなじメンバーの東京公演も聴きたくて、火曜日に上京します。

前回は東京のみロ短調ミサがあったのですが、今回はマタイのみなのでちょっと残念ですが。

ドイツに行けなかったうさばらしではありませんが、とにかく2年ぶりに東京にも行きたいです。

とりあえず明日は、私が一昨年わざわざライプツィヒまで訪ねたトマーナーの合唱団、久しぶりに聴けるのがとても嬉しいです。

多文化・多言語共生環境へ

前回更新時、中断していたブログを「再開します」と宣言しながら、結局一年以上放置していました。

実は本来の予定では、私は本日から17日間ドイツに滞在して研修を行いつつコンサートにも通う予定でしたが、健康上のトラブルが原因でこの研修をキャンセルせざるを得ませんでした。

そのためかなり気分的に落ち込んでいますが、同時に少し時間的余裕ができたので駄文をまた連ねてみようかと思い立ったところです。

まずは近況から。

2009年8月~9月と2010年2-3月、8-9月にドイツとオーストリアに滞在し、いまどきのドイツ語事情を調べたり、オペラやコンサートに通いました。

中でも、2010年夏にザルツブルクで体験したモーツアルトのオペラの世界の影響は絶大で、「ナンセンス」と全く興味を抱いていなかったオペラにすっかりはまる羽目になってしまいました。

ドイツ語の世界にのみ閉じこもっていた私でしたが、モーツアルトのイタリア語によるオペラ(「コジ・ファン・トゥッテ」、「ドン・ジョヴァンニ」、「フィガロの結婚」---いわゆるダ・ポンテ三部作)によってドイツ語だけでは経験できない、太陽の光にあふれたイタリア的な明朗さと軽快さに感動しました。

ブラームスが書いた二曲のピアノ協奏曲を比べると、第一番が概して重苦しく、鬱々とした雰囲気に閉じこもっている(第三楽章はそうでもありませんが。)のに対し、第二番では重厚なドイツ音楽に明るい光が差し込み、ずいぶんと違った世界を体験させてくれます。

ああ、これがブラームスの「イタリア体験」の結果だったのだとあらためて感じさせられます。

今の私は、イタリアを体験した後のブラームスの世界とでも言えばよいかもしれません。

まず、言語的にドイツ語だけに拘ることをやめました。

新たにイタリア語を勉強し始め、オペラやリートの歌詞も独・英・仏・伊の4カ国語で読み比べるようになりました。4つの言語間の意味やニュアンスのずれは何ともしがたいですが、日本語と西欧語の間ほどの距離はないので、4か国語を同時に学習できて便利です。(しかし、何故か英語だけが他の言語と「時制」の概念において違っているのが気になって仕方がありません。)

他にもスエーデン語やオランダ語(オランダ語はドイツ語と英語の知識のある人にはほとんど内容が推測できてしまいます。)もぼちぼちやっています。

かくして私は言語的にも音楽的にも「多文化・多言語共生」環境に移りつつあります。

私自身大変喜ばしいと思っているのは、昔からの付き合いなのにあまり上手でない英語の世界に復帰できたことです。何しろザルツブルクで聴いた魅力的な声の持ち主3人全員が英語圏の国の出身でした。

3人の歌手と出身国を挙げると、ジェラルド・フィンリー(Gerald Finley)がカナダ出身、、サイモン・キーンリーサイド(Simon Keelyside)とクリストファー・モルトマン(Christopher Maltman)がイギリス出身です。

フィンリーは「ドン・ジョヴァンニ」のタイトルロールを歌い、その艶やかな高音(とてもバス・バリトンとは思えない高音です)、魅力的な中音、そして強く迫力のある低音で完全に私を魅了しました。この人の声は私にとってたぶん「理想の声」です。

キーンリーサイドは、トーマス・クヴァストホフの代役で「冬の旅」を歌いました。彼の持っているどこかノーブルな雰囲気にすっかりまいりました。ドン・ジョヴァンニとかアルマヴィーヴァ伯爵を演じてもなお気品のあるこの人、不思議なバリトンです。

そしてモルトマンは「コジ・ファン・トゥッテ」のグリエルモを歌いましたが、とろけるような高音と力強い低音で最高に楽しませてくれました。

この3人の歌手のおかげでイギリスやカナダ、そしてアメリカの作曲家の作品にもなじむことができるようになりました。

帰国後彼らのDVDとCDをamazon.co.ukから買いまくり、時間のある限り鑑賞しました。個々の感想はいずれ書きます。

話が脱線してしまいましたが、今の私にとっては音楽も言葉もドイツを中心にヨーロッパ、北米全体に広がりつつあります。できればアジアの国にもとっかかりを作りたいのですが、まだそのチャンスがありません。


今後さまざまな言葉について、感銘を受けた音楽について少しずつ書いて行きたいと思います。

ドイツ研修をキャンセルした副産物としてブログ更新となったのでした。

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