2012年6月18日月曜日

アウサン スーチーさんのノーベル平和賞スピーチ

一昨日の夜、台所の片づけをしながらテレビのスイッチを入れたところ、アウンサン・スーチー(Aung San Suu Kyi)さんのノーベル平和賞受賞スピーチが始まるところでした。

驚くなかれ、彼女が受賞したのは1991年。21年後まで彼女は受賞するために国外に出ることができなかったのです。

おそらくミャンマーの正装と思われる紫系の地味ながら美しい衣装をまとい、いつものように白い花を髪にさしてゆっくり、しかし力強く話しておられました。

心を打ったのは、彼女が自宅軟禁されていた時代、自分はもうリアルな世界の人間ではないと感じたくだりで、ちょうどスピーチ原稿が nobelprize.org に掲載されたので、引用ささせていただきます。

Often during my days of house arrest it felt as though I were no longer a part of the real world. There was the house which was my world, there was the world of others who also were not free but who were together in prison as a community, and there was the world of the free; each was a different planet pursuing its own separate course in an indifferent universe. What the Nobel Peace Prize did was to draw me once again into the world of other human beings outside the isolated area in which I lived, to restore a sense of reality to me.


私が自宅軟禁の身であった頃しばしば私はもはやリアルな世界の一部ではないように感じました。私にとっては、私の世界である家がありました。同じく自由でないけれども獄中でコミュニティーをなして一緒に暮らしている人々の世界がありました。そして自由な人々の世界がありました。そのひとつひとつの世界が、その互いに関係のない(indiferrent)無関心な宇宙(universe)の中で自分たちだけの孤立した道を進む異なる惑星でした。
ノーベル賞がが成してくれたのは、私が現実感を回復できるように、私を私が暮らしていた孤立した領域の外にいる他の人々のもとへ今一度ひきもどすことでした。(筆者試訳)




この後、彼女は自宅軟禁されていた「時間のたっぷりある」時代には、巧みに仏教的思想を使いながら彼女が人生に渡って学び受け入れた言葉や教訓(教え)について沈思熟考することができたと語りました。


そこでは、仏教的用語(「苦しみという意味の」「ドゥカ」(dukha))という概念をに取り入れながら孤独、引き裂かれた状態について語られていました。(この部分、時間があればまた訳します。)




この後、人権の大切さについて述べ、さらに"kindness"という語を使って次のように述べています。


 Even the briefest touch of kindness can lighten a heavy heart. Kindness can change the lives of people. Norway has shown exemplary kindness in providing a home for the displaced of the earth, offering sanctuary to those who have been cut loose from the moorings of security and freedom in their native lands.


ほんのちょっとした思いやり(kindness)でさえも、重い心を明るくしてくれます。思いやりは人々の人生を変えることができるのです。ノルウェイは、地球上で追放された者に家(home)を与え、故国における安全と自由という拠り所から切り離された人々にサンクチュアリーを提供することにより、良き(好例となる)思いやりを示して下さったのです。




と、ノーベル賞に対する感謝もきちんと述べられています。ただ、彼女の言うkindnessに対する良い訳語が見つかりません。




テキストは今しがた見つけたばかりなので、もう一度ゆっくり読み直します。


講演を聞いていて、何か熱いもの、そして大変強いものと同時に彼女のやさしさ(kindness)を感じました。人権思想は理屈だけでなく、ハートの問題でもあると感じました。




この講演はどうやら日本のテレビでは同時中継されなかったようですね。


私はたまたま CNN International で見たのですが、受賞コンサートなども中継され、貴重な番組をリアルタイムで見ることができませんでした。




授賞式にお出ましの国王ご夫妻はじめ、参列者の服装が地味でシックなのにちょっと感激しました。最近オペラ歌手のもろ肌を脱いだような派手で露出の多い服装ばかり見ていてうんざりしていたところでしたので。(笑)


おごそか、しかし穏やかなひと時でありました。




講演のテキストは以下のところで全文読めます。


http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/1991/kyi-lecture_en.html



2012年6月17日日曜日

アウンサン・スチーさんのノーベル平和賞1991が今日行われました。

夕食後片づけをしながらテレビのスイッチ(CBC International)を入れたら、アウンサン・スチーさんがノーベル賞受賞スピーチを行うところでした。 

我が家ではテレビをほとんど見ないので、彼女が1991年に受けたノーベル賞の受賞演説を今日行うとは全然知りませんでした。 

いや~、格調高い、力強いスピーチでした。全部わかったわけではありませんが、いずれスピーチは公開されるでしょう。 後半、公演中に何度か拍手がありました。

中でも"kindness", "compassion"と仏教的な思想に根ざした表現を私はあまり違和感なくすっと受け入れることができました。西洋人にはこの概念はちょっと理解が難しいのではないかと思いました。 

また追記します。

2012年6月15日金曜日

「一般人」とは?

松田聖子さんが、再々婚を発表しました。お相手は大学准教授の「一般男性」だそうです。他にもスポーツ選手が「一般の女性」と結婚したとか、皇室の方が「一般の人」と結婚する、など芸能人や皇室の方が「結婚」する相手が「一般」人という表現をよく見かけます。(ここでは「一般の男性」、「一般の女性」などの表現をまとめて「一般人」と呼ぶことにします。)

上のような意味での「一般人」とはどういう人なのでしょうか?

セレブやスポーツ選手、あるいは皇室ではない人のことなんでしょうか?対語は何でしょうか?「特殊人」、「特別人」でもなさそうです。むかし「パンピー」(「一般ピープル」の略)という語がはやりましたが、「非パンピー」?いくら何でも変ですね。

皇室の話だけはちょっと別にしましょう。なぜならば、皇室の場合は「一般人」は「皇籍にない人」という意味で使われていると思われるからです。

では、皇室以外のケースで「一般人」と言われる人は「何」でない人なのでしょう?

この「一般人」には一対一で当てはまる対語がないように思います。ケースバイケースで「一般人」の対語は変わってくるようです。「スター」、「セレブ」、「芸能人」、「スポーツ選手」など名の知れた人であればいずれも「一般人」の逆たりえるようです。メディアに露出している人たちです。

今思いついたのですが、世界を驚かせるような能力をもった「ハッカー」が結婚する場合、やはり「ハッカーの○○氏、一般女性と結婚。」となるのでしょうか。

さらに、極悪犯罪者が「一般の女性」と獄中結婚する、と言いますか?いや、「支持者の女性」と獄中結婚でしょうか?そういえば死刑囚詫間守は獄中結婚していました。ちょっと調べてみたら、相手は「支援者の女性」となっていました。

考えれば考えるほどわからなくなって来ました。

世の中に特別強い影響を及ぼすことのない人を一般人と呼ぶのでしょうか?

いやちがう!「一般人」とはプライバシーの一応ある人のことではないでしょうか?

有名人、ことにメディアに露出している人はプライバシーなんてないでしょう?その逆の立場の人が「一般人」では?

考えれば考えるほどわからなくなるので、そろそろやめます。

しかし・・・「オタク」の対語として「一般人」ということがありませんか?

今日はこの辺にしておきます。

malte@k2r.org