2023年11月24日金曜日

時給500円のアルバイト

  学生時代私は授業以外の時間のほとんどを図書館(東京外大は入学当初は「図書室」しかなかった)で過ごした。学部の1, 2年の頃は授業が多くて一日教室を渡り歩いていたが3年生からは空き時間も増え、外に出たとて遊びに行くような場所も気のきいたカフェもなかったので図書館は冷暖房完備の過ごしやすい場所だった。


 加えてラテン語や中世ドイツ語など(当時)まともな辞書がなかったので図書館にある「禁帯出」の大辞典の類をほとんど私物化していた。


 ある時カウンターに本を返しに行ったら窓口の人に声をかけられた。


 「よろしければカウンターの反対側に座ってみませんか?」


 何かとおもったら図書館の窓口の仕事をバイトでやらないかという話だった。窓口は昼休みと休憩時間はこむもののそれ以外の時間は比較的ひまなので本を読みながらバイトできますよという「いい話」だった。ただ、時給が500円 (!) とものすごく安かった。40年以上前のことなので(時給5000円の家庭教師をやっている学生がいるとは知りつつも)悪くないオファーだと思って引き受けた。私はあの図書館の匂いがけっこう好きだったことも一因だった。ちなみに以前にSNSでずいぶん盛り上がった話題で、「本屋に行くとトイレに行きたくなる。それも(大)のほう」というのがあった。理由はいまだにわからないけれど、たぶん「落ち着くから」ではないかと思う。


 そんなわけで図書館が好きだったので安いバイトをやることになった。このバイトは4年生のときに始め、途中1年間の留学をはさみ、大学院の一年時までやっていた。お金稼ぎというより趣味でやっていた。


 いろんな言語専攻の学生さんや先生がやってくるので時々おしゃべりをしてコトバの世界の不思議について考えた。元東外大学長の徳永康元先生のご厚誼にあずかったのも図書館のご縁であった。


 窓口業務だけでなく事務所や書庫での仕事も引き受けた。事務所で面白かったのは IBM の「セレクトリック・タイプライター」 (Selectric Typewriter) という電動タイプライターがあって、ゴルフボールのようなものを取り換えることによって数十か国語を入力でき、これでドイツ語やフランス語だけでなくロシア語など当時のタイプライターにはあまりなかった文字も打つことができたことだった。このタイプライターではけっこう遊ばしていただいた。意味もわからずにロシア語の図書カードを作ったりした。そういえば韓国朝鮮語もあったっけ。(ちなみに東京外大では今はどうか知らないが当時は「朝鮮語」という名称が使われていた。私が2019年まで勤務していた大阪大学でも「朝鮮語」という名称だった。)


 もうひとつ図書館の重要な業務として閉架式の書庫に返却された本を戻しに行く作業があった。移動用のカートに本をぎっしり並べて地下の書庫に行き、1-2時間かけて本を並べなおす。単調な仕事だったが書庫にいるのは私ひとりだけだったので音楽を聴いても良いことになった。


 その時にカセットに収めておいたLPの録音をラジカセでまさに大音響で聴いた。最初はピアノものをよく聴いていたがそのうちにオーケストラ音楽も聴くようになった。


 もともとあまり交響曲に詳しくなかった私にとって例外的だったのはブラームスの作品だった。バイオリン協奏曲二長調と交響曲第4番ホ短調が大のお気に入りだった。バイオリン協奏曲はヘンリク・シェリング独奏、ベルナルト・ハイティンク指揮のコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏、交響曲第4番はヘルベルト・ブロムシュテット指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏だった。前者は今でも音源が容易に見つかるが、後者はなぜか見当たらない。同じような時期にブルックナーの4番、7番も録音されているのでぜひともブラームスも復刻してほしい。日本で出ていたのはDENONのプレスだった。


 さて、最後に「音楽」に無理やり話をこじつける。


 私が本気で交響曲の生演奏を聴いたのは何と50歳を過ぎてからのことで、2010年8月、ベルリンフィルのシーズンオープニングコンサートの折だった。学業を終えてから28年間ドイツにご無沙汰していた私が一念発起してドイツ(主としてベルリン)に一か月余り滞在した年のことである。この時以来私はオーケストラ音楽の虜になった。


 その話は脱線してしまうので別の折に書くことにして(というかFacebook 友達はみなさんご存知なので)、生のベルリンフィルの音は強烈だった。うまくチケットが取れなくてオーケストラの後ろのしかも2階席(サントリーホールで言うとP席の上のほう)だったので打楽器の音がすさまじくて体が吹っ飛ぶかと思った。


 話を戻そう。今ベルリンフィルが来日中で今週の日曜日まで東京公演が行われている。私は病人でリタイアした身のくせにベルリンフィルのチケットは取った。一枚は自分で、そしてもう一枚は夫の奢りで。(笑)


 上に述べた安いバイト時代に耳がタコになるほど聴いたブラームスの交響曲第4番は今回の演目のひとつである。公演最終日の11月26日に聴く予定なのでもう楽しみで夜も寝られない・・・というわけではないが寝ても覚めても頭の中でブラームスの4番が鳴っている。


 すでにベルリンフィルのデジタルコンサートホール(以下 DCH)でベルリン公演の演奏を聴いたが録音と実演は異なる。数日前聴いた別のプログラム(マックス・レーガーと R. シュトラウスプロ)だってあらたに驚き感動したところが山のようにあった。


 今度の日曜日、どんな演奏を聴かせてくれるのだろうか。何しろブロムシュテット、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏が脳裏にしみついている私なので違和感を覚えないだろうか。



 学生時代の安いバイトの話から突拍子もなく飛躍してしまった。でも最後は音楽ネタにしたかった。


 こんな感じで6年ぶり (?) にブログを更新することにした。これから先続くかどうかわからないがぼちぼち思いついたことを書いてみたい。

 

6年ぶりのブログ再開


 2009年に始めたこのブログ、何度か中断し2017年で止まってしまっていましたがゆっくり再開しようかと考えています。

  再びブログを綴る前にかつてブログを更新していた時期から現在に至るまでの私の境遇の変化を語っておかねばなりません。なぜならば居所、職業、日々の活動がすっかり変わってしまったからです。

  そもそもこのブログは授業の教材用(受講者のみに公開)として始めたものでしたが、折にふれ音楽や言語に関する私の関心についても記していました。ブログと並行してFacebookにも日々の思いを綴っていましたが2014年頃からブログから離れ、「友人および友人の友人までに公開」のFacebookに完全に移行してしまいました。ある程度限定されたメンバーからのコメントを有難く拝読していましたが、このブログでコメント可能するかどうは現在未定です。

  2011年から2013年のブログ記事には私の海外音楽紀行からいくつか掲載されています。この海外音楽紀行は2010年に始まり、年一回1か月程度(時に年2回)主としてドイツ(ベルリン)とオーストリア(ザルツブルク)に滞在した際の記録ですが2014年以降はFacebockのみに掲載しました。音楽紀行は2019年春のドイツ研修(2か月)で終了しました。 

  私は健康上の問題や家庭の事情などから2019年9月で大阪大学を早期退職し、2020年2月に東京にもどって来ました。ちょうどコロナ禍の始まる頃でした。2021年以降体調不良が続き、2022年には一か月余り入院し、間質性腎炎と診断されました。その後も不明熱に苦しみ、2023年2月に転院したところ国の指定難病のひとつである「シェーグレン症候群」(膠原病の一種)と診断され目下治療とリハビリに励んでいます。糖尿病持ちでもあるので食事の管理がとても大変です。 

  この春頃から大阪時代28年間ほとんど封印していたピアノ演奏を再開し、体調の良い時に短時間練習しています。

  音楽のこと、言語のこと、食事のことなど時々書いていきたいと思っています。よろしくお願い致します。

2017年5月13日土曜日

グランドピアノ vs アップライトピアノ


 ちょっと面白い発見があったので書きます。
 相変わらずピアノを弾く余裕のない日々を過ごしています。先日ものすごく久しぶりにピアノに向かいました。ショパンのノクターンOp.32-1,2(3月末にグリゴリー・ソコロフがアンコールで弾いて深い感銘を受けた曲。)やらマズルカ(技術的にはやさしいものの、どう弾いていいかわからず,
いつかショパンの専門の先生に習いたいです)、それに「月光の曲」。さすがに第3楽章は難しいのでちょっとなぞるだけにして、最後に第一楽章を通しました。この曲は指の訓練のために第3楽章はちょくちょく練習していたのですが、第一楽章を弾くのは30年ぶりぐらい。今持っているグランドピアノ(YAMAHAの中型で、たいした楽器ではありません)で弾くと、自分でも驚くほど音色が綺麗で、そしてペダル2本の使い分けで微妙な響きを表現できました。え!「月光」の第一楽章って、こんなに奥行きが深くて幻想的だたっけ!あと、うまくブレスを入れることで平板にならず、弾いていて初めて「うまくいった」と感じました。以前はどうもこういう遅い曲は表現が難しくて苦手でした。

 ピアノの蓋を何か月ぶりかであける時、上半身の重心を少し前において両手でEs(変ホ)の音を4オクターブのユニゾンで叩きたくなります。でも、今は「オット~、だめよん!」です。
 「英雄ポロネーズ」は昔は私の名刺代わりの曲だったのですが、何十年もきちんと練習していないので肩も腕も手も弱っています。あと、腰をいためているのでこの曲は私には負担が重すぎて途中で左手の二の腕がつったり、肩が痛くなるのです。もっと腕と足腰を鍛えて、体に力をつけてから再度チャレンジします。

 あと、ソコロフがアンコールで弾いたショパンのノクターンは、私が1970年ころに買った全音の楽譜の解説には「作品32の2曲は比較独創性に乏しく、あまり演奏されていない」と書いてありますが、それは45年前の話でしょうね。独創性が乏しいだなんてとんでもない。ショパンならではの個性(ただし、比較的単純)を感じさせる名曲です。私は昔からこの2曲がとても好きでした。Op.32-2はバレエ音楽「レ・シルフィード」でも使われた曲だと記憶しています。Op.32-1に関してあえて難を言えば、左手の伴奏に右手が乗るという単純な構造で両手が単音で大きな盛り上がりを作るとき、どうしてもテンポをいじらないと表現できないことです。内声部に何かほしかったところです。

 ピアノで嬉しいことは、何歳になってもそれなりに弾ける曲があることです。70歳になってもたぶん「月光の曲」の第1,第2楽章は弾けるでしょう。でも第3楽章は無理かも。やさしくて美しい曲をさがすこと、また筋力をつけることが目下の私の課題です。

 でも、アップライトとグランドでこれほど「月光の曲」が違って聞こえるのですから、スタインウェイやベーゼンドルファーなどで弾くとどんな素晴らしい音の絵巻を紡ぎ出すことができることでしょう!

「アルトゥール・ルビンシュタイン・国際ピアノコンクール」


 先ごろ行われた上記のコンクールの映像を見ていました。入賞者の発表が、もう長いしいろんな人が話をするし、しかもほとんどヘブライ語で、英語はほんのちょっとなので見ていてじれましたが、やっと優勝者がわかりました。


 聴衆賞とか室内楽賞とかいくつかの賞を授与されたシモン・ネーリングが優勝しました。
 おめでとう、シモン君!

 一昨年のショパンコンクールで本選まで行って選外になってしまったけれど、顔はまだ幼いところが残っているものの、手が大きくて割と余裕のある演奏をするシモン・ネーリングは見込みあり、と期待していました。

 ショパンコンクールでは、本選で(へたくそな)指揮者と妙にうまく協調できて、地元の強みだと陰口を言われたシモン君ですが、私はポロネーズはとても素晴らしいと思いました。選外になってしまったのが本当に残念でした。

 あれ以来1年半以上すぎ、幼い感じがちょっと大人になった印象を得ました。ああ、よかった、私が「この人!」と思った人がテル・アヴィヴの地で優勝できてうれしい!
いつかネーリング君をライブで聴きたいです。


https://www.youtube.com/watch?v=sND3Sa9WKRI

2017年5月10日水曜日

訳文を配ってほしいという要望


 私のドイツ語の授業では出席をGoogle Formを使ってとっている。学籍番号、学年などのほかに、「今日のキーワード」という欄を作り、その場で私が口頭で言う単語を書き取らせているが、2年生では単語ではなく、一行作文をさせている。たとえば、「連休に何をしましたか?」(これが今日の課題)。辞書、教科書、参考書など何を使ってもよい。

 まず一年生に書き取らせる単語は授業の復習あるいは予習をしていないと書けない単語なので、ここでもたもたする学生は予習・復習ができていないことがわかる。出席フォームにはタイムスタンプがつくので、誰が早く、あるいは遅く提出したかわかる。

 2年生の場合は一年生で学習した文法力が身についていないと即答できない。
実はこの出席フォームを見ただけでだいたいその学生の学力がわかってしまう。去年一年間の経験では、成績と出席フォームを提出するタイミング、そして作文の正確さとがきれいに一致した。(だから本当はあまり試験など必要ない。)


 この出席フォームには、意見や質問を書き込む欄を作ってある。2年生ではどのクラスにも全く同じ「要望」を書く学生が一人か二人いる。

 その要望とは、

 「本文の和訳をプリントして配布してほしい。」

というもの。

 私はたいていの要望には応えるようにしている。練習問題の解答集を作成したり、発音の難しい単語を録音して授業用サイトに掲載したり、たいていのことには対応する。しかし、和訳を配布せよ、という要望には断固応じない。

 なぜか?

 これはクラス全員に必ず説明することにしている。

理由はこうだ。

 「独文和訳に限らず、翻訳は<解釈>です。ドイツ語で書かれた内容をできるだけ忠実に日本語に書き換えるように努力しているけれども、違った表現もあれば訳し方もカチカチの逐語訳からなめらかな意訳もあり、意訳では逐語訳をみてドイツ語と日本語がどう対応しているかわかりにくい。私は訳すならできるだけ読みやすく、日本語らしい訳を作成する。その訳を見て、諸君は元のどの語がどう日本語に訳されているか、あるいは言い換えられているかわかるだろうか?また、文法的に文の構造がはっきりわかるだろうか?おそらく諸君はその辺を確認しないまま渡された和訳を丸暗記して試験に臨み、運よく暗記していたところが出れば一気に頭の中にためておいた訳文を書き出すだろう。そして試験が終わるときれいに忘れる。それでは一学期間授業内、授業外の学習で時間をかけて勉強したことが無駄になるではないか。ドイツ語は単位をとれただけでよいというものではない。たとえかすかでもドイツ語の印象(簡単な挨拶や文法の型、たとえば平叙文では動詞は文の要素として必ず2番目に置くとか、独立文でない副文で動詞は文末に来るとか、助動詞があれば本動詞は文末に置くとか、だいたいの構造、それに加えてドイツ語圏の国々に関する紹介や雑談)が頭に残らないと1年半から2年間ドイツ語に費やした時間は無駄である。少しで印象が残っていれば再び学習するのが大変容易になる。

 ドイツ語から日本語へのカチカチの直訳および、ドイツ語のどの語をどう訳すかについては授業で丁寧に説明している。質問があれば常に答えている。
 しかも授業はすべてビデオで撮影され、音声もきっちり入っている。わからないところはビデオで確認すればよい。あるいはメールでまたは直接私に質問してもよい。

 それでも訳文の配布を求めるならば、私は初めから訳文を配っておいて、授業中は質問を受け付けるのみにするだろう。あるいは使われている文法事項のみを説明する。どうせ訳を配るのだから。しかし、そんなものが教育と言えるだろうか?

 授業で書き写した訳文やノート(ノートを取らなくても、授業中に板書=iPad上のアプリのメモに書いたことやあらかじめ作成しておいた資料は全員に電子的に配布してスマホやコンピュータで見られるようにしてある。)を参照してわからなければどうぞ質問してください。」

 この私の言い分は屁理屈だろうか?本文書はFacebookで「全体に公開」のみならず、長らく更新していなかったブログにも掲載するつもりだ。

 異論あらば、学生さんのみならず、どなたでも私に言っていただきたいと思います。(あ、決して喧嘩腰ではありません。ご意見を賜りたいだけです。偉そうに書いてすみません。)

宛先は malte@lang.osaka-u.ac.jp です。

PS: 以前に勤務していた大学で他の先生から伺った話です。

「空爆でその町は一夜にして瓦礫の山となった。」

これをクラスの大半が試験で、

「空爆でその町は一夜にして枯れ木の山となった。」


と書いたそうです。誰かの訳をコピーしてまわした結果ですね。どうして空爆で町が「枯れ木の山」になるなどというあり得ない話を平気で答案に書いたのでしょう?

ブログ再開

何年間かブログを更新していませんでした。その間、ドイツ語教育の話、音楽の話(これが大半)、外国語にまつわる話をFacebookに書いていました。

 久しぶりにブログに戻ってきました。
時々更新しますので、どうぞまたご贔屓のほど、お願いいたします。

2014年10月24日金曜日

ユリアンナ・アヴデーエワのプロコフィエフと井上道義指揮大フィル

 今日はフェスティバルホールまで井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に行って来ました。前半はショスタコーヴィチ、ロシアとキルギスの主題による序曲、作品115およびユリアンナ・アヴデーエワのピアノ独奏を加えて、プロコフィエフ、ピアノ協奏曲、第3番、ハ長調、作品26、そして後半はチャイコフスキー、交響曲第4番、ヘ短調、作品36というプログラムでした。

 井上道義さんは今年4月に喉頭がんの診断を受け、長らく治療を受けておられました。その地獄のような闘病生活を何度かネットで読み、心底はやく元気になっていただきたいと祈りました。

 その井上さん、舞台に登場するなり両手を大きく開いてとても嬉しそうになさいました。一曲目は知らない曲でしたが、井上さんは途中から踊りだしました。そんなに踊ると指揮台から落ちるよ、と言いたかったぐらいでした。

 次に、ショパンコンクールで女性ではマルタ・アルヘリッチ以来45年ぶりに優勝を勝ち得たロシアのユリアンナ・アヴデーエワがピアノを独奏しました。

 プロコフィエフといえば、私には鋼鉄のイメージがあり、ピアノ協奏曲も鋭いタッチと大音量でもってガンガン突き進むというイメージがありました。最近ケント・ナガノ指揮のモントリオール交響楽団、そしてベレゾフスキーのピアノでプロコフィエフの第2番を聴いたばかりです。ベレゾフスキーはとにかく大音量と鋭い打鍵でもって押しに押しまくり、その超絶技巧でもって聞き手を圧倒しました。オケは完全に背景に退いていた感じでした。「協奏」のイメージはほとんどありませんでした。

 それに対し、アブデーエワのプロコフィエフは、品格があり、音も巨大ではないけれどしっかりした打鍵で安定した演奏を披露してくれました。中でも、彼女のピアノはオーケストラと対話を交わし、非常に親密な部分もあれば、オケと競い合う部分もあって、「協奏曲」として聴きごたえがありました。

 プロコフィエフでもアグレッシブに弾くばかりではなく、詩情を感じさせる珍しい演奏でした。フィナーレの追い込みは迫力十分で、聴き終えて「ブラヴォー!」と叫びたくなりました。

 しかしこんな日に限って関西名物(?)「ブラヴォーマン」がおらず、客席の反応は熱狂とまでは行かず、私としては残念でした。

 アヴデーエワは、服装も演奏スタイルも地味で、上半身裸同然の衣装で出てくるのではなく、きっちりした黒のパンツスーツ姿(でも上着の後ろがちょっと燕尾服に似ていてマニッシュな魅力あり!)、演奏時も意味ありげに体をくねくねさせることもなく、上半身はほとんど前後左右に揺れることなく、無駄な力が入っていませんでした。

 この人が経歴の割に日本でもうひとつ人気が出ない(東京で半額チケットがすでに出ているという話を聞きました。)のは、地味なルックスとその演奏スタイルにもあると思います。

 演奏スタイルは、とにかく音が美しく、モーツアルトを弾いてもひとつひとつの音がよく分離し、かつしっかり響き、プロコフィエフでも音が確実に鳴っていて、明晰きわまりないのですが、やたら強打したり、異常なスピードを出すことなく、作品と対話を交わすように丁寧に弾くスタイルでした。

 一昨年の3月に彼女が来日した折、演奏会に行く予定だったのですが、論文の締め切りと演奏会が重なり行けませんでした。後日その演奏会の録音をNHKの「ベストオブクラシック」で聴き、演奏会を逃したことをひどく後悔しました。その時に気づいたのは、不思議なほどよく響く音と全く大袈裟ではないけれど迫力にも欠けず、非常に詩情に富んだ深いニュアンスをたたえた演奏であったことです。ラヴェルの「ソナチネ」で、こんなエレガントで優しい演奏ははじめてだと感心したことを覚えています。

 今日は楽屋に下がろうとしたところ、井上さんに押し戻されて(笑)、アンコールを一曲。ショパンのマズルカ、二長調、Op.33-2を快活に、そしてエレガントにそして最後は華麗に弾いてくれました。

 この演奏会、前半だけでも十分に満足できました。しかし、後半にはさらに凄いものが待っていたのです。

 チャイコフスキーの交響曲第4番、これは井上さんの入魂の一曲でした。終演後井上さんはマイクをとり、少しおしゃべりをしました。その時に、「よく練習した!」と繰り返しておられました。その練習ぶりがよくわかるオケが一丸となった内容の濃い演奏でした。

 これを聴いて、井上道義さんは本当にがん治療という地獄から完全に生還したのだと感じることが出来ました。

 どうか井上さん、元気でご活躍ください。

 そしてアヴデーエワさんには、残る日本公演(地方公演が多くて移動が大変そうです。)において彼女の実力にふさわしい評価を得られることを祈っています。