2012年9月28日金曜日

ドイツの税関、恐るべし!

先日堀米ゆず子さんのバイオリンがフランクフルト空港の税関でひっかかり、押収されるという事件がありましたが、ガルネリの名器はご本人のもとにもどることになったときき、ほっとしました。

さて、私も今回の旅でドイツの税関をめぐってちょっとしたトラブルにあいました。

一回目は、出発前に自分でオルデンブルクの友人宅に送っていた小包2つのうちひとつが「不達」になってしまいました。

EMSで送ったため、トラッキングしてみたところ、「不達のためオルデンブルクかブレーメンの郵便局に持ち帰り」となっていましたが、これはあり得ない話でした。

友人宅では、郵便配達の人に自宅の鍵を預けており、不在の時は家の中に小包を置いてもらっていました。また近所4軒すべてが友人の旦那さんの兄弟の家で、休暇中などはその家族が荷物を受け取っています。

なのに一箱だけいつまでたっても届かないので不思議に思っていたら、税関から連絡があり、出頭せよとのこと。

次に私が電子辞書を忘れて来たのと、風邪薬が足りなくなりそうになったので、夫にオルデンブルクあてに送ってもらったところ、ふたつとも荷物は届かず、トラッキングしてみるとまたしても「郵便局に持ち帰り」という謎の表示が出ました。

これはもしかして・・・と思い、税関に電話を入れてみたところ、やはりそこで留め置かれていました。

結局4つ送っEMS便のうち3つがまともに届かなかったのです。

以前こんなことはなかったので驚きました。

では、原因を順番に書きます。

1. 最初に自分で送ったもの:なかみは秋冬用の衣類と下着。

これは、日本の郵便局から荷物を発送した後、輸送の途中で伝票の一部が剥げ落ちて、「書類不十分」であったため配達されなかった。

2. 夫に送ってもらった電子辞書:

私が普段使っている電子辞書が少し古くなったので新品をアマゾンで購入して、それを送ってもらいました。購入価格3万円ちょっと。破損をおそれて開梱せず、箱入りの新品をそのまま送り、invoiceに価格を300ユーロと正直に記入。

ところがドイツでは175ユーロ以上の品物には関税がかかるのです。このことを夫も私も了解はしていましたが、箱から出して何度か使い、「中古品、価値なし(No value)」と書いてもおそらく見破られるだろうと思って正直に申告したところ、予想通り課税されたわけです。官吏の目の前で開封させられ、55ユーロほど課税されました。

3. 夫に送ってもらった漢方の風邪薬(麻黄附子細辛湯ーまおうぶしさいしんとう、ツムラのエキス剤)

これもなかみについて"chinese medicine for colds"と記入したので、「一切の薬物をドイツに郵送してはならない」というドイツ側の規定に抵触し、「放棄」するか、「送り返す」かのどちらかを選択せよというので、「送り返す」ほうを選んだのですが、一か月たってもまだ戻って来ません。

というわけで問題なく届いた荷物はひとつだけで、ひとつは書類不備について注意されただけで返され、ひとつは関税を払った上受け取り、ひとつは事実上放棄しました。


そこで思うこと。

正直者はバカか?

電子辞書の価格を170ユーロと偽って書いておけば課税されなかったのでしょうが、私はこの手の虚偽の申請をするのはこわくてできません。

漢方薬を "Supplement" と書いてもらえばよかったかもしれないかどうか?

おそらく、本当にサプリメントなのか税関の官吏の目の前で開封させられ、どうやらサプリではないことが発覚したでしょう。

ドイツの税関を通るなら、本人が通るにしても荷物が通るにしても、書類はきちんと書いておかねばなりませんね。虚偽の申告をした場合、没収、罰金、あるいはそれ以上の措置が待っているかもしれませんから。

帰国時に3つ送った荷物のうちひとつがほかの二つと一緒に届かなかったので、もしかして税関で何かあったのかと思いましたが、無事遅れて届きました。

菓子、実際に着た服、本、日本から持って行った下着などにオードトワレ(薄い香水とでも説明しておきます。香水と違って100mlまで非課税です。)100mlがはいっており、申告する必要のある品はありませんでした。


私は税関をごまかすことができるほど頭が良くないので、正直に関税を払い、輸入禁止物は放棄しただけです。



2012年9月17日月曜日

帰国しました。


帰国しました。

フランクフルトでまた無駄に歩き回りましたが、無事大阪行きLH740便に乗れました。

目下時差ボケと疲れでぼんやりしています。

旅行の成果は音楽の面では十分でしたが、勉強の面ではやっと手がかりがつかめた程度で、これを基礎に更に研究しなければなりません。どうも外国語教育に関して私には強い思い込みがあったように思います。

ベルリンで足を傷め、あまりに痛さに骨折を疑って(何しろ私の左足は2002-2008年の間に3回骨折しているのです)、朝一番に整形外科に飛び込み、麻酔と痛み止め注射を打ってもらい、さらにサポーターと靴の底敷きを特注で作ってもらいました。一週間治療を受け、少し回復したのでまたあっちこっちに調べものや買い物に出かけていたら今度は足首を痛め、さらにふくらはぎがひどく痙攣して再び整形外科行き、検査、麻酔注射とになりました。

ベルリンであまり歩けなかったのが残念でしたが、元気であれば朝から晩まで出かけて、その結果疲れ果てて別の病気を発病していたかもしれないので、この怪我は私にはほどほどの抑制になりました。

過去3回のベルリン滞在では旧壁地域東側の廃墟の残る場所に宿をとっていたので、街のきたなさと、不便さ(その地域はサブ・カルチャーの中心地で、私とはほとんど縁のないものばかりでした。郵便局もスーパーもなし。でも中央官庁まで電車で2駅!)で、もうベルリン行きはやめようかと思っていたのですが、今回はじめて旧西ベルリンの中心地シャルロッテンブルク(厳密にはクーダム)に宿を取り、快適な都市生活を送ることができました。

第二次世界大戦時、空爆で建物の上半分が吹っ飛んでしまった「カイザー・ヴィルヘルム教会」のすぐそばに投宿しました。実際には教会は再建されて礼拝も行われていますが戦争を忘れないために教会の廃墟は残されました。

しかし、上記の教会の廃墟も老朽化したため改修工事中で塔の8割ぐらいの部分まですっぽり覆われて、てっぺんだけしか見えませんでした。

私は「崩落の可能性のある」廃墟の下のギャラリーで、この街と教会の写真と歴史的記述をみて、涙を流しました。

そして、新しい教会堂の中で長く瞑想に耽っておりました。

書きたいことはたくさんありますが、とりあえずは帰国のご報告まで。

2012年9月6日木曜日

音楽、演劇、舞踏、映像の世界の融合


ザルツブルクとベルリンで感じたこと。音楽、演劇、舞踏、映像の世界がきわめて接近してこれら4つの要素がひとつの公演をなしている。

今日Stage Theter des Westensでミュージカル"Tanz der Vampire"(「吸血鬼の踊り」、日本でもやっていますよね。)を見てそう思いました。

芸術をジャンル分けするのはもはや簡単でないというかあまり意味がないように思います。オペラやミュージカルでは、パフォーマーにはこの少なくとも2つか3つをみたす能力が求められるので日ごろの練習はただ事でないほどハードだろうと思います。

ザルツブルクで観た「ナクソス島のアリアドネ」にしても前半はほとんどが演劇と舞踏を伴い(もちろんプロのダンサーも出てきて見事な踊りを披露してくれましたが)、歌手自身がものすごく踊りがうまくて仰天しました。帰国したら歌手の名前や経歴について書くつもりです。

後半はあの強烈なコロラトゥラさえなければ、観ても、聴いても楽しくてたまらない強烈な公演でした。

ベルリンで足を負傷して苦労しています。


今日はホテルの近くにあるベルリン工科大学の人文科学系の研究所に行き、その先生やアシスタントの方々とお会いしました。

最初に迎えてくれた女性と1時間半ほど話した後、彼女の同僚の教員と一緒に「一心亭」という日本料理店になぜか寿司を食べに行きました。海外の日本料理店はにせものが多いのですが、ちゃんとした太巻きをいただくことができました。

午後は研究所の図書館を案内してもらったり、メディオテーク(コンピュータやそれを使った教材などをそろえた総合的な自習室)に連れて行ってももらいました。

整形外科に行く必要があったので(足を骨折までとは行かないまでもかなり負傷してしまったからです。)今日はメディオテークで調べ物をするのを諦めました。

明日から大学と整形外科に通います。

せっかく旧西ベルリンの中心街の最高の場所に宿をとりながら、ほとんど歩けないのが大変残念です。10-15分歩けば、あるいはちょっとバスに乗ればベルリンの西側の名所に簡単に行けるのに、カタツムリのようにしか歩けないのが情けないです。

今回は地下鉄、バスの路線、さらに街の風景をgoogle mapsで十分に予習して行ったのですが、見えてはいるがたどり着けない、まるでカフカの「城」のような世界にいます。

明日また整形外科で診察です。傷めた個所を庇うあまり足首が猛烈に痛くなってしまいました。

外出困難な場合は徒歩5分ぐらいで行ける「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」(何と目下改修中ですっぽり覆われています。)の礼拝堂で瞑想でもしましょう。

夕方テレビを見ても面白くないので本来なら徒歩10分ぐらいのところにある「西側の劇場」(Theater des Westens)にミュージカル、「バンパイアの踊り」を見に行きました。いやはや、それはまあ豪華でタカラヅカも顔負けの歌と踊り、そして映像を堪能させてもらいました。

その時に思ったことをブログの次の記事として書きます。

2012年9月3日月曜日

ベルリンに来るなら。


ベルリン3日目。

天気は良いものの、日陰は寒いぐらいで私はセーターに上着を羽織っています。しかし、日が照ると暑くて大汗をかきます。こういう気候は苦手です。

書きたいことはあふれるほどあるのですが、なかなか時間がないのと、風邪をひいてしまって調子が悪いので最小限のことを書きます。

観光旅行に行く場合、どこそこで何を見て、どこのお店で何を買って、そしてどんなものを食べるか、などと前もって考えますよね。

ベルリン観光をするのに目的地を決めてしまうとけっこうがっかりする可能性があります。

ベルリンではいたるところで工事(それも大規模)をやっていて、お目当てのものは見られないかもしれません。

2010年に来た時は「勝利の塔」が補修工事中ですっぽり覆われており、今年はかつての西ベルリンの象徴であり、ドイツの歴史、文化に興味のある人ならおそらく誰もが訪れたであろう「カイザー・ヴィルヘルム教会」の半分空爆で吹っ飛んでしまった廃墟が改修工事のためすっぽり覆われていました。

旧西ベルリンといえばあの廃墟を保存し、新しくモダンな鐘楼と礼拝堂を作ったカイザー・ヴィルヘルム教会が何と言っても一番有名なのではないでしょうか。ちなみにこのあたりを「クーダム」と呼びます。

私の宿泊しているホテルの筋向いのホテルに至っては、クーダムの教会のある景色の見える部屋はお値段が20ユーロぐらい高かったと思います。

とにかく、ベルリンは廃墟から立ち上がった街ではあるのですが、まだまだ復興に向かって前進の途上にあるのです。

一昨年、去年私が宿をとった中央(ミッテ)地区のホテルの周囲も工事場だらけ、大きな廃墟も残っていて、壁という壁は落書きだらけというすさまじい状態でした。でも官公庁街まで歩いて行ける距離でした。

今日私はカイザー・ヴィルヘルム教会を訪れました。すっかりショッピング地区となってしまって、まだまだ大規模な商業施設が建築中のクーダムの中でこの教会の博物館(写真が多数ディスプレイされています。それを見ると戦争の愚かしさがわかります。)をまわり、新しい礼拝堂---見事なブルーのステンドグラスに囲まれた塔---に入りしばらく想いに耽っていました。

礼拝堂のキリスト像を見たとき、何か強烈な力にすっぽりと包まれました。大きく手を広げて私を招いてくれているキリスト像には抗いがたい力があります。そしてほんの数人しか人の入っていない礼拝堂で一生懸命祈りました。

いつ私に最後の時が来ても、私を見捨てないでください。信仰というのはその原理について難しいことを考えるものでも、適当なエピソードで面白く物語るものではなく、心の底に最後の砦として護っておくものだと思います。涙がポロポロとこぼれてきてハンカチで拭いました。

さすがに観光客も少なく、誰ひとり大きな声でしゃべっている人はいませんでした。大声をあげられるような雰囲気ではありません。後ろでさかんに写真をとっている日本人あるいは隣国の男性が変に目立っていました。

教会の廃墟は残念ながら見えません(中側から少しみられますが、崩落の可能性があって危険なので全体像は見られません。)

あの廃墟と化した塔を見ることはなかったけれども、大変深い感動を覚えました。また明日も行くかもしれません。今回クーダムにホテルをとって良かったです。

しかし、あの廃墟を改修して保存しようというドイツ人の心意気にも感動致しました。永久にベルリンは発展の途上にあるのかもしれません。

名所旧跡を見るなら、心の目で見たいものです。