2013年5月13日月曜日

ハイパーテクストの堕落

今学期は2クラスの授業をCALL教室でやっています。

そのうちひとつのクラス(2年生)では市販の教科書をつかわず、Detsche Welle の提供している豊富な教材からひとつ、「ベルリンの壁崩壊」を選んで使っています。

この教材にはテーマが15あり、読み物や教師用指導要領、練習問題などがついています。

小テーマごとに過去のインターネットの記事がリンクされていているので参照すればより深く、詳しい理解が促されます。ただ、学部2年生にはやや難しすぎる感じがします。

あと、ビデオや歌が掲載されていて、これも教材として使えます。

私は授業用ブログを作っているのですが、今ちょっと困っています。

昔私がホームページを始めた頃(1996年)、htmlはすべて手書きでした。文書のはじまりと終わり、ヘッダー、タイトルなでことごとく手動で書き込んでいました。

その時に便利だったのは、リンクをどこにでも貼ることができたことです。

自分のホームページの中をあっちこっち移動したり、よそ様のホームページにお邪魔したり、ハイパーリンクを使って非常に参照しやすい構造の教材を作成することができました。

ところが、そのうちに手動でhtmlを書く人は少なくなり、ホームページ作成ツールが一般に使えるようになりました。その手のものを使ううちに html の書き方をかなり忘れてしまいました。

最近ではブログを授業に使っていますが、ブログはあっちこっちにリンクを貼って参照するようにはできていません。仮に私が4月28日の授業で4月14日の授業のある一部に言及しようとしても、その部分にマーカー(ポインタ)を埋め込んで、直接その部分に飛ぶことができません。

せいぜい該当する記事のあるブログのURLを示すこぐらいしかできません。

これは大変不便です。

この20年近い間にブログはほとんどが無料化され、それとともに広告がずいぶんと割り込むようになりました。

だから授業用のブログにもさまざまな広告がはいって、よそのブログを参照しようにもまたしても広告に邪魔をされてしまうという不便な思いをしています。

細かいポインタ[マーカー)を埋め込むことができなくなったブログ、授業には使いにくいです。

せっかくのハイパーテクストも、「広告」によってかなり堕落したように感じます。




2013年5月11日土曜日

「ファン」は傍から見れば「バカ」?


本日正午から11月のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(マリス・ヤンソンス指揮の予定)のチケット販売が行われる。ただし、e plus会員の場合。一般発売は来週の土曜開始。

さっそく e plusにログインしたが、全然アクセスできず、15分ほどかかってようやく入れた。

11月16日、サントリーホールの先行予約は何とすでに完売!カジモトに電話を入れてきいたら少し前に先行予約は締め切ったとか。わ〜ん、仕方ないから来週の土曜日に申し込みます。

11月18日はベルリンフィルの公演と重なるせいか会場は東京文化会館。これを取ろうとしたが、正面中央はすでに残券なし。発売から20分で全部出てしまうとはとても思えない。(業者が全部押さえている?)仕方なく正面左寄りの席を確保。

サントリーホールが取れない場合のことを考え、同一ブログラムである11月17日のミューザ川崎公演を予約しようとするがe plusでは座席指定ができないのでホールに電話。十数回「話し中」だった。ついに繋がったら、今度はホールでキープしているチケットの発売は6月1日から、しかも「ちけっとぴあ」の特設電話で、ということ。

21年来電車で通勤する生活をしていない私が、休日の夕方〜夜に東海道線に乗って生きて帰れるか(笑)自信がないが、ミューザ川崎の新しいホールをぜひ体験したい。ザルツブルクゆかりでもあることだし。

これが大阪の公演だと、ホールに直接電話を入れてさくっとチケットが取れるのに、首都圏はチケット争奪戦がすさまじいのでしょうか?

コンセルトヘボウでこの調子ならベルリンフィル、ウィーンフィルはこんなもんじゃないですよね?

首都圏のみなさん!どうやってうまくチケットを取ればいいのか教えてください!

ただ、この公演にはちょっと不安があります。

日本公演は一連のアジア、オセアニア公演の途中に3日だけ日本に立ち寄り、首都圏だけで演奏会を行うというものですが、問題は指揮者のマリス・ヤンソンスが3月〜4月のヨーロッパ・ロシアツアーの猛烈な強行軍プラスコンセルトヘボウ125年記念演奏会でよほど無理をしたのか、倒れてしまったのです。

そのため、本来なら昨日「ディジタル・コンサートホール」で全世界に中継されたはずであったのマリス・ヤンソンス指揮、ベルリンフィル演奏のバルトーク・ブラームスプロの指揮者がかわってしまったのでした。ああ、残念!期待するだけしてたのに。

ヤンソンスは、もともと心臓病持ち。90年代に一度公演中に倒れて死にかけただけでなく、お父さんのアルヴィッド・ヤンソンスもハレ交響楽団を指揮中に心臓発作でなくなっています。

目下検査を受け、服用する薬を変更中という情報がベルリンフィルで流れていましたが、これは本当に一過性の病気なのでしょうか?

元気とはいってもすでに70歳、春にバイエルン放送響と大演奏旅行を行い、夏はザルツブルクやルツェルンの音楽祭に忙しく、その後アジア・オセアニアツアーというプラン、ドクターがOKと言うでしょうか?

そもそもアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は私の最も好きなオケなんです。指揮者、そして当日演奏するメンバーによって響きも仕上がりも違いますが、それを超えてこのオケが好きです。はい、ウィーンフィルより好きです。そもそもウィーンフィルって一枚岩ではないでしょう?2チームぐらい作れるのではないでしょうか?でないとザルツブルク音楽祭で連日異なる指揮者といくつもの演奏をこなせるわけないと思うのですが?

で、コンセルトヘボウは仮に指揮者が変更になっても上京して聴きたいと思っています。もし変更になるなら、ハイティンクなら申し分なし、でも年齢的に大ツアーは無理か。ブロムシュテットも同様。では、ガッティが来るか?

若手だと、アンドリス・ネルソンスは可、しかしドゥダーメルはまだ「顔」じゃない(時期ベルリンフィルの首席指揮者候補としてささやかれているけれど)と思う。ネゼ・セガン歓迎。

でも、やはり私はマリス・ヤンソンスをぜひとも聴きたい。何かこの一年ぐらいヤンソンスに完全に夢中になっています。あと、ネゼ・セガンも。

何しろ東京・川崎公演を聴くとなるとチケット代の上に滞在費、旅費がかかるので経済的にただ事ではないんです。

それでも聴きたいのがヤンソンス指揮のアムステルダムコンセルトヘボウ。

どうかちゃんとヤンソンスが来てくれますように。まぁ、指揮者がかわっても行きますけれどね。それまでにオランダ語をもうちょっと勉強しておきましょう。


とここまで書いてひとりでくすくす笑ってしまいました。

「ファン」というのはバカですね。理由なくそのアイドルなり演奏家が好きなんですよ。演奏が悪くても、「たまたま調子が悪かっただけだ」と思うし、良ければ演奏会が終了しても「お見送り」の時間まで居残ってしまうし。(笑)日頃どうしているかfacebookとかtwitterでフォローしてしまうし。

一目惚れならぬ一聴惚れすることもあれば、だんだん気に入って来て、最後にはその人の演奏でないと不満を感じるようになることもあります。ヤンソンスは私にとっては後者。ベルリンで連続3年聴いた彼とコンセルトヘボウの演奏は申し分ない名演でした。というか私は気に入りました。ショスタコービッチ等20世紀ものばかりでしたが、その緻密さとハートフルな歌に感動!

このブログ、書き始はじめは「チケットがうまく取れない!」と叫んでいたのが、いつの間にか「ファンというのは他人から見れば理解しがたく、バカに見える」という話にたどり着きました。アハハ。

首都圏でうま〜くチケットを取る秘密の方法をご存じの方、ぜひ教えてください!

malte@k2r.org

2013年4月16日火曜日

インターネットで追っかけ(笑)


アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の4月10日のの演奏会の録音をradio4.nlで聴きました。

昨日はマリス・ヤンソンス指揮で4月12日の演奏会、ワーグナーのオペラから、「マイスタージンガー」と「ロ-エングリン」序曲およびブルクハルト・フリッツのテノールとエーファ・マリーア・ヴェストブレックのソプラノでいくつかのワーグナー作品を聴きました。

ワーグナーといえば、先月ベルリンのシュターツオーパーで「神々の黄昏」を聴こうとしたのですが、体調が悪すぎて一幕でギブアップして逃げ帰ってしまいました。調子の悪い時にソプラノの叫び声はとても耐えられなくて... しかし、今日聴くと全然ワーグナーを負担に感じませんでした。いや、それどころか、すばらしい!

不思議です。

ヴェストブレェックは現代アメリカの作曲家ターネッジ(Turnage)の「アンナ・ニコル」をDVDで見て以来好みのソプラノですが、ブルクハルト・フリッツ(Burkhard Fritz)は全く知りませんでした。
柔らかく、雑音の混じらない声の持ち主で、強い高声をあまり好まない私にとっても好ましい演奏でした。今後注目しようと思います。


この2週間ほど指揮者マリス・ヤンソンス(+バイエルン放送響およびアムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団)をブリュッセル~モスクワ~サンクトペテルスブルク~アムステルダムと「放送」と放送局のホームページで追いかけましたが、ヤンソンスはとても70歳とは思えない精力的な活動ぶりでした。

ブリュッセルではモスクワ行きの飛行機二機のうち一機が欠航になり、メンバーの一部が当日の明け方にモスクワに到着するというハプニングがありながらも万雷の拍手喝采を浴びる演奏会を開くくとができたのでした。

モスクワ公演のあと、休みなくアムステルダム公演を二日連続で行いました。ここでオーケストラがコンセルトヘボウに交代したのですが、どちらのオケもヤンソンスは完璧に把握しているという感じでした。今回はじめて聴いたヤンソンスのワーグナーは想像がつかないほど充実したものでした。

ここに至ってやっと私にあった好みの指揮者を見つけたという感じです。無条件に好きな人ってなかなか見つかりませんよ。:-)

ピアニストでは、若い頃からクリストフ・エッシェンバッハが誰よりも大好きだったのですが、指揮者としての彼は必ずしもその個性と音楽性をうまく活かし切れていないと感じることがあり、聴くことが少なくなっていました。もっとも、去年もザルツブルクでマティアス・ゲルネの共演ピアニストとして聴きましたが。

ヤンソンス(+アムステルダム・コンセルトヘボウ交響楽団)は2010年以来毎年9月にベルリンで一回聴いています。そのわかりやすい棒さばきと精緻で堅固な音楽作り、そして圧倒的な音楽的献身に心を打たれます。それに指揮姿が何とも美しい!

加えて、この指揮者の言語能力の豊かさには驚きます。ソビエト連邦下のラトヴィア出身、13歳からレニングラード(現サンクトペテルスブルク)育ちといことなのでラトヴィア語とロシア語は完璧でしょう。インタビューとプローベの様子をいくつか聴きましたが、ヤンソンスはドイツ語でも英語でも自由自在に音楽について表現することができるのです。

私はインタビューで"You know."ばかり繰り返す指揮者は尊敬しません。インタビューでもプローベでも内容のぎっしりつまった話し方ができる指揮者(いや、音楽家すべて)が好きです。

指揮者と声楽家の言語能力には天才的なものがあると感じています。というか、そうでないと世界的な指揮者、声楽家をやっていられないのでしょう。この話題についてはまた別の折に書きます。

学校時代から好きな演奏家の公演にはある程度無理しても出かけていたのですが、まさかザルツブルク音楽祭やベルリン音楽祭に実際に行けるようになるとは思ってもみませんでした。

そしてインターネット放送の充実した今、実際に演奏家を「追っかけ」なくても、放送で追いかけられるのです。何と楽しいことでしょう!

しかし、日本でヨーロッパの演奏会を聴こうとすると昼夜逆転しますので、これもウィークエンドの趣味にとどめたいと思います。

インターネットのおかげで、「追っかけ」ができる時代になったのです。


2013年4月8日月曜日

演奏旅行は大変なんだ!

バイエルン放送交響楽団(マリス・ヤンソンス指揮)がヨーロッパ~ロシア演奏旅行を終えた。

その旅行の模様を報告したページを読んで驚いたこと --- 演奏旅行ってすごく大変なんだ!

http://www.br.de/radio/br-klassik/so-tournee-2013-fruehjahr-100.html


上記の記事によると、オケのメンバーはブリュッセル公演を終えてモスクワに向かうことになっていた。メンバーはふたつのグループに分かれて、別々の飛行機に搭乗するはずであった。

ところがいざという時になって二機のうち一機が欠航になってしまった。

半分のメンバーだけではコンサートはできない!どうやって翌日までにモスクワに行けばいいのか?

まずメンバーをいくつもの小さいグループに分割し、ブリュッセルからヨーロッパの空港を何か所も乗りかえながらモスクワに向かわせた。

「トランペット・ソロのマーティン・アンゲラーはチケットに書いてあることがほとんど理解できない。17:30までブルッセルで待機して、まずミュンヒェンに飛び、そしてそこで再び時間待ちをして乗りかえる。『モスクワ到着は夜中の3時半。それからまたバスで走る。ホテルにチェックインするのは午前5時。その上この日の夕方にはいいコンサートをやらねばならない。今はここでとにかく待つことにしよう。きっと楽しいだろうさ。』」

演奏会の様子はライブ中継され、私も前半を聴きました。後半は録音してあります。

モスクワで2日間公演した翌日はサンクト・ペテルスブルク公演。Facebookで読んだ記事によると、トラック二台に楽器を積み、メンバーのほうは無事到着したとのこと。

そしてヨーロッパ演奏旅行の最後を飾るサンクトペテルスブルク公演は、ベートーヴェンの第5交響曲とベルリオーズの「幻想交響曲」。

http://mediathek-video.br.de/B7Mediathek.html?bccode=both

上記のサイトで左上の番組検索窓に PetersburgあるいはJansonsと入れると動画が現時点ではまだ出て来ます。(Jansons in Sankt Petersburg, 04.04.2013, 22:30)

さて、サンクトペテルスブルク公演を終えたバイエルン放送響のメンバーはたぶん帰国したと思いますが、マリス・ヤンソンス先生は今度はアムステルダムで行われるコンセルトヘボウ管弦楽団の創立125周年記念の演奏会のためにアムステルダムに向かったそうです。(ご本人がFacebookに書いてました。)

演奏旅行は本当に大変ですね。世界中を行脚する指揮者には休みなんてないのでしょうね。

マリス・ヤンソンス、70歳とはとても思えない活躍ぶりです。

11月にはコンセルトヘボウ管弦楽団と一緒に日本に来るので何とかして東京公演(日本公演は東京、川崎のみ)に乗り込みたいと思っています。






2013年4月4日木曜日

理解するのに30年以上かかった作品


もう30年以上も昔の話ですが、ドイツで勉強して(=遊んで)いた頃の話です。

学生寮でお茶会があっておよばれにあずかりました。招き主のヴォルフガング君が突然、

「そうだ、キョーコが来ているから今日は僕が世界一美しいと思う音楽を聴かせてあげるよ。」

と言ってレコードをかけてくれました。(何で私がいることと世界一美しい音楽をかけることが関係あるのかいまだにわからず。:-))

どんな音楽が始まるのか緊張していたら、弦のpのざわめきの上にホルンが"B-Es-B, H-Es-B,  B-Es-B"とやり始めました。(Esのところは付点音符です。)、そして次にフルートが入って来て同じことを...

もうおわかりの方も多いと思いますが、この曲です。

http://www.youtube.com/watch?v=aVfPN40nuqI

しばらく聴いていたのですが全然面白くも何ともなく、レコードのジャケットをちょいと見たら、一時間以上の大曲とわかり、うんざりしたのでした。「何でこれが世界一美しい音楽なの?」

その後どうなったか記憶にありませんが、たぶんおしゃべりに夢中になって音楽は放っておかれたと思います。

さて、30年以上の歳月が過ぎ、ふとしたことから上記のメロディーと再会しました。その時感じたのは戦慄!変ホ長調から何度か転調し、そしてffに突っ込んで怒涛のごとく主題が奏でられるところでは眩暈を感じました。

しかし、何しろ長い作品ゆえ、全曲を聴き通すことはあまりありませんでした。

はじめて実演でブルックナーの交響曲を聴いたのは2011年3月、ベルナルト・ハイティンク指揮、ベルリンフィルの公演でした。この時は5番。これがまた何とも言い難い体験でした。それ以降、ちょくちょくとミサ曲などを含めてブルックナーの作品を聴くようになりました。

転調の時に感じる空中を浮遊するような感覚とか調性が決定した時の充足感とか、なだれうつ弦の波に全身をすくわれそうな恐怖と快感の入り混じった感覚とか、今まで知らなかった感覚が私の中に開発されたような気がします。

この3月にベルリンに滞在した時は、大雪に見舞われて、あまりの寒さ(最高気温がマイナス2度、最低がマイナス13~14度という日もありました。)に体がまいってしまい、気管支炎を起こして寝込みそうになりました。

そんなある夜、ホテルの部屋でぼんやりしていたら、何とも虚しくなってきて泣きたい気分になりました。

「これは、まずい!」

と思って、iPad miniを出してきてラジオがわりに使いました。テレビの番組は面白くないのでとりあえずラジオを聴こうとしました。ちょうど ブルックナーの交響曲第7番(マリス・ヤンソンス指揮!)の放送録音がありました。

広いバスルームにiPad miniを持って行ってかけたら完全に夢中になってしまいました。バスルームだと音がよく響きますね。まさか、入浴しながらブルックナーを聴くなんて危ないことはしていませんよ。--- 気がついたら昇天していたりして。(笑)

http://www.youtube.com/watch?v=QS-54s59iDQ 

こちらは同じヤンソンス指揮のバイエルン放送響の演奏。目下amazon.co.ukにCDを注文中です。

以後この一か月近くブルックナーを聴き続けています。

ブルックナーの「ロマンティック」を「世界一美しい曲」と呼んだヴォルフガング君の気持ちがようやくわかりました。でも、今頃になって!ヴォルフガング君に「ブルックナーは気持ちいい!」って大声で伝えたい気分です。

音楽を理解できるようになるにはそれなりの準備、そして音楽的成熟が必要なんですねぇ。

それを考えると演奏家というのは大変厳しい職業だと思います。円熟の境地に達した時には肉体の力が衰えている可能性もありますから。



2013年3月29日金曜日

若き日のマリス・ヤンソンス!

仕事で手がいっぱいの時に限って妙にネットで検索して遊んでしまう。そしてびっくりするような素晴らしいものを見つけてそこにはまったりする。

その一例がこれ。

Young Mariss Jansons
(http://www.youtube.com/watch?v=q1Bj7kQaiFk)

1971年、カラヤン指揮コンクールの録画で、当時28歳の若きマリス・ヤンソンスがオーケストラを指導している。先日ご紹介した「老いても心身ともにイケメン・マリス・ヤンソンス!」(http://musiksprache.blogspot.com/2013_02_01_archive.html)
と比較してほしい。

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」で「運命の動機」をどう扱うか両方の録画で話している。もちろん28歳の時は控えめだが。

このコンクールで彼は2位を受賞してカラヤンから助手として招へいを受けたがソビエト政府はそれを許可しなかった。何とも残念な話だ。

いったいこのコンクールで一位になったのは誰だったのだろう?

演奏の後聴衆にインタビューしたら、

「ロシア人(ヤンソンスのこと)が一番だ。すばらしい」という声がさかんにきかれたようだ。

今年の11月は何としてでもヤンソンス指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ公演を聴きに行きたい。(公演は東京だけかもしれないが。)




ドレスデン十字架教会合唱団

目下書かねばならないのにまだ一行も書き始められない小論あり。文献の引用の寄せ集めにしないで自分のことばで書きたいのに書けない。そんな時に限ってNHK FMではドレスデン十字架教会合唱団の昨年12月の東京公演の録音を放送している。困った。:-)

この合唱団は来日するたびに聴きに行っているばかりか、ドレスデンまで少年たちの歌声を求めて赴いたこともある。すばらしい歌声だ。かつてカール・リヒターやペーター・シュライアーが歌っていた少年合唱団だ。指導者のクライレさんの熱心さにも心を打たれる。ただ、ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団に比べて公報活動がやや少ない気がする。


上記の演奏会の大阪公演は、歌声は美しく、作品は厳かで心にしみるものではあったが、広報不足のためか客席はさびしかった。ザ・シンフォニーホールには半分も客が入っていなかったと思う。

しかし大阪の聴衆にも、数は少なくてもどこまでも暖かい拍手を送り続ける人々がいたのが私にとっては救いだった。

東京オペラシティーでの公演の録音を聴く限り、客席は大阪よりはるかにぎやかなようだ。よかった。

ライプツィヒの聖トーマス合唱団にせよ、ドレスデンの十字架教会合唱団にせよ、日本公演で聴衆を集めようとすればどうしても大きな作品、まさに今演奏されるべき「マタイ受難曲」(バッハ)や「ミサ曲ロ短調」(同)を演目にあげざるを得ないだろう。

もともとキリスト教の素地の薄い日本では日頃から聖歌(讃美歌)やキリスト教にまつわる芸術作品に注目する機会が少ないから仕方がないとは思うのだが、年末の公演の時のように、地味なア・カペラの演奏会もぜひ日本で行ってほしいと思う。
興行的には赤字が出るのかもしれないが...

いや、そういう演奏を聴きたければドイツまで行け、と言われるだろうか?

放送を最後まで聴きたいという誘惑を振り切って、仕事(書き物)をしないと間にあわない。せめて録音でもしておこうか。

ああ、こんな日に限って海外ではあちこちで「マタイ受難曲」を演奏していて、そのライブ中継などもあるのだ。う~ん、バイエルン放送でも「マタイ」を今やっているし・・・だめだめ、仕事。

2013年3月25日月曜日

3年半にわたる健康相談、終了

今日は大学の保健センターに「健康相談」に行って来ました。

2009年9月に3年におよぶ休職から復帰する際に、主治医の診断書と産業医(具体的には勤務先の大学病院の医師)の意見書が必要であったため、保健センターに「健康相談」の形で行きました。

復職後半年間は、勤務部署の総務係長同伴の上、月一回健康相談に行くようすすめられていました。さすがに係長の同伴は半年だけで、あとは私の希望で月一回のペースで通っていました。

長期休職の後いきなり復職して、完全に周囲から取り残されてしまってひどく孤独を味わったり、学内事情が大きくかわっていることになかなか気づかなかったりして(外大との合併はさすがに知っていましたが、その実情は全く知りませんでした。)、相当ストレスをためこみました。

カリキュラム上の問題(第二外国語を強制的にとらせることに問題の根があると思う。だからモチベーションの低い学生が増えるのだと思う。)で困ったり、学生の指導で悩んだり、自分の実力のなさに死にたくなったり(これは大袈裟かな。)、家庭の事情(母の介護の問題や夫の転職の問題など)で苦しんだりしました。

そういう中で月一回話をきいていただき、適切な対応法を指導していただいて本当に助かりました。ことにさまざまなリラクセーション法を教わったのは有益でした。

「もうそろそろ健康相談は卒業していいだろう。」と思いつつも結局3年半にわたってお世話になりました。

その健康相談も今回をもって最終回としました。ご担当の教授が定年退職されるからです。

4月以降、また問題が生じた場合はカルテが残っていますので後任の先生のお世話になると思いますが、もうそろそろ大丈夫、独り立ちできるという気が致します。

長い間お世話になりました杉田義郎教授に心より感謝申し上げます。



2013年3月24日日曜日

「すぐそこ」(続篇)

昨日の駄文は、ドイツ人(西洋人?)と私ら日本人ではもののスケールが違うことがあるので、「すぐそこ」と言われても必ずしも信用できない、案外遠いこともある、という話に始まりました。

今日さっそく続篇たり得る話があったので書きます。

夫は一週間前から米国出張でサンフランシスコに行っていました。彼は昨夜サンフランシスコを出発し、目下帰国の途にあります。

航空会社の「運行情報」によると関空到着時刻は3時半すぎで、飛行機の位置を示す図をみるともう北海道の東北ギリギリのところにいます。

ちょうどさきほど母が来て、「健次さんいつ帰ってくるの?」ときいたので、

「3時半すぎ。『もうすぐそこまで』飛行機は来てるよ。」

と答えてしまい、次の瞬間爆笑しました。

場所や距離には心理的要素もあるのですね。体が大きくてコンパスも広いドイツ人には3-4ブロックなんて「すぐそこの角」なんでしょう。:-)



2013年3月23日土曜日

ドイツ人の言うものの大きさや距離、広さに注意!

今回、ハンブルクははじめて訪れた街であったので、よく道をききました。(正確に言うと1979年7月、東京からアンカレジ経由でハンブルクに到着し、そこで友人のお兄さん夫妻のところで朝食を取ったが、街を見なかった。)

「市役所?ああ、すぐその角ですよ。」

(”Das Rathaus? Das ist gleich um die Ecke.”)

なんて言われたものの2ブロック歩いても市役所は見当たらず。結局10分ほど歩いたように思います。

ベルリンでお医者さんに行った時も、ホテルで、

「xxx 通りを渡って左にちょっと。各科クリニックのビルはすぐその角ですよ。」

("Sie überqueren die xxx Straße und gehen ein Stück weiter nach links. Das Ärztehaus ist gleich um die Ecke.")

咳き込みながら雪降る寒い通りを渡り、番地を確認しながら歩きましたが「すぐその角」という距離にクリニックとおぼしきビルはなし。まさか、と思いましたが次の信号の手前まで歩いたら、あった!内科、総合科、耳鼻咽喉科、精神科などの入ったビルで一階は薬局。ここでした。

しかし、xxx通りを渡ってから200メートルは歩いたと思います。寒かったので長く感じたのかもしれませんが、「すぐ」なんて言われると30メートルぐらいを想像してしまいます。

ドイツではこれとおなじような経験を無数にしています。

広さとか距離、大きさに関してはどうもドイツ人と私とでは感覚が違うようです。

「広場」(Platz)なんてことばを甘くみてはいけません。

はじめての滞在時(1980年の悪夢の滞在---東ベルリン警察に6時間も拘留されていた---はカウントしないことにすると、2010年夏です。)よくトラム(市電)に乗ってアレクサンダープラッツ(Alexanderplatz)に買い物に行ったのですが、この広場(Platz)の広さは半端じゃない!

駅を出て、ショッピングモールだと教えてもらった"Alexa"(「アレクサ」)に行こうとしたものの、どこにあるかわからずきょろきょろ。何人かに道をきいたら、広場の端のほうだと理解しました。

さて、広場を端まで歩くのに何分かかったでしょう?もう思い出したくないほど遠かったです。そして、「アレクサ」はショッピングモールなのでありとあらゆる種類の店がデパート以上に立ち並んでいて、歩き疲れて何も買わずに帰りました。

ああ、その後また駅まで戻るのが遠かったこと!

レストランで食事と一緒にミネラルウォーターを注文するのに、200mlでは少ないので「大」をお願いしますと言ったら750ml入りが出てきてしまい、とても飲み切れませんでした。

とにかくピッツァなんてバカでかいし、ケーキも一切れで倒れそうになるほど。

ドイツでは大きさや距離については違った物差しが必要なようです。


2013年3月22日金曜日

ドイツ滞在中最も重宝したもの


移動日を含めて18日という中途半端な期間のドイツ滞在でしたが、大雪にあったり、風邪をひいて気管支炎にかかったりするなどハプニングもありましたが、ハンブルクでは予定外のコンサート参加(トン・コープマンさんとお話できた!)ができたり、オルデンブルク在住の40年来の友人と連日派手な議論(喧嘩ではない。価値感の違う者どうしの衝突でした。)を展開したりスリリングでありました。

さて、今回旅に持って行ったもので最も重宝したものは何だと思いますか?

使い捨てカイロ?正解!しかし、これは普段の旅行(もうドイツの冬の旅はやめます。)ではまず必要ありません。

旅にはこれがないと・・・と思ったものでNo. 1は何といっても iPad mini でした!

ホテルはすべて無線LANがありましたので、問題なく繋がりましたし、MiFi を借りて行ったので駅や空港でも通信できました。

もちろんノートパソコンも持って行きましたし、書きものはほとんどPCでしましたが、iPad mini の手軽さと使いやすさは特別でした。

SkypeはPCのほうでやりましたが、もちろんiPad mini でもできます。

電車の時刻表とか飛行機の運航情報などわざわざPCを立ち上げなくてもすぐ検索できて大変便利でした。PCは立ち上げに時間がかかりすぎ、と言うのも私のPCは古くてパワーがないからなんですけど。

一人旅は楽しく気軽であるとともにけっこうさびしいものもあります。我が家ではおしゃべりがたえないので勉強する時間がなくなるほどです。だから旅先のホテルの広い部屋でひとりじっとしていると言いようもなく寂しくなってしまいました。外が雪あるいは曇天だと余計にうっとうしかったです。

でも、テレビはどのチャンネルも面白くない。かといってオンデマンドの映画を見る気もなし。

iPad miniであれこれ試していたら TuneIn Radio というアプリを見つけました。

最初(3月9日)バイエルン放送のライブ番組(ヤンソンス指揮のバイエルン放送響。前半のランランとの共演は聴かず、後半の「幻想交響曲」に聴き入っていました。)を聴いていたのですが、同じ時間帯にベルリンではアンドリス・ネルソンス指揮のベルリン・フィルハーモニーがモーツアルト、ワーグナー、ショスタコーヴィッチ(6番)という意欲的なプログラムの生中継をやっていて、iPad miniでヤンソンスを、PCでネルソンスを聴くという超絶技に臨んだのですが、さすがに無理でして、ベルリンフィルのほうは同一プログラムの演奏会に翌日行く予定だったので途中であきらめました。実際に行った翌日の同一内容のコンサートは「これを聴けただけでも旅に出てよかった!」と思える満足感いっぱいの演奏会でした。

これをきっかけに何十もの地域放送やらライブストリームを見つけまして、滞在期間中入浴中すらバスルームにiPad miniを持ち込んで(濡らさないように気を付けて)音楽を聴いておりました。

BR(バイエルン放送)、ORF(オーストリア放送)とかNDR(北ドイツ放送)、radio4.nl(オランダの放送局)は以前から知っていてよく聴いていたのですが、音楽だけでなく、ニュースやらショーやらごっちゃまぜでラジオを聴き放題でした。静かな音楽を流しているのでどことも知らず聴いていたら、解説が「?」。ノルウェーの放送局でした。他にもフランス語、イタリア語など多くの言語と音楽に接することができました。

もちろんテレビも見られました。ARDとかZDFもiPad miniで過去の放送を見たり、ニュースをリアルタイムで聞きました。

今回の旅では以前にも増して多文化・多言語共生社会を体験できました。

最初の滞在時(2010年8-9月)、ベルリンの宿がサブ・カルチャーの中心みたいなところ(廃墟タヘレスの近く)で、困ったことにレストランにドイツ料理屋が少なく、エスニック料理店ばかりで食事に大変苦労しました。(私はあまりかわったものを食べないし、多くの食材にアレルギーがあるので、なんだかわからないものは絶対に食べません。)

しかし、今回はドイツ、フランス料理を堪能してきました。和食と中華は食べませんでした。

おっと、iPadの話からはずれてしまいました。

思い返すに、iPad miniを持っていなかったらずいぶん不自由でさびしい旅になっただろうなぁって思います。ホテルのロビーで新聞を読むかわりにSpiegel Onlineを読むとか、無線LANをフルに使った生活ができました。

実は私が帰国した3日後には夫がアメリカに出張で行ってしまいまして、目下家で寂しく暮らしています。しかし、オーディオ一式、iPad, PC, あ、それに新規購入したMacBookAirで気分転換をしています。

しかし、いよいよ小論文の締め切りが近づいて来ましたので明日からは調べものと書き物に集中しないといけません。

今大阪の自宅にいますが、面白いことにベルリンにいる時と環境はあまり変わりません。iPadとPC, それにテレビを使って世界中の放送を聴いています。インターネットのおかげで、どこにいてもたいして変わらない音楽生活ができるのはありがたいことです。

これからはしばらくいくつかの外国語の勉強にこの環境を活かすつもりです。

長々と駄文を連ねましたが、

   「iPad miniはいいよ!」

手が小さく、非力な私にはフルサイズのiPadよりminiのほうが使いやすいです。入力も最初はたどたどしかったのですが、二本指でかなり速く入力できるようになりました。

若者には負けたくないぞ!

2013年3月20日水曜日

とりあえず旅を終えました。

3月15日、無事に帰国しました。

帰路に関しては非常に懸念しました。というのも、北ドイツ~中部ドイツで大雪になり(今も降り続いています。)、私のいたベルリンでも市内交通も一部止まったりしました。それに何よりも不安であったのは帰る直前にドイツ国内および近隣諸国への飛行機が軒並みキャンセルされてしまい、ベルリンからフランクフルトに行けなくなる可能性があったからです。それにドイツ国内で散発的に空港のストがありましたので余計に不安になりました。

悪天候のため国際線も大幅な遅延が生じ、もし私が一日早く3月13日フランクフルト発関空行きのルフトハンザLH740便に搭乗していたら、到着が何と7時間18分も遅れていたことになります。長時間空港で待たされるのは本当に辛いです。

オルデンブルク、ハンブルクとまわり、旅は順調だったのですが、ベルリンで晴天の後いきなり温度が下がり雪になったために風邪をひき、それが悪化して気管支炎にかかってしまいました。ホテルのコンシエルジュに内科医を紹介してもらって診察を受けたものの、最初に診てくれた先生は代診の若い先生で西洋薬よりも植物エキスなど天然薬を好んで使われる方だったのですが、あいにく症状が悪化してしまったので3日後Frau Doktor(女医さん)ご本人の診察の日に行ったら、熱がありますね、炎症が広がっている可能性があるから抗菌剤を出します、そして咳には吸入薬をだしますということで薬が重装備になりました。

おかげさまで咳の発作は減り、ベルリン最後の3日間は仕事(調べものや出版社の方々との話しあいなど)もある程度できましたし、今実力が全世界に認められつつあるグルジア出身の女性バイオリニスト、リサ・バティアシュビリの弾く大変見事なブラームスの協奏曲を堪能することもできました。あ~、あの演奏は良かった!まだ耳に余韻が... バレンボイム指揮のシュターツカペレ・ベルリンも控えめながら素晴らしいサポートをしていました。

ただ、散歩と買い物だけはほとんどできませんでした。とにかく雪のあとは滑るので危なくて歩くのに慎重を要しますし、体調がすぐれなかったので、買い物をする気が全然起きず、文房具(アンペルマン製品!)を少しとキッチン用品、それにオストフリースラント茶とチョコレートを買ってきました。

外国旅行なのにこんなにお土産が少ないのはちょっと悲しいです。おしゃれな服を一着ぐらい欲しかったところです。本は多数欲しいものがあったのですが、重くて持ち帰れない上、航空便で送ると大変な送料がかかるので、通販(出版社の直販および libri.deを使って)で買うことにしました。

あっ、そうだ、シュタイフのセーラー服を来た男の子と女の子のクマのぬいぐるみを買いました。これが一番のお土産かな?とにかく可愛いのです。2010年夏にドイツに行きはじめてから今回で5回目。毎回シュタイフのぬいぐるみを買ってきているのでもう10匹以上になりました。ぬいぐるみは、ちょっとおしゃまな(しっかり気味の)女の子とおっとりした男の子をいつも組み合わせています。(笑)

目下大阪の内科のクリニックで気管支炎の治療を続けながら時差ボケ解消をしています。

3月末締切(建前 :-))の論文があり、まだ一字も書いていないので頑張らねばならないのですが、この疲労状態では集中できません。

来週頑張ろう。

一昨日から私と入れ替わりに夫がアメリカ、サンフランシスコに出張に行っています。彼が日曜日の夜に帰ってきたらようやく二人でゆっくりできるでしょう。でも論文書かねば。

ということで帰国のご報告でした。

ドイツでのさまざまなハプニングについてはまた書きます。

冬のドイツ旅行はもうこれで終わりです。もうドイツの冬に耐える体力がなくなってしまったことを痛感した次第です。年齢的衰えを何よりも痛感させられた旅でした。



2013年3月7日木曜日

ドイツ滞在中間報告


今回の旅行は、あまり体調がすぐれないにもかかわらず強行したためにいくつものトラブルがあった。

最初の滞在地オルデンブルクでは大変な倹約家の友人(40年来の友、4人の子供、3人の孫がいる)と何度となく口論してしまった。とにかく彼女はディスカウントされていない商品は絶対に買わない、薬はジェネリックでないとダメ、タクシーを呼ぶぐらいなら末っ子に運転させてそのお金を彼にあげてほしいなどと言って、時間と体力に制限のある私とは対立しっぱなしだった。

旦那さんの収入だけで4人の子供を育て上げ、大きなログハウスまで建てたのだから、彼女の経済観念はDINKSの私ら夫婦と違う。もっとも私も医療費と母を扶養する費用で毎月自転車操業状態であるが、わざわざチョコレートを買いに行くのにスーパーのチラシを比較検討するなんてことはしない。

ハンブルクの3日間は最初天気に恵まれなかったが素晴らしかった。トーマス・マンの全作品を学生時代に(日本語で)読んだ私にとってこの雰囲気こそ「北ドイツ」である。イメージと現実が見事に一致した。ここでは35年前に憧れた北ドイツの街と言葉を堪能することができた。おのぼりさん丸出しで、観光バスに二回(異なる経路)も乗ってしまった。はとバスにすら乗ったことがないのに。(笑)港町ハンブルクはどこか私の育った神戸と似ている。自由な雰囲気、遠い世界を想像させる港がそっくりなのだ。ああ、また来たいなぁ。

それに音楽会にまで行くことができて、これも予想外だった。聖ミヒャエリス教会でのコンサートの後、トン・コープマン氏と直接話ができて嬉しかった。クラウス・メルテンスの素晴らしいバスソロに涙を流した。

昨日最終訪問地のベルリンに到着した。オルデンブルクやハンブルクに比べると、電車が駅に近づくにつれてグラフィッティ(壁の落書き)が目立ちはじめた。私はこの手の落書きが大嫌いなのだ。以前に3回滞在した旧東ベルリン市の地域では結局全然くつろぐことができなかった。私が「壁」とか「グラフィッティ」を嫌うには特別な理由があるのだが、詳しくは別の折に書きたい。(1980年に西ドイツ人二人と一緒に東ベルリンに行き、壁を近くで見ようとして警察に6時間抑留されたのである。詳しくは後日。twitterにちらりと書いたのでmalte3またはkyoko rikitakeで検索してみてください。)

さて、今回は去年の夏同様シャルロッテンブルク、さらに詳しく言えばクーダム、かつての西ベルリンの中心街に投宿している。これから一週間のあいだゲーテ・インスティトゥートやら国立図書館に通う予定である。

しかし、困ったことにまたしてもハプニングが。

急に暖かくなったためにかえって風邪をひいてしまい、今声がほとんど出ない。週末にはまたマイナス何度(最低マイナス9度とか)の予報が出ている。はたしてもちこたえられるのか?

さらに困ったことに、ホテルにいるのが苦痛でたまらないのだ。いや、ホテルはとっても上等でサービスも最高だ。しかし、その設備に問題がある。一階にはレセプションはなく、ポーターがいるだけ。エレベータで二階のロビーに行き、さらにそこで別のエレベータに乗って上層階に行くようになっている。

ところが、私は異常な高所恐怖症なのである!エレベータは上下と側面全部ガラス張り!しかも建物は吹き抜けになっていて、エレベータから下も上も見える。このエレベータに乗ることを考えただけで私は身震いする。かといって膝関節症がひどくて階段の昇降ができない。普通の人には想像がつかないと思うが、高所恐怖症の私は実際に高いところに立ったときにパニックになるだけでなく、ガラス張りのエレベータに乗ることを考えただけで気分が悪くなる。

というわけで、このホテルから脱出することを試みた。しかし、全額前払いしているので話がややこしい。ホテル側は、連泊だから安くなったので、一週間はやくチェックアウトしても一切返金はできないと頑張っている。

しかし、貴重な一週間をこの気分ですごすのはあまりにも残念だ。というわけで、筋向いのホテル(去年泊まったところ)に引っ越すことにした。明日、向かいのホテルにチェックインする。そのホテルではレセプションの人やコンシエルジュは私を覚えていてくれた!しかし返金不可の現ホテルのことを考えると、ずいぶん無駄遣いになるので憂鬱だ。

ところで今夜は本来なら州立オペラの公演、ワーグナーの「神々の黄昏」を見ているはずだった。いや、実際に見に行った。午後6時開演で一幕を見た。しかし、風邪で体調は最悪、咳が出そうで苦しい。やたら叫び散らすソプラノとテノールはこれまた苦手中の苦手である。終演は何と午後11時30分頃となっている。カーテンコールを含めてその場にいると午前様になってしまう。

これは体調を考えれば絶対に無理なのできっぱりと諦めて休憩時に脱出してきた。ちょっとタクシーでトラブルがあったが、まあ部屋には戻れた。

私にとっての音楽の領域はピアノ、バイオリン、声楽(ドイツ・リートのみ)あたりで、最近オーケストラ音楽、ことに合唱入りの宗教音楽が大変好きになった。またモーツアルトのオペラにもほれ込んだ。

しかし、私は叫ぶソプラノとテノールが苦手である。そこまで叫ばなくても聞こえるのに、と言いたくなる。今日はまともに恐怖のソプラノに当たってしまった。お目当てのミカエル・ペトレンコ(ハーゲン役)が良かっただけに残念だったが、諦めた。

オペラといえば2010年にザルツブルク音楽祭で「コジ・ファン・トゥッテ」と「ドン・ジョヴァンニ」を体験して一発で持っていかれてしまい、完全にはまった。

しかしイタリアオペラは相性が悪いらしく、去年「トスカ」を二幕まで夢中になって見ていたのに、スカルピアが殺害された後の三幕では退屈してしまった。残るはソプラノとテノールだけだったからだと思う。今回オルデンブルクで「ラ・ボエーム」を見て、これも演出が大変気に入ってクリスマスの前と後の世の中の変わりようには感動した。しかし肝心のミミが死ぬシーンではもうすっかり冷めてしまった。たぶんイタリア語があまりわからないから言葉の意味と音楽を関連づけて考えられないためつまらないのだろう。それ以前にプッチーニの音楽は私にはもうひとつピンと来ないようだ。

まあ、当分オペラはモーツアルトとヘンデルだけにしようと思う。え?大阪フェスティバルホールのこけら落とし公演で「オテロ」を見る予定はあるが、これは原作がシェイクスピア。シェイクスピアものはほとんどすべて好きなのだ。オペラはモーツアルトもの、シェークスピア原作もの、それに20世紀の英米の歴史性のあるものが私にはあっていると思う。ジョン・アダムスの「中国のニクソン」は良かった!

というわけで、ベルリン到着早々風邪はひくし、ホテルではくつろげないし、惨憺たる状況であるが、残る一週間、図書館とか出版社に通ってまともに勉強したい。音楽会はあとアンドリス・ネルソン指揮のベルリン・フィルの公演とシュターツカペレの定期(リサ・バティアシュビリがブラームスのバイオリン協奏曲を弾く!)に行くのみである。

これ以上風邪がこじれるとまずいのでそろそろ今夜は寝ることにする。

2013年2月14日木曜日

老いても心身ともにイケメン・マリス・ヤンソンス!

リンクを張った放送の冒頭の部分だけでも聴いてみてください。 
ドイツ語がわからなくても全然問題なしですから。 

http://www.br.de/radio/br-klassik/import/audiovideo/dirigenten-bei-der-probe-folge-1-fuer-den-25122012-mjansons-100.html

マリス・ヤンソンスのプローベの模様を録音したものです。曲はベートーベンの「運命」。

すごい迫力でしょう?「音をゆるめない!すべてを気の狂ったように進めて!」叫び声が聞こえます。 

この人、実はかなり小柄で、ソリストなどと並んで立つと貧弱なぐらい。インタビューなどでもけっこう老人っぽいしゃべり方をするのですが..... 

しかし、指揮する姿はすごく大きく見えるのです。そしてホールの最前列とか2-3列目の曲席に座って観察しているとびっくりするほど顔の表情が豊かなんです。身体の動きも素晴らしいし。斜め後ろから盛り上がった肩や強そうな上腕部をみて惚れ惚れすることしきり。 

このプローベも、すごい力が入っています。インタビューの時とはまるで別人のような強さ、激しさ、鋭さ、厳しさを感じさせます。でも、きちんと「失礼しました。」、「ありがとう」などと謝罪したり礼儀正しくすることも忘れません。 

ドイツ語は訛こそあれ(語尾-erをまともに「エル」と発音するので奇妙に聞こえます。)、教養の高い人の話す大変立派なドイツ語です。 

彼はこのようなプローベを英語でもドイツ語でも(もちろんロシア語でも)できるのですよね。まったくもって凄いとしか言いようがありません。 

彼の演奏の楷書的な端正さはリズムの取り方の厳しさにあるように思います。あと、ティンパニひとつの音にも「硬い音」とかさまざまな指示を与えています。足を踏み鳴らしているところもありますよ。「問い!」「答え!」とも叫んでいます。手を叩いているところもあり。そして放送の最後の部分、丹念に弦の練習をした後、見事に済んだ音でハーモニーが奏でられて感動ものでした。 

私は昔から指揮者のプローベの映像や録音を試聴するのが好きなのですが、ここまで厳しくも礼儀正しいのはカルロス・クライバーぐらいだったかと思います。 

私はフェレンツ・フリッチャイも大好きだったのですが、フィリッチャイは丁寧で奏者に対して非常に気遣いをよくする人でした。 

ああ、それにしても何という激情のほとばしりでしょう。技術な要求には、これ、バイエルン放送響だから、またアムステルダム・コンセルトヘボウだから応じられるのでしょうね。 

結局54分間聴いてしまいました。 

もう一回冒頭を聴こう。 

秋にアムステルダム・コンセルトヘボウ響と来日するのが楽しみです。 

参考までに彼のインターネットビューをご紹介します。ふつうのおじいさんという感じ? 

http://www.digitalconcerthall.com/ja/concert/2886-5