2014年10月24日金曜日

ユリアンナ・アヴデーエワのプロコフィエフと井上道義指揮大フィル

 今日はフェスティバルホールまで井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に行って来ました。前半はショスタコーヴィチ、ロシアとキルギスの主題による序曲、作品115およびユリアンナ・アヴデーエワのピアノ独奏を加えて、プロコフィエフ、ピアノ協奏曲、第3番、ハ長調、作品26、そして後半はチャイコフスキー、交響曲第4番、ヘ短調、作品36というプログラムでした。

 井上道義さんは今年4月に喉頭がんの診断を受け、長らく治療を受けておられました。その地獄のような闘病生活を何度かネットで読み、心底はやく元気になっていただきたいと祈りました。

 その井上さん、舞台に登場するなり両手を大きく開いてとても嬉しそうになさいました。一曲目は知らない曲でしたが、井上さんは途中から踊りだしました。そんなに踊ると指揮台から落ちるよ、と言いたかったぐらいでした。

 次に、ショパンコンクールで女性ではマルタ・アルヘリッチ以来45年ぶりに優勝を勝ち得たロシアのユリアンナ・アヴデーエワがピアノを独奏しました。

 プロコフィエフといえば、私には鋼鉄のイメージがあり、ピアノ協奏曲も鋭いタッチと大音量でもってガンガン突き進むというイメージがありました。最近ケント・ナガノ指揮のモントリオール交響楽団、そしてベレゾフスキーのピアノでプロコフィエフの第2番を聴いたばかりです。ベレゾフスキーはとにかく大音量と鋭い打鍵でもって押しに押しまくり、その超絶技巧でもって聞き手を圧倒しました。オケは完全に背景に退いていた感じでした。「協奏」のイメージはほとんどありませんでした。

 それに対し、アブデーエワのプロコフィエフは、品格があり、音も巨大ではないけれどしっかりした打鍵で安定した演奏を披露してくれました。中でも、彼女のピアノはオーケストラと対話を交わし、非常に親密な部分もあれば、オケと競い合う部分もあって、「協奏曲」として聴きごたえがありました。

 プロコフィエフでもアグレッシブに弾くばかりではなく、詩情を感じさせる珍しい演奏でした。フィナーレの追い込みは迫力十分で、聴き終えて「ブラヴォー!」と叫びたくなりました。

 しかしこんな日に限って関西名物(?)「ブラヴォーマン」がおらず、客席の反応は熱狂とまでは行かず、私としては残念でした。

 アヴデーエワは、服装も演奏スタイルも地味で、上半身裸同然の衣装で出てくるのではなく、きっちりした黒のパンツスーツ姿(でも上着の後ろがちょっと燕尾服に似ていてマニッシュな魅力あり!)、演奏時も意味ありげに体をくねくねさせることもなく、上半身はほとんど前後左右に揺れることなく、無駄な力が入っていませんでした。

 この人が経歴の割に日本でもうひとつ人気が出ない(東京で半額チケットがすでに出ているという話を聞きました。)のは、地味なルックスとその演奏スタイルにもあると思います。

 演奏スタイルは、とにかく音が美しく、モーツアルトを弾いてもひとつひとつの音がよく分離し、かつしっかり響き、プロコフィエフでも音が確実に鳴っていて、明晰きわまりないのですが、やたら強打したり、異常なスピードを出すことなく、作品と対話を交わすように丁寧に弾くスタイルでした。

 一昨年の3月に彼女が来日した折、演奏会に行く予定だったのですが、論文の締め切りと演奏会が重なり行けませんでした。後日その演奏会の録音をNHKの「ベストオブクラシック」で聴き、演奏会を逃したことをひどく後悔しました。その時に気づいたのは、不思議なほどよく響く音と全く大袈裟ではないけれど迫力にも欠けず、非常に詩情に富んだ深いニュアンスをたたえた演奏であったことです。ラヴェルの「ソナチネ」で、こんなエレガントで優しい演奏ははじめてだと感心したことを覚えています。

 今日は楽屋に下がろうとしたところ、井上さんに押し戻されて(笑)、アンコールを一曲。ショパンのマズルカ、二長調、Op.33-2を快活に、そしてエレガントにそして最後は華麗に弾いてくれました。

 この演奏会、前半だけでも十分に満足できました。しかし、後半にはさらに凄いものが待っていたのです。

 チャイコフスキーの交響曲第4番、これは井上さんの入魂の一曲でした。終演後井上さんはマイクをとり、少しおしゃべりをしました。その時に、「よく練習した!」と繰り返しておられました。その練習ぶりがよくわかるオケが一丸となった内容の濃い演奏でした。

 これを聴いて、井上道義さんは本当にがん治療という地獄から完全に生還したのだと感じることが出来ました。

 どうか井上さん、元気でご活躍ください。

 そしてアヴデーエワさんには、残る日本公演(地方公演が多くて移動が大変そうです。)において彼女の実力にふさわしい評価を得られることを祈っています。




 

2014年10月11日土曜日

ゲルギーエフを聴く

 今日は風邪をひいてフラフラしながらヴァレリー・ゲルギーエフ指揮、マリインスキー歌劇場管弦楽団の大阪公演(ザ・シンフォニーホール)に行って来ました。

 まずプログラムを見て、その日本公演の強行軍ぶりに仰天。

 10月8日千葉に始まり、9日熊本、10日福岡、11日大阪、12日石川、13日(休み)、14日、15日(東京)、16日名古屋、17日東京、18日所沢というほとんど連日移動の演奏旅行。移動だけでも疲れるのに、さらに演目がロシア、ドイツ、チェコの大作がずらり。14日は「サロメ」(コンサート形式)が入ってオペラまでもあり。

 ゲルギーエフは前回の来日時にも聴きましたが、今年3月にアムステルダムでロッテルダム・フィルを振るのも聴きました。アムステルダムでは、そこまで力を入れるかと思うほどの力演。ベルリオーズの「幻想交響曲」に至っては舞台から化け物が出て来たり、私ら聴衆までが幻覚を感じてしまうのではないかと言う怪しさがありました。

 私はコンセルトヘボウの一番前の席でゲルギーさんの真下で聴いていたのですが、彼のフワー、シュー、ガー、ゴー、ギリギリ~、などという呼吸が聞こえすぎて震え上がったほどでした。

 その演奏会に比べて今日のマリインスキー歌劇場管弦楽団との演奏は、金管が過度に叫びちらさず、ややおとなしかったものの、全体としてはやはり尋常ならざるものがありました。

 前半はストラヴィンスキーの「火の鳥」(1919年版)。

直前になって招へい元から連絡があり、1919年版を演奏すると周知されました。私はバカなことに全曲版に変更されたのかとぬか喜びをしてしまいましたが、全曲だと演奏者も聴衆も後半のマーラーの交響曲5番で消耗してしまうだろうと納得しました。

 大雑把な印象としては、最近ベルリンフィル、コンセルトヘボウを何度か聴いた耳にはやや緻密さが足りないように感じられましたが、表現しようという意欲がただものではなく、ゲルギーエフもオーケストラの団員最大限に力を出したと思います。

 前半はスーハー、ギリギリ、ギャ~をほとんどやっていなかったゲルギーエフ、後半のマーラー5番で鼻息とうめき声が全開。爪楊枝片手に(笑)左手の指のひらひらも連発。見ているだけでも面白い演奏でした。第4楽章に至っては「ギギギーーーー」とゲルギーさんがやれば、コンサートマスターも椅子から腰を浮かして、「フワーーーッ」とやっていました。

 私は2列目の中央に座っていたため、弦楽器の音はダイレクトに聞こえたのに対し、金管楽器の音が頭の上をすっ飛ばして行ったような印象があり、もっと後ろの席で聴いたらどんな響きがしていたか想像できません。

 マーラーの5番の「アダージェット」は入魂の演奏で、ことに低弦の響きが異様なまで強く、深く、私は体ごともって行かれるのではないかと感じたほどです。

 管楽器では、木管は割と地味ながら良い響き、金管は予想よりもおとなしく、がなりたてなかったのが良かったと思います。マーラーの出だしも良い具合でした。ここで変な音を出されるとがっくり来ますから。ただ、金管は私の席ではよく聞こえなかった可能性があります。

 70分にわたる長いマーラーの5番、あっという間に終わってしまったという気がします。ディテールの不揃いこそあれ、ぐっと聞き手の集中力を高めてくれる演奏でした。

 なお、団員はアンコール曲の譜面を用意していたようですが、結果的にはアンコールなし。ゲルギーさん、4日連続の公演でお疲れだったのでしょうか。

 最後に老婆心ながら、この強行軍でゲルギーさんや団員さんが体調を崩されないことをお祈りいたします。そもそもゲルギーさん、働きすぎ。ヤンソンスのように突然心臓病で倒れないためにも、もう少し緩いツアーを企画してほしいと思います。

首都圏の公演、楽しみですね。きっといくつかの公演が放送されるだろうと期待しています。

2014年9月28日日曜日

ピエール・ローラン・エマール(Pierre-Laurent Aimard)のバッハ・平均律第一巻

 ヨーロッパから帰国して一週間あまり、ようやく時差ボケから回復し始めた今日、京都コンサートホールまでフランスのピアニスト、ピエール・ローラン・エマール(Pierre-Laurent Aimard)のバッハ・平均律クラヴィア曲集第一巻全曲演奏会に行って来ました。

 実はエマールの演奏会は今月4日にも、全く同じプログラムによるベルリン公演(場所はフィルハーモニーのカンマームジークザールKammermusiksaal, フィルハーモニーの小ホールです。)も聴きました。それどころか8日にはジョナサン・ノット(Jonathan Nott)指揮,バンベルク交響楽団の演奏会でも、彼がピアノパートを担当したヘルムート・ラッヘンマン(Helmut Lachenmann, 1935- )の"Ausklang" Music for piano with orchestra [1984/85](訳語はもうちょっと考えさせてください。単なる「終末」、「音楽の終わり」という意味ではないと思うので。)も聴きました。

 さて、先のベルリンでの公演でしたが、周囲の人々の反応をみた限り、評価は分かれたようです。休憩時間に同じテーブルでコーヒーを飲んでいた時、隣のおばあちゃんに「では、音楽とともに良い夕べをお過ごしください。」とあいさつしたら、「この音楽、全然気に入らないわ。聴いていられない」という反応があり、びっくり。

 たまたま隣に座ったドイツ人の女性実業家は、「ゴリ押しがひどくて最後は崩壊していた」などと言う始末。
たしかに演奏中に席を立つ人もけっこういて、ホールはちょっと落ち着かない感じがしました。

  エマールは割と神経質なところがあるので、多分そういう雰囲気を感じたのか、ベルリンでの演奏会は後半でやや集中力をそがれたようで、最後のロ短調のフーガを弾き終えた時にもうひとつ高揚を感じませんでした。

 しかし、今日はどうだったでしょうか?

 今日は冒頭のハ長調のプレリュード(グノーがこの上に「アヴェ・マリア」のメロディーを書いたことで有名な曲。)はひとつひとつの音を確かめるかのようにゆっくり、また残す音はしっかり残し、驚くほど丁寧に弾かれました。ベルリンではここで音抜け(鍵盤を押さえたが鳴らない音)があったのですが、それもなし。そんなにゆっくり弾くと「アヴェ・マリア」は歌えないね、と言いたくなるほどゆっくり、丁寧でした。フーガも慎重に。第2番(ハ短調)はプレリュードでは両手が16分音符を連続的に弾くのですが、これまた整然としていました。

 すでにこの時点で気づいていたのが、エマールの「独特の音」です。2番のプレリュードの音は16武音符がやたらゴツゴツ・ゴツゴツ鳴るのです。これは人によっては耳障りだったかもしれません。彼の音のコントロールは実にすばらしいのですが、今回はこのゴツゴツした音が繰り返し聞かれました。

 私の座席は前半前から4列目、後半最前列だったのですが、よく見るとエマールはほとんどペダルを使っていません。いえ、一応踏むのですが、ごくごく浅く、半分も踏まずにあげていました。ですから、サステインペダルを使った音の増強も、引き伸ばしもありません。しかも、大変強靭なタッチなので人によっては音が美しくないと感じられたかもしれません。

 7番(変ホ長調)のプレリュードのように美しく流れる曲もやはりペダルを深く踏むことなく、強く、硬めの音で弾かれました。ここは少しペダルを入れると溢れるような美しさのあるところなので、本来ならペダルが欲しかったのですが、聴き終えてみれば、やはり彼のコロコロした音でも表情をコントロールすることによってとても麗しい、明るい曲となっていました。

 以下、一曲ずつ感想を書くと夜が明けるので、簡単にすませると、彼は自分の「音」に非常にこだわり、かつ自信を持っている。そして音楽には一切曖昧なところを残さず、構造をわかりすぎるほどはっきりさせる。そして音をペダルで濁すこともせず、強靭かつ繊細なタッチでプレリュードもフーガも構築して行く、そういうタイプの演奏でした。

 そして、彼は一曲一曲と真剣に取り組み、彼なりのフィロソフィーをそれぞれの曲において展開してみせました。フィロソフィーとは大げさですが、彼にはバッハのこの24曲のプレリュードとフーガに対する非常に考え抜いた結果を示していたと思われます。

 どの曲も「練習曲」ではなく、生きた個性のある曲として描かれていて、思わずほろりとしたり、感動がぐぐっと迫って来たりしました。6番(二長調)のフーガの絢爛豪華、15番(ト長調)の溌剌感、17番(変イ長調)の浮き立つような喜び、22番(変ロ短調)の荘重さとそのフーガの厳格かつ明快さ、ロ短調のフーガのちょっと変わったアーティキュレーション(これには何か理由があるに違いない。)と音で溢れかえりそうできっちり纏められた最後のフーガ、思い出せばきりがありません。

 エマールはカーターやラッヘンマンなどの現代作曲家の演奏を得意としています。このバッハの演奏(特徴ある打鍵、音色、アーティキュレーション、ほとんどペダルを使わない奏法など)を聴いてわかったのは、彼が古い音楽をひたすら学ぶことによってこのバッハ像を描いたのではなく、徹底して現代の作品と取り組み、ピアノの可能性を追求し、さらに原典に忠実にあたることによってバッハの時代の研究をも成して今の演奏にたどり着いたのであろうということです。事実、ベルリンで聴いたラッヘンマンのピアノとオーケストラとの曲も、前衛的ではあるものの、ある種手慣れた風情で「楽しみつつ」弾いていました。ピアノの鍵盤を叩くだけでなく、ピアノ線をトンカチのようなもので叩いたり、はじいたりして弾いていました。いろんな実験をしているうちに彼はバッハ演奏における現在の立ち位置にたどり着いたのでしょう。

 聴衆も、数こそ多くはありませんでしたが、エマールのひとつひとつの演奏によく聴き入り、演奏者と聞き手の間によい親和関係が醸し出されていたと思います。ベルリンの聴衆はここまであたたかくないし、平気で席を立ちますが、京都の聴衆はフレンドリーだと感じました。いや、それを感じたのは私ではなく、エマールさんご自身でしょう。

 残念なことと言えば、最後の24番の始まる前に右後方で一人拍手をした人がいて、緊張の糸が切れそうになりましたが、だいじょうぶでした。

 同じ演奏家が同じ曲を弾くのを別の場所で二度聴くという珍しい体験をしましたが、私の評価では今日のほうがベルリン公演より良かったです。


2014年9月15日月曜日

音楽会めぐりもそろそろ潮時か。

 ジョン・エリオット・ガーディナーの指揮、ロンドンシンフォニーオーケストラ(LSO)の演奏でシューマンのホルン協奏曲とメンデルスゾーンの序曲一つと交響曲「宗教改革」を聴く。現代音楽が多くて必ずしも客の入りのよくないベルリン音楽祭、今夜はガーディナーの登場でぜんぶロマン派。客の入りも上々。

 絶対楽しめると確信していたのだが、実は・・・
 たぶんこういう演奏を歴史的研究に基づいた「ピリオド奏法」の演奏というのだろう。(このピリオド奏法だけは、みんな語っているのに私には何を読んでもさっぱりわからない。誰か本当のことを教えて下さい。)。

 バイオリン弾きでもある私には弦楽器には程度の差こそあれビブラート奏法は必要だと思っている。教会音楽でビブラートかけまくりなんていうのは場違いな気がするけれども、シューマンやメンデルスゾーンでは是非共欲しい。

 今日の「宗教改革」では高い音域ではもっと艶やかで美しい音が欲しかった。弦楽器は、のっぺりした、あまり潤いのない音に終始し、その結果華やかで荘厳な金管楽器に押されて聞こえてこない。「宗教改革」のおしまいのほうの管楽器によるコラールは圧倒的にすばらしかった。しかし弦が頑張るところが何かものたりない。

 ホール中央の一番よく音の集まる席できいたが、弦楽器だけ舞台上で鳴り、ホールに響き渡らない。管楽器の音は十分にホールの上からも前からも四面の壁からも降って来た。

 そういえば昨日のエートヴェーシュ指揮のベルリンフィルも弦の音がひどく小さくて「これがあのベルリンフィル?」と不思議に思った。

 今、新しい演奏流儀で弦楽器に変化が起きているのだろうか?もし、これが主流になるなら、私はたぶんオーケストラの演奏会に行かなくなるだろう。

 今回の長旅も間もなく終わる。16日に行われるトゥーガン・ソキエフ(ソヒエフ)指揮、ベルリン・ドイツ・シンフォニーオーケストラの公演(現代ものひとつと、あとはシューマンとチャイコフスキー)が今回滞在の最後の演奏会である。



 失望しないことを祈る。

2014年9月14日日曜日

残念だったベルリンフィルの公演

 ペーター・エトヴェーシュ(と読むのかどうか不明)指揮、ベルリンフィルの演奏会、今回のベルリン滞在でで聴く唯一のベルリンフィルの演奏会なのに、とても失望した。

 前半はリームの"IN-SCHRIFT"2とエトヴェーシュ自身の作品、バイオリン協奏曲第2番。独奏はパトリシア・コパチンスカヤ。まあ、現代曲は理解できないにしても、演奏さえ面白ければ聴いていられる。リームは重い作品が多くてあまり好きではないが、ザルツブルクで聴いた"Lichtes Spiel"は気に入った。またコパチンスカヤはお色気むんむんのタイプではなく、白い清楚なドレスを着て跳んだりはねたりの楽しくて軽やかな演奏をするタイプだった。彼女には大変良い印象を持った。

 ところで今日の公演で一番不満を覚えたのは後半のブラームス作曲、シェーンベルク編曲のピアノ四重奏第一番ト短調である。私自身この曲のピアノパートを手がけたことがあるので、作品はかなりわかっている。オーケストラ編曲版も非常に優れた作品だと思っている。オーケストラ版は原曲とは異なる曲だと私は考えている。

 問題は、メンバー。私のお気に入りのメンバーたちが出て来ない。チェロのクヴァントおじさん、クラリネットのフクス、ホルンのドール、そして前半はティンパニなしだったのでライナー・ゼーガースも出なかった。何よりも残念だったのは、スタブラーヴァ、樫本の両コンマスの姿がなかったこと。新しく任用されたと思われるアメリカ人コンマスだけがでてきた。この人のソロは大変美しく、満足できるものだった。

 よく考えてみるとベルリンフィルは18日から連続でシューマンとブラームスの全交響曲のシリーズを演奏する。メインメンバーはそちらにとっておいて、今日はいわば二軍といえば失礼、1.5軍ぐらいのメンバーで演奏したのではないか。

 一応定年退職したはずのフルートのブラウがでて、見事な技を披露したことと、オーボエのジョナサン・ケリーがいたことは幸いだった。

 しかし、それ意外のメンバーは第一線の、ラトルの手兵たちではなかったように思う。

 とにかくアインザッツが悪いし、アンサンブルも乱れる。あと、決定的に音が良くなかった。ザルツブルクで聴いたベルリンフィルはこんな音ではなかった。第一楽章も最初テンポが定まらず、落ち着かなかった。全般にテンポが少し速すぎるように感じた。いや、実は速くないのにそう感じさせる演奏だったのかもしれない。

 第4楽章は指揮者がハンガリーの出身だけに激しい演奏を聴けると期待したがこれもかなりハズレ。

 いずれディジタル・コンサートホールに今日の演奏が登録されるから、それを聴いてからまた詳しいことを書きたい。

 さらにがっかりだったのは聴衆がいつものレベルではなかったこと。チケットの半額セールを行ったりしてとにかく客席を埋めようとしたものだから、おのずと聴衆のレベルは下がったと思われる。第1楽章の後で拍手が起きたのはとても奇妙だった。チャイコフスキーの「悲愴」の第3楽章の後に起きるのはままあることだが、ブラームスのここで拍手とは、よほど曲を知らない人がいたのであろう。

 あまり失望した話ばかり書きたくないので、これで終わりにしますが、ベルリンで聴いたベルリンフィルがこれだったのでとても心残りです。18日以降のシューマン・ブラームスシリーズが始まる時に帰国せねばならず、本当に残念です。

2014年9月9日火曜日

百鬼夜行も楽しい

 今夜はジョナサン・ノット指揮、バンベルク交響楽団の演奏会に行きました。前半(うすうす予想していたのだけど、)クリスティーネ・シェーファーがキャンセルして、「4つの最後の歌」をゲニア・キューマイヤーが歌いました。その前にオルガン独奏。後半はラッヘンマンの作品。

 ラッヘンマンは昨日室内楽を聴いたばかりで、どれほどとんでもないか予想していたので、楽しめました。オケとピアノ(2台)による百鬼夜行、または音楽的騙しっこ。その話はまた別に書きます。P.L.エマールがピアノパートを弾きました。またしても途中で客が帰ってしまうという風景もありました。私は「百鬼夜行、もっとやれ!」という感じで楽しめましたが。

 ラッヘンマンの作品は楽器を本来の弾き方と異なる方法で演奏する大会みたいでした。あといつまでも耳に残るハーモニックスの音。ピアノの弦を金槌みたいなもので叩いたり、弦を直接てではじいたり、別に最新の技ではないけれど、面白かったです。

 前半のキューマイヤーの歌は何とか合格点。以前にも聴いたことのあるソプラノですが、なぜか声が前にすーっと出なくてやや非力な気がしました。以前パミーナを歌うのを聴きました。「眠りにつこうとして」の長いメリスマのところは物足りなかったです。それより、バイオリンのソロが大変美しくてうっとりしました。

 バンベルク響の演奏、短くてもいいからもう一曲伝統的なオーケストラ用の曲が欲しかったです。

2014年9月4日木曜日

「ピアニストは孤独だ」

 バイエルン放送のラジオ、BR-Klassikで、ザルツブルク音楽祭中に行われたクリストフ・エッシェンバッハのインタビュー(演奏つき)を今聴くことができます。(この日記の最後にリンクを貼っておきます。)

 彼が戦争孤児になった時数年感ショックで言葉が話せなくなった話とか、指揮者になりたいからバイオリンを勉強した、ピアノは音楽家としての出発点であったことなどを語っているのですが、その辺の話は彼のファンならすでにご存知でしょう。

 私がこのインタビューで一番強烈な印象を受けたのはなぜ彼がソロのピアニストとして舞台に立たなくなったかという理由です。

 「ピアニストは孤独だ」− ホテルからホテルへ、街から街へと一人で移り歩く生活はしたくなかった。指揮者になることはフルトヴェングラーを聴いて以来の願望だった、とか。

 その辺の気持ちはわかるような気がします。人間と一緒に音楽を奏でたいという彼の想いがよく伝わって来ました。


 若い才能を見つけてはデビューさせ、応援したいという意欲にもみちていました。


 40分近い放送ですが、半分ぐらいは演奏(エッシェンバッハ+ゲルネ、バーンスタイン、エッシェンバッハ+バルト、ホロヴィッツ)です。私にとってはドイツ語の良い勉強になりました。しかし、若い頃はバリバリの北ドイツ弁を話していた彼はかなりオーストリア化してます。やはり環境とともに言葉も変わるのですね。


 彼が一番大きな影響を受けたのはホロヴィッツだったそうです。ニューヨークの彼のアパルトマンを訪ねた折、シューマンについて話し合った。その際ホロヴィッツがいきなり「クライスレリアーナ」を弾き始め、何と最後まで弾いてくれたとか。


 それは、最高の想いだったでしょうね。


 エッシェンバッハさん、どうか日本の聴衆の前にも室内楽のピアニストとして立ってくださいませ。


BR-KLASSIKのインタビュー(公開期間限定と思われます。)


http://www.br.de/radio/br-klassik/sendungen/meine-musik/meine-musik-christoph-eschenbach-100.html
 

2014年9月3日水曜日

物乞いされるのはなぜ?

「音楽と言語」とは直接関係ありませんが、物乞いの話です。

海外に行くと「小銭ない?」とか「お金もらえませんか?」とけっこう言われます。夫と一緒のときも言われました。海外滞在の多い皆さんはどうでしょうか?以下FBに書いた話です。

 私はザルツブルクやベルリンでよく物乞い(乞食のたぐい)にお金をせびられます。ベルリンの大聖堂の前で芝生に寝転がって電話をかけていたら、ドイツ語のできない女性が「子供がいる。お金ない、助けて。」とつたない英語でいうので、「電話中だからだめ!」と追っ払ったのに、結局どうしても離れてくれず小銭を持たせたこともあります。他にも何度かお金くれと言われました。

 今日もベルリンの新しい地下鉄路線(55号線)の誰もいない乗り場に一人で立っていたら、「1ユーロありませんか。あと5ユーロないと妻が一緒に電車に乗れないので1ユーロだけお願いできませんか。」とごく普通の決して卑しくない身なりの人に頼まれた。駅の中は他に誰もいないし、断ると怖いかもしれないので、「1ユーロ硬貨は持っていません。50セント玉ふたつならあげます。」といったら大喜びでもらって行きました。
 
 単なるたかり?

 昨日は昨日で、ベルリン空港に到着してスーツケースをワゴンにのせていたら、ドイツ語のできない外国人(ヨーロッパ域内の人だと思う)のおばさんに声をかけられ、ワゴンを借りるのはどうやればいいのかときかれて、「1ユーロ玉をここに差し込むと鎖がはずれてワゴンが動かせます」と英語で説明したら、やおら見た事のないコインをいくつか出して来て、「これでいいですか?」というので「だめです。1ユーロ硬貨が必要です。」というと、がっかりして去って行こうとしたのですが、「もしかして、ユーロを持っていないのですか?」ときいたら、「ありません。」

 仕方がないので荷物をいっぱい持った女性を放り出すわけにも行かず、「では、これをお使いください。取り出す時は・・・」と言って1ユーロ渡したのですが、これも本当かな?ただ、ユーロ玉に対していくつものコインをくれようとしたので、辞退しましたが。

 私が強そうな男だったらそんな目にあわないのだろうなと、つくづく頼りないおば(あ)さんであることを悲しく思いました。

 外国での一人旅行はやはり心細いです。あまり旅行経験がないのでなおさらです。

ハーゲン弦楽四重奏団とゲルシュタイン

ザルツブルク、8月28日の記録です。

古くなってしまい、時間が前後しますが投稿します。

 今夜はハーゲン弦楽四重奏団にピアノのキリル・ゲルシュタイン(と読めばいいのですか?Gerstein ロシア人です)が加わった室内楽の夕べに行ってきました。ショスタコービッチの弦楽四重奏第3番ヘ長調、Op. 73, ゲルシュタインの独奏で「ブラームスのパガニーニの主題による変奏曲」、Op. 35、さらにブラームスのピアノ五重奏曲、Op. 34を聴きました。

 手を抜くわけではありませんが、感想としてはすべて完璧、これ以上望むのは無理という域に達した演奏でした。すでに最初のショスタコービッチの演奏後から大喝采がわき起こるほどでした。

 ゲルンシュタインはちょっとおでこが広くなってしまったので老けて見えますが、かなり若そうです。「パガニーニ」のほうは、もう少しシャープな切れ味が欲しかったところですが、でも各変奏の性格をよく表現した、何といってもヴィルトゥオーゾ的立派な演奏でした。

 後半のブラームスのピアノ五重奏をゲルシュタインだけは暗譜で弾いていました。とにかくピアノが好き、弾くのが楽しくてたまらないということが感じられる演奏でした。

 そうそう、私はブラームスのピアノ五重奏をデビュー間もないクリストフ・エッシェンバッハのピアノとアマデウス弦楽四重奏団の演奏で覚えました。アマデウス弦楽四重奏団は第一バイオリンがかなり強くて個性的であったため、私はそれをデフォルトで覚えてしまって、他の演奏を聴くと物足りなく感じることがありました。

 しかし、ハーゲン弦楽四重奏団とゲルシュタインによる今夜の演奏にはいささかの不満も覚えませんでした。黄金のバランスでした

 私もそろそろベルリンに移る準備をしなければなりません。最初の一週間ばかり病気で寝こんでしまい残念でした。

倒錯した夜

 現在ベルリンのホテルにいます。夕食を終えて一息ついているところです。ところで、ホテルのインターネットは256KB/sのやや遅い回線(無料)と有料の高速回線の両方にそれぞれiPad, MacBookAirをつないでいます。
 
 19:30時からはサイモン・ラトル指揮ベルリンフィルのルツェルンにおける公演が動画でライブ中継されています。そして今ベルリンのKultur Radioでグスタヴォ・ドゥダメル指揮シュターツカペレ・ベルリン、ダニエルバレンボイムのピアノでブラームスのピアノ協奏曲(何とバレンボイムは一夜でブラームスのピアノ協奏曲を二曲続けて弾くのです!)が放送されています。今ベルリンフィルが休憩に入ったのでシュターツカペレのほうを聴いています。
 
 世界が注目する最高級の演奏をふたつライブで聴ける(見られる)わけです。しかし悲しいかな、ふたつを同時に聴くのは人間の体では無理です。だから私はルツェルンの公演の休憩中だけベルリンの公演(フィルハルモニーは今私のいるホテルから車で10分ぐらいで行ける距離にあります。)を聴いています。

 70歳を超えてもバレンボイムは元気です。ブラームスの協奏曲を一曲弾くだけでも消耗するのに、どこまでファイトと体力があるのでしょう!この人は音楽的に私の好みではありませんが、それでも指揮者としてだけでなく、ピアニストとしても活動をしっかり続けて来たことを私は心から賞賛しています。

 残念ながらベルリンからの放送がネットワークの障害で途切れてしまいましたので、これからまたルツェルンでのベルリンフィルの公演の後半(「火の鳥」、省略なしの全曲バージョン)を見ることにします。

 あまりにも贅沢な、いやもう倒錯した夜に心臓がバクバクいっています。日本にいると時差の関係でライブで見られませんし、録音しても途切れたり落ちたりしてしまうので、こんな環境にいるのははじめてです。

 ...などと幸せすぎる話を書いていたら、ネットワークの障害で両方の中継が途切れてしまいました。

 またオンデマンドでネットにあがったら聴くことにします。 

 おっと、今リロードしたらルツェルンのテレビのほうが復活しました。さすがに高速回線です。一昨日ザルツブルクで聴いたこの曲が私の中で蘇ってきます。

 

2014年8月28日木曜日

「最高」が重なりすぎると焦点がぼける?ー「フィエラブラス」を見て。

 今日は昼間は休養し、夜にシューベルトのオペラ(!)「フィエラブラス」を見て来ました。
 
 配役が今の声楽界で考えられる最高の人たちばかりで、いったいどんな演奏になるかワクワクしていました。ちょっと例をあげると、フランク国王はツェッペンフェルト、その娘エンマはユリア・クライター、ムーア人の国王の娘フロリンダがレッシュマン、それにフロリンダの恋人が、あのマルクス・ヴェルバ(!)、そしてあまり出番はないタイトルロールはミヒャエル・シャーデでした。

 あと騎士エギンハルト役がBenjamin Bernheim(名前からするとドイツ人にも英米人にも思われますが、フランスの出身とのことです。名前の読み方がわかりません。教えていただければ幸いです。)という顔ぶれで、脇役もメゾのシャピュイなどけっこう有名人揃いでした。初めて聴いたこのBernheimは相当の実力者のようでこのオペラのヒーローに近い役でした。

 ストーリーはかなり複雑で私も結局何がなんだかわからないところがありました。この日記の最後にストーリーの概要を記したページのURLを書いておきます。一言でいうと、キリスト教徒がイスラム教徒と戦争を重ねるが、カール王およびイスラムの国王の息子フィエラブラスのおかげで和解し、お互いに幸せになる、その際例によって例のごとくふたつのカップルが結ばれるというお話です。(ついでに書いておくと、キリスト教徒はイスラム教徒をキリスト教に改宗させることに成功するというあり得ない設定です。)

 シューベルトのこのオペラは、1980年代にクラウディオ・アバドが上演して日の目を見たらしいです。私もその画像と音声をYouTubeで発見し、この作品を実際に見る決心をしました。

 話の筋は複雑で、舞台が次々に変わるのですが、その間幕が降りて、かなり待たされました。舞台作りが相当大変そうでした。

 さて、感想ですが、まず私はこの作品をまとめあげたインゴ・メッツマッハに喝采をおくりたいです。ブラヴォー!ウィーンフィルの演奏も最高でした。それと、合唱が強力でした。その辺が昨日の「ラ・ファヴォリート」と一線を画しているところでした。

 個々の歌手について感想を述べる時間がないので簡単に書きますと、ひとつひとつのシーンが実に丁寧に作られ、歌も演技も「これこそが最高!」と思うものばかり。

 クライターの細めの清らかな声(ただ、時々硬くなりましたが)と父である国王(ツェッペンフェルト)の豊かで深い声の重なり合いも美しく、また、Bernheimの演じる騎士エギンハルトははっきり言ってタイトルロールのシャーデより良い声でした。シャーデはオペラよりリートのほうがずっと良いと思います。

 特筆に値するのは、ドロテア・レシュマンによるムーア人国王の娘(=フィエラブラスの妹)が劇的な歌唱と台詞で圧倒したこと。この人の声は強いのですがあまりキンキン硬くならないので私にも耐えられます。(私は強い声、キンキンする声は嫌いなのです。)そして、彼女の恋人ローラントを演じたヴェルバは昨年「マイスタジンガー」でベックメッサーを、一昨年「魔笛」でパパゲーノを演じた、私のお気に入りののバリトンです。今回はかっこいい役で大満足。

 書いていたらきりがないのでこの辺にしますが、最後は大団円。しかし、全体の印象というと何かはっきりしないのです。

 演劇としても音楽としてもちょっとバラバラというか、モーツアルトのオペラのような有機的つながりが感じられませんでした。それぞれのシーンはすばらしいのですが、音楽的に通奏低音になるようなテーマとか繰り返し形を変えながら出て来るモティーフがあまりないのです。

 台詞もモーツアルトなら、ドン・ジョヴァンニの台詞の多くを後で逆にレポレロが繰り返していて、ドン・ジョヴァンニとレポレロの親近性(同じ人の裏と表だという説もあります。)を感じるのですが、そういう関連性を感じませんでした。

 だから、作品としてはまずテーマがとんでもない(イスラム教徒と大団円だなんてあり得ないでしょう?)のと、全体の統一性が乏しいことからなかなか演奏されなかったのではないでしょうか?音楽的にはどのシーンも美しく、まさかシューベルトがと思うほどの劇的シーンもありました。(「魔王」のような劇的なシーン。) 

 これほど多くの最高の歌手と最高のオケと指揮者が共演(競演?)すると、意外なことに全体の印象がぼやけてしまいます。
 ひとつひとつのシーンが完成されすぎてかえって全体がぼんやりしていまうのです。タイトルロールのフィエラブラスも1幕で歌った後は最後まで出て来ませんし、場面が変わるごとに話の糸を繋いでゆくのが困難でした。

 贅沢な感想を述べさせてもらうと、「最高」が重なりすぎ、それに作品の構築性の不足が加わり、何となく焦点ぼけしたような印象があります。

 でも、どれほどひとつひとつのシーンがすばらしかったかはとても語り尽くせません。すでにmedici.tvのアーカイブにあがっていますから、どうぞご自分でご覧になってください。

 あー、楽しかった!
 
(参考)
schubertiade.info/2sakuhin/oper.html

2014年8月27日水曜日

「ラ・ファヴォリート」鑑賞

 ザルツブルクより、8月26日。

ドニゼッティの「ラ・ファヴォリート」(フランス語上演)をコンサート形式で見て来ました。
 
 メゾソプラノのエリーナ・ガランチャがお目当てで出かけました。彼女は一昨日体調不良のためリサイタルをキャンセルしたのですが、今日は頑張って熱演してくれました。美しい容姿とちょっと翳りのある美声を堪能させていただきました。
 「ラ・ファボリート」は初めて見ました。前知識全くなし。開演15分前に滑り込んで、筋書きを読んだだけでしたが、話はけっこうわかりやすかったです。このタイトル、国王の愛人、と理解していいのでしょうか?宗教界が絶対的権威を持っていた時代の話だということだけは知らないとさっぱりわからないオペラですね。
 指揮はアバド2世、いや、ロベルト・アバド、合唱はPhilharmonia Chor Wien(訳がわかりません。どなたか教えて下さい。)、オケはミュンヒェン放送交響楽団でした。
 この公演で一番の前評判だったのが、チリ出身のテノール、ファン・ディエゴ・フローレス。さっそく最初から出て来て第1幕ですぐに「ハイC」を超えるさらに高いDをたーっぷり聴かせてくれました。終幕ではハイCをいきなりフォルティッシモで絶叫(これは良かった!)しました。
 イケメンで若々しくかっこいい、声も良ければ愛想も良し、これは間違いなくモテモテ男でしょう。
 で、声なんですが、実は私は期待したほどは気に入りませんでした。第3幕、第4幕でその麗しい声と表現力を遺憾なく発揮したのですが、私の好みはこういう派手なテノールではなく、一昨日ガランチャのリサイタルの代わりに急遽行われたリートとアリアの夕べに登場したメキシコ出身のハヴィエル・カマレーナのほうです。劇場が割れるほどの大声で絶叫してもきつくならない不思議な声だからです。
 フローレスは高音域を楽々と出すのですが、時々音が硬く、いやきつくなります。その点、ヨナス・カウフマンと似ていて、私のタイプじゃありません。(いや、そんなことどうでいいですが。)
 フローレスが歌うとフランス語がどうしてもイタリア語に聴こえてしまうのです。母音がやや明るすぎるのか、あるいは鼻母音が完璧にすーっと抜けない時があるのか、何かちがうのです。歌詞を見ながら聴いてもやはりイタリア語に聴こえました。歌と会話ではフランス語の発音はずいぶん異なるのですが、それを考慮してもなおフランス語に聞こえないのです。私の耳が悪いだけ?
 アルフォンス11世を歌ったLudovic Tezier (eの上にアクサンテギューがつきます、この人の名も読み方がわかりません。姓は「テジエ」かと思います。)が歌い始めた瞬間、ぴーんと私の脳に「フランス語」がヒットしました。そう、フランス語にはこの鼻母音と、つるんとした艶(ゆで卵をむいた時の白味みたいな?)が欲しいのです。おお、最高の声!何という気持ちよい声でしょう。そして表現力もすばらしい。
 私は終始一貫してこのテジエさん(バリトン)に拍手を送り続けました。私の周囲でも、聴衆はフローレスにひときわ大きな拍手をおくっている人とテジエに喝采している人に分かれていました。
 ガランチャはよく持ち直したというか、ものすごくタフなアリアも心が溶けそうになるようなメロウな声で歌ってくれました。第3幕の独唱の続くところで少しペースダウンしたかのように思えましたが、終幕は最高でした。しかし、ガランチャのフランス語も私には100%満足とは言えませんでした。
 侍女(?)のイネスを歌ったオーストリアの歌手Eva Liebau(読み方不明)も澄んだ声で割と上手にフランス語を歌っていました。
 このオペラ、多くのオペラの例にもれず、出会って10分で恋仲になり、最後は一方が死ぬのを見とって他方も死ぬというお決まりのストーリーでしたが、何といっても音楽が良かった。
 最初の合唱は男性合唱で、何となく「しょぼい」と感じたのですが、いえ、坊さんの祈祷ですから、そんなもので良いのでしょう。ウィーンの合唱団は、バイエルン放送合唱団、ベルリン放送合唱団を何度も聴いた耳にはちょっとおとなしいように思えました。
 というわけで、昼にはお医者さんに行って点滴を打ってもらいながら夜はオペラを見るという倒錯した一日を送りました。
 最後にフローレスの紹介記事をリンクしておきます。
 
 
 

2014年8月26日火曜日

すごい闇価格のチケットも...

 昨日の話の続きですが、ガランチャのかわりに歌ってくれた歌手のひとり、フランチェスコ・メーリは隣の大劇場で「トロヴァトーレ」を歌い終えてすぐに駆けつけたそうです。すごいなぁ。ありがとう、メーリさん!
 
 昨日の公演のおかげで目下公演中の「フィエラブラス」と「チェネレントラ」の公演の登場人物を前もって聴くことができたわけで、当然のことなら両公演のチケットは売り切れたようです。街のチケット屋で「フィエラブラス」を538ユーロで提供していました。すごい闇価格!
 今日は午後9時からグスタフ・マーラー・ユーゲントオーケストラの公演で、指揮はエッシェンバッハ。ツィモン・バルトでリームの新作品の初演とブルックナーの7番です。7番は彼の交響曲の中で私の一番好きな曲。最近ラトル+ベルリンフィル、ヤンソンス+コンセルトヘボウで実演を聴いただけに、今日どういう印象を受けるか?
 今日は昼間20度まで気温が上がり、暖かかったのですが、部屋で寝てました。これから洗濯物といっしょに入浴です。このホテル、豪華客室はあるのに洗濯のサービスがないというところ。(笑)
 明日は一応内科の医者に行きます。どうにか予約を取れました。やれやれ。

2014年8月25日月曜日

ザルツブルクは魔窟!

 芸術の世界では上を見たらきりがなく、天才の上をさらにゆく天才がいるということはよくわかっていたつもりです。しかし、今日の歌曲とアリアの昨夜では、もう驚愕を通り越して、ため息をつくしかありませんでした。
 元来はラトヴィア出身のメゾソプラノ歌手、エリーナ・ガランチャが歌曲のリサイタルを催すところだったのですが、急病で降板しました。チケットが払い戻しになるのかと思ったら、今ザルツブルクに滞在している歌手さんたちにボランティアをお願いして、急遽「歌曲とアリアの花束」を催すことになりました。
 私の知っていた歌手の名前だけあげると、テノールのミヒャエル・シャーデ、フランチェスコ・メーリ、ソプラノのクラッシミーラ・ストヤーノヴァ(このアクセントが正しいようです)、メゾソプラノのマリー・クロード・シャピュイ(去年「コジ」でドラベッラを歌った人)、それに加えて昨日「薔薇の騎士」でさんざん好色で低俗な男爵を歌いきったばかりのギュンター・グロイスベックほか、ニコラ・アライモ(超絶巨漢のバリトン)や初めて名を見たJavier Camarenaというテノールが歌いました。また"Young Singers Project"という新人を(たぶん)支援するプロジェクトのメンバーの若手バリトンとメゾソプラノが加わりました。
 全部の歌手について書くと夜が明けてしまいますから、びっくりした話だけまずは書くことにします。
 今夜のコンサートはでドイツ、フランス、イタリア歌曲およびオペラの有名なアリアが取り上げられ、一晩で二晩以上の盛りだくさんでした。
 昨夜見事な元帥夫人を歌ったストヤーノヴァの歌う「オテロ」から「デズデモナ」の祈りのシーンは清冽な声と表現に胸がすっかりあつくなりました。
 シャーデの緻密なシューベルトとR.シュトラウスもすばらしかったものの、彼の高音はやや硬くて聴きづらいものがありました。
 新人のバリトンが「詩人の恋」から抜粋を歌い、暖かい拍手を浴びていました。バリトンというよりバス・バリトンの声で、低音域は非常に聴きがいがありました。将来が楽しみな歌手です。
 それからシャピュイがフォーレとサティーを歌ったのですが、その声は「クリーム色の声」と名付けたいほどなめらかで美しかったです。
 以上が前半で、すでにかなり満腹感がありました。
 しかし、本当のサプライズがあったのは後半でした。
 グロイスベックがシューベルトのハードな歌曲(「プロメトイス」、「ハーデス(冥府)への旅、「羊飼いの嘆きの歌」)を堂々と歌いました。低音の魅力あふれる、しかも大変歌詞の明瞭な歌い方でした。昨日のオクス男爵とはまるで反対の方向で、同じ人がこんなに違う演奏をできるのかと驚きました。
 その後また新人のメゾソプラノ歌手がウォルフのこれまた有名な歌曲で底力を見せつけ、大喝采を浴びていました。
 以上は「前口上」。驚きと「中毒」はその後にやって来ました。
 舞台にやけに小柄でちょっとおじさんっぽい、西田敏行をひとまわりかふたまわり小さくしたようなテノール歌手が出て来ました。私はてっきり日系人かと思いました。本当に小柄な人でした。
 が、グノーの「ロメオとジュリエット」から「太陽よのぼれ!」を歌い始めた瞬間、世界がぐるりとまわって、別世界に連れて行かれました。
 何という美しい声、何という豊かな声!聴いたことのない声でした。どんなにフォルティッシモで叫んでも、全然耳障りにならないのです!こんなテノール、初めて聴きました!たいていのテノールは声が強かったり、声が硬くて聴いていられないのですが、この人は違う!
 感動のあまり叫び出したのは私だけではありません。大喝采にブラヴォーの歓呼。
 この人の名はJavier Camarena, 今しらべたところ、ハヴィエル・カマレーナというメキシコ出身の人のようです。
 人生で初めて出会った、どれほど叫んでも美しく、胸を打たれる声です。
 この人はさらにアライモとロッシーニの二重奏を歌い、その上にトスティの歌曲を一曲歌いました。とにかくこの人は人間ではないと思えるほど凄かったです。
 あとは、アライモという巨漢がロッシーニの有名な「セヴィリアの理髪師」のアリアを歌い、これまた会場が湧きまくり、その間をぬってフランチェスコ・メーリが2曲歌いました。普通だったら、この人が今夜の最大のヒーローなんでしょうけれど、いえいえ、メキシコ人のカマレーナはまだその上を行っていました。
 とにかく、一曲たりとも退屈な曲はなく、誰ひとりとっても最高の歌手ばかりでした。
 どうやらアライモとカマレーナは今公演中である「チェネレントラ」に出演中のようです。「チェネレントラ」は学生時代に一度見て、あまりのつまらさに席を立ってしまった曰く付きのオペラ。バルトリのメゾがお目当て、そしてもし今回この曲を楽しめなければオペラをみるのをぷっつりやめようと思って最終公演のチケットを取りました。
 まだこの後興奮が待っているのかと思うと、体力を回復する必要性を強く意識してしまいました。
 なぐり書きになってしまったので、いずれ修正します。
 今夜はこれにて。興奮で眠れないかも。

追記:
この演奏会、ピアノ伴奏者がただ者ではなく、ジュリアス・ドレイクに比肩するほど最高級のマルコム・マルティノーが歌手を見事に支え、時にはオーケストラよりも激しく弾いていました。あと、アン・ベックマン、サラ・ティスマン(タイスマン、かも)も見事な伴奏ぶりでした。

2014年8月23日土曜日

都会じゃないから

 今日は咳がひどくてかなり苦しいので夕方まで部屋で休むことにしました。

 昼食をとりに同じ通りのすぐ近所のクラウン・プラザ・ホテルに出かけました。けっこう有名なレストランのあるホテルです。

 ホテルは改装され、ずいぶんきれいになったのですが、肝心のレストランが見つかりません。バーがあったのでそこできくと、「レセプションの向かって右側です」と教えてくれたので行ってみましたが、みつからず、ウロウロしていると日本人らしき女性に「こんにちは!」と声をかけられました。こういう状況では私の防衛本能が作動し、"Guten Tag!"と答えて通り過ぎました。当地で日本人あるいは日本人を求めている人と知り合いになって良い経験はあまりありません。それに風邪で体調が悪いので人と話したくなかったのです。

 結局レセプションに行ってレストランの場所をききました。そうしたら

「レストランは今やっていません。6階にできる予定です。」

「ということは今はレストランは営業してないのですか?」

「そうです。」

 仕方がないので雨の中をカフェかレストランを探して歩きました。しかし、看板はあがっているのに中は廃墟(?)だったり、あるはずの店がなかったり。これがベルリンだと半年前にあったものが同じところにある保証はありません。それほど街も店もかわります。けれど、のどかなザルツブルクではそう急速に街はかわらないと思っていました。

 カフェとアジア料理屋が並んでいたのでカフェのほうに入ったら実は両方同じ店でした。よくわからないメニューが並んでいるので一番安全そうな「鶏肉入りやきそば」を注文しました。それと「しぼりたてオレンジジュース」も。

 まず出て来たのは全然しぼりたてではない、ソーダの入ったジュースでした。それから出て来たやきそばはグルタミン酸ソーダの匂いがプンプン。店員さんにきいたら中華系のお店らしいのですが、机の上にはヤマサ醤油が置いてありました。そして割り箸には「おてもと」と日本語で書かれていました。

 やはり次は駅前のウィーン料理店に行こうと決めました。

 帰りに薬局に寄って近医を教えてもらおうとしたら、薬局には鉄格子が!土曜日の営業は12時まででした。

 東京や大阪といった都会で生活をしていると、ベルリンですら不便に思うことがあります。ましてやザルツブルクでは、生活を比較すること自身が無理です。


 



ザルツブルク便り(外国で病気になると)

 ザルツブルクに到着してから5日になりました。そのうち2日間、時差ボケと風邪で完全にダウンして寝込んでおりました。こちらの気候は乾燥していて朝夕は寒く(気温が10度前後まで下がります)、昼間に太陽が照ると30度前後まで気温があがり、びっしょり汗をかいてしまいます。

 旅先で病気になると本当に困ります。これがベルリンならすぐにお医者さんを見つけることができるのですが、何しろザルツブルク。インターネットで調べれば開業医は多数みつかるのですが、日本とは医療システムが違うのでそう簡単にふらりと診療所に行って診てもらえるわけではありません。

 去年お世話になった女医さんが良かったのでそこに電話をしてみようと思ったのですが、診療所と先生の名前がどうしても思い出せません。ということでいわゆる一般医(praktischer Arzt, allgemeiner Arzt などと呼ばれます)を紹介してもらおうと近くの薬局に行きました。

 しかし薬剤師さんは、「わかりません。インターネットで調べてください。」
今度はホテルのレセプションできいたところ、ホテルの「かかりつけ医(Hausarzt)」を紹介して下さろうとして電話を入れてくださったのですが、「夏期休暇中」のようでこれもダメ。結局「ネットで調べて電話してみてください。あと、緊急時は144に電話してください。」

 近医を見つけるのがこんなに面倒だとは思いませんでした。結局オペラに行くのを諦めて(ううう、チケット完売の公演だったので残念!)ホテルで寝ることにしました。

 咳がひどくなるようなら明日赤十字病院か大学病院に電話をして近医を紹介してもらおうと思います。しかし、医療機関は予約制ですのですぐに診てもらえるかどうかわかりません。

 外国で病気になると不安なのは言葉の問題です。私は普段から英語とドイツ語で症状を言えるように練習していますが、それは内科の疾患の場合だけで、整形外科などさっぱりわかりません。

 2年前の9月にベルリンで足を負傷した時は、ホテルのコンシエルジュがすぐに近医を紹介してくれたので即刻診療所に駆け込めましたが、困ったのは「ねん挫」ぐらいはともかく、ふくらはぎが痛い、左足の第1指−第3指の間が折れたのではないかと思うほど痛い、と言うのが限界で、それ以上は説明できませんでした。

 すぐに検査をして骨折がないことを確認した上、麻酔注射をバツン、バツンと2本打ってギプスなみの包帯を巻いていただきました。「あなたはArthroseがありますね」と言われてもArthroseが何かわからず説明を求める始末。ああ、関節症ですか。

 約1週間お世話になり、包帯をはずしてサポータを作ってもらって何とか歩けるようになりました。かかった費用は1000ユーロ以上。検査料やサポータ、靴の底敷を作ってもらってこれだけかかりました。旅行保険には入るべきだとつくづく感じました。

 夏になるとザルツブルクだけでなく、あちらこちらで音楽祭が催されますが、多くは山間部の避暑地だったり、電車もローカル線に乗らないと行けないところです。荷物を持って旅行するのが苦手で、かつ怪我や病気の多い私はとても夏の音楽祭など行けそうにないです。ザルツブルクだけは空港があるので来られたのですが、やはり病気になると大変です。

 旅先での病気には普段からまず「言語的に(少なくとも英語をしっかりと、できれば現地語も学習しておく)」、そして「経済的に(保険をかける)」備えておく必要があります。

 というわけで、せっかく夢のザルツブルクに来たのに、風邪をこじらせて寝込んでいます。明日はお目当ての「薔薇の騎士」の公演があるので何とか出かけたいと思います。



 

 

 

 

2014年8月21日木曜日

あまりの興奮に離人感をおぼえてしまいました。

Twitterからのコピーです。不明の部分を後日追記します。とりあえず今夜はこれで。


 究極の離人感、「ここはどこ?今ここにいるのは私?これは夢?」という不思議な感覚に陥ってしまいました。たねあかししましょう。ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)とグザヴィエ・メストル(ハープ)の演奏会。魂を抜かれました。昨日ブッフビンダーにはがっかりしただけに、今日は良かった!
 
 いずれ詳しく書きますが、二人が出て来た時、メルヒェンの世界から王女さまと王子さまが飛び出して来たのかと思いました。(エルトマンの時もそうでしたが)美しい!見目だけでもあまりにも美しくてもう聴く前からとろーり。最後の曲を聴くまではひたすらハープ王子に聴き入ってました。
 ハープという楽器がここまでの表現力を有しているとはどうしても信じられません。リストの作品ひとつと、スメタナの「モルダウ」をハープが独奏したのですが、もうこれは技術と音楽性の極限まで達していたと思います。正直なところ、後半の2番目のハープ独奏で終わってほしいと思ったほど。
 でも、最後にどんでん返しが。アンコール2曲目はフランス語のオペラから。よく聴く曲なのですがオペラには疎いので曲名がわかりません。(判明したら書きます。)グルベローバ以来の信じがたいようなコロラトゥーラを聴かされ、失神寸前。でも私にはちょっと強烈すぎて疲れました。ああ、今夜は眠れるかしら。
 ねぇ、私は今ザルツブルクにいるのですよね?ずっとドイツ語しゃべっていたよね?まだ離人感が抜けません。