2013年3月29日金曜日

若き日のマリス・ヤンソンス!

仕事で手がいっぱいの時に限って妙にネットで検索して遊んでしまう。そしてびっくりするような素晴らしいものを見つけてそこにはまったりする。

その一例がこれ。

Young Mariss Jansons
(http://www.youtube.com/watch?v=q1Bj7kQaiFk)

1971年、カラヤン指揮コンクールの録画で、当時28歳の若きマリス・ヤンソンスがオーケストラを指導している。先日ご紹介した「老いても心身ともにイケメン・マリス・ヤンソンス!」(http://musiksprache.blogspot.com/2013_02_01_archive.html)
と比較してほしい。

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」で「運命の動機」をどう扱うか両方の録画で話している。もちろん28歳の時は控えめだが。

このコンクールで彼は2位を受賞してカラヤンから助手として招へいを受けたがソビエト政府はそれを許可しなかった。何とも残念な話だ。

いったいこのコンクールで一位になったのは誰だったのだろう?

演奏の後聴衆にインタビューしたら、

「ロシア人(ヤンソンスのこと)が一番だ。すばらしい」という声がさかんにきかれたようだ。

今年の11月は何としてでもヤンソンス指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ公演を聴きに行きたい。(公演は東京だけかもしれないが。)




ドレスデン十字架教会合唱団

目下書かねばならないのにまだ一行も書き始められない小論あり。文献の引用の寄せ集めにしないで自分のことばで書きたいのに書けない。そんな時に限ってNHK FMではドレスデン十字架教会合唱団の昨年12月の東京公演の録音を放送している。困った。:-)

この合唱団は来日するたびに聴きに行っているばかりか、ドレスデンまで少年たちの歌声を求めて赴いたこともある。すばらしい歌声だ。かつてカール・リヒターやペーター・シュライアーが歌っていた少年合唱団だ。指導者のクライレさんの熱心さにも心を打たれる。ただ、ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団に比べて公報活動がやや少ない気がする。


上記の演奏会の大阪公演は、歌声は美しく、作品は厳かで心にしみるものではあったが、広報不足のためか客席はさびしかった。ザ・シンフォニーホールには半分も客が入っていなかったと思う。

しかし大阪の聴衆にも、数は少なくてもどこまでも暖かい拍手を送り続ける人々がいたのが私にとっては救いだった。

東京オペラシティーでの公演の録音を聴く限り、客席は大阪よりはるかにぎやかなようだ。よかった。

ライプツィヒの聖トーマス合唱団にせよ、ドレスデンの十字架教会合唱団にせよ、日本公演で聴衆を集めようとすればどうしても大きな作品、まさに今演奏されるべき「マタイ受難曲」(バッハ)や「ミサ曲ロ短調」(同)を演目にあげざるを得ないだろう。

もともとキリスト教の素地の薄い日本では日頃から聖歌(讃美歌)やキリスト教にまつわる芸術作品に注目する機会が少ないから仕方がないとは思うのだが、年末の公演の時のように、地味なア・カペラの演奏会もぜひ日本で行ってほしいと思う。
興行的には赤字が出るのかもしれないが...

いや、そういう演奏を聴きたければドイツまで行け、と言われるだろうか?

放送を最後まで聴きたいという誘惑を振り切って、仕事(書き物)をしないと間にあわない。せめて録音でもしておこうか。

ああ、こんな日に限って海外ではあちこちで「マタイ受難曲」を演奏していて、そのライブ中継などもあるのだ。う~ん、バイエルン放送でも「マタイ」を今やっているし・・・だめだめ、仕事。

2013年3月25日月曜日

3年半にわたる健康相談、終了

今日は大学の保健センターに「健康相談」に行って来ました。

2009年9月に3年におよぶ休職から復帰する際に、主治医の診断書と産業医(具体的には勤務先の大学病院の医師)の意見書が必要であったため、保健センターに「健康相談」の形で行きました。

復職後半年間は、勤務部署の総務係長同伴の上、月一回健康相談に行くようすすめられていました。さすがに係長の同伴は半年だけで、あとは私の希望で月一回のペースで通っていました。

長期休職の後いきなり復職して、完全に周囲から取り残されてしまってひどく孤独を味わったり、学内事情が大きくかわっていることになかなか気づかなかったりして(外大との合併はさすがに知っていましたが、その実情は全く知りませんでした。)、相当ストレスをためこみました。

カリキュラム上の問題(第二外国語を強制的にとらせることに問題の根があると思う。だからモチベーションの低い学生が増えるのだと思う。)で困ったり、学生の指導で悩んだり、自分の実力のなさに死にたくなったり(これは大袈裟かな。)、家庭の事情(母の介護の問題や夫の転職の問題など)で苦しんだりしました。

そういう中で月一回話をきいていただき、適切な対応法を指導していただいて本当に助かりました。ことにさまざまなリラクセーション法を教わったのは有益でした。

「もうそろそろ健康相談は卒業していいだろう。」と思いつつも結局3年半にわたってお世話になりました。

その健康相談も今回をもって最終回としました。ご担当の教授が定年退職されるからです。

4月以降、また問題が生じた場合はカルテが残っていますので後任の先生のお世話になると思いますが、もうそろそろ大丈夫、独り立ちできるという気が致します。

長い間お世話になりました杉田義郎教授に心より感謝申し上げます。



2013年3月24日日曜日

「すぐそこ」(続篇)

昨日の駄文は、ドイツ人(西洋人?)と私ら日本人ではもののスケールが違うことがあるので、「すぐそこ」と言われても必ずしも信用できない、案外遠いこともある、という話に始まりました。

今日さっそく続篇たり得る話があったので書きます。

夫は一週間前から米国出張でサンフランシスコに行っていました。彼は昨夜サンフランシスコを出発し、目下帰国の途にあります。

航空会社の「運行情報」によると関空到着時刻は3時半すぎで、飛行機の位置を示す図をみるともう北海道の東北ギリギリのところにいます。

ちょうどさきほど母が来て、「健次さんいつ帰ってくるの?」ときいたので、

「3時半すぎ。『もうすぐそこまで』飛行機は来てるよ。」

と答えてしまい、次の瞬間爆笑しました。

場所や距離には心理的要素もあるのですね。体が大きくてコンパスも広いドイツ人には3-4ブロックなんて「すぐそこの角」なんでしょう。:-)



2013年3月23日土曜日

ドイツ人の言うものの大きさや距離、広さに注意!

今回、ハンブルクははじめて訪れた街であったので、よく道をききました。(正確に言うと1979年7月、東京からアンカレジ経由でハンブルクに到着し、そこで友人のお兄さん夫妻のところで朝食を取ったが、街を見なかった。)

「市役所?ああ、すぐその角ですよ。」

(”Das Rathaus? Das ist gleich um die Ecke.”)

なんて言われたものの2ブロック歩いても市役所は見当たらず。結局10分ほど歩いたように思います。

ベルリンでお医者さんに行った時も、ホテルで、

「xxx 通りを渡って左にちょっと。各科クリニックのビルはすぐその角ですよ。」

("Sie überqueren die xxx Straße und gehen ein Stück weiter nach links. Das Ärztehaus ist gleich um die Ecke.")

咳き込みながら雪降る寒い通りを渡り、番地を確認しながら歩きましたが「すぐその角」という距離にクリニックとおぼしきビルはなし。まさか、と思いましたが次の信号の手前まで歩いたら、あった!内科、総合科、耳鼻咽喉科、精神科などの入ったビルで一階は薬局。ここでした。

しかし、xxx通りを渡ってから200メートルは歩いたと思います。寒かったので長く感じたのかもしれませんが、「すぐ」なんて言われると30メートルぐらいを想像してしまいます。

ドイツではこれとおなじような経験を無数にしています。

広さとか距離、大きさに関してはどうもドイツ人と私とでは感覚が違うようです。

「広場」(Platz)なんてことばを甘くみてはいけません。

はじめての滞在時(1980年の悪夢の滞在---東ベルリン警察に6時間も拘留されていた---はカウントしないことにすると、2010年夏です。)よくトラム(市電)に乗ってアレクサンダープラッツ(Alexanderplatz)に買い物に行ったのですが、この広場(Platz)の広さは半端じゃない!

駅を出て、ショッピングモールだと教えてもらった"Alexa"(「アレクサ」)に行こうとしたものの、どこにあるかわからずきょろきょろ。何人かに道をきいたら、広場の端のほうだと理解しました。

さて、広場を端まで歩くのに何分かかったでしょう?もう思い出したくないほど遠かったです。そして、「アレクサ」はショッピングモールなのでありとあらゆる種類の店がデパート以上に立ち並んでいて、歩き疲れて何も買わずに帰りました。

ああ、その後また駅まで戻るのが遠かったこと!

レストランで食事と一緒にミネラルウォーターを注文するのに、200mlでは少ないので「大」をお願いしますと言ったら750ml入りが出てきてしまい、とても飲み切れませんでした。

とにかくピッツァなんてバカでかいし、ケーキも一切れで倒れそうになるほど。

ドイツでは大きさや距離については違った物差しが必要なようです。


2013年3月22日金曜日

ドイツ滞在中最も重宝したもの


移動日を含めて18日という中途半端な期間のドイツ滞在でしたが、大雪にあったり、風邪をひいて気管支炎にかかったりするなどハプニングもありましたが、ハンブルクでは予定外のコンサート参加(トン・コープマンさんとお話できた!)ができたり、オルデンブルク在住の40年来の友人と連日派手な議論(喧嘩ではない。価値感の違う者どうしの衝突でした。)を展開したりスリリングでありました。

さて、今回旅に持って行ったもので最も重宝したものは何だと思いますか?

使い捨てカイロ?正解!しかし、これは普段の旅行(もうドイツの冬の旅はやめます。)ではまず必要ありません。

旅にはこれがないと・・・と思ったものでNo. 1は何といっても iPad mini でした!

ホテルはすべて無線LANがありましたので、問題なく繋がりましたし、MiFi を借りて行ったので駅や空港でも通信できました。

もちろんノートパソコンも持って行きましたし、書きものはほとんどPCでしましたが、iPad mini の手軽さと使いやすさは特別でした。

SkypeはPCのほうでやりましたが、もちろんiPad mini でもできます。

電車の時刻表とか飛行機の運航情報などわざわざPCを立ち上げなくてもすぐ検索できて大変便利でした。PCは立ち上げに時間がかかりすぎ、と言うのも私のPCは古くてパワーがないからなんですけど。

一人旅は楽しく気軽であるとともにけっこうさびしいものもあります。我が家ではおしゃべりがたえないので勉強する時間がなくなるほどです。だから旅先のホテルの広い部屋でひとりじっとしていると言いようもなく寂しくなってしまいました。外が雪あるいは曇天だと余計にうっとうしかったです。

でも、テレビはどのチャンネルも面白くない。かといってオンデマンドの映画を見る気もなし。

iPad miniであれこれ試していたら TuneIn Radio というアプリを見つけました。

最初(3月9日)バイエルン放送のライブ番組(ヤンソンス指揮のバイエルン放送響。前半のランランとの共演は聴かず、後半の「幻想交響曲」に聴き入っていました。)を聴いていたのですが、同じ時間帯にベルリンではアンドリス・ネルソンス指揮のベルリン・フィルハーモニーがモーツアルト、ワーグナー、ショスタコーヴィッチ(6番)という意欲的なプログラムの生中継をやっていて、iPad miniでヤンソンスを、PCでネルソンスを聴くという超絶技に臨んだのですが、さすがに無理でして、ベルリンフィルのほうは同一プログラムの演奏会に翌日行く予定だったので途中であきらめました。実際に行った翌日の同一内容のコンサートは「これを聴けただけでも旅に出てよかった!」と思える満足感いっぱいの演奏会でした。

これをきっかけに何十もの地域放送やらライブストリームを見つけまして、滞在期間中入浴中すらバスルームにiPad miniを持ち込んで(濡らさないように気を付けて)音楽を聴いておりました。

BR(バイエルン放送)、ORF(オーストリア放送)とかNDR(北ドイツ放送)、radio4.nl(オランダの放送局)は以前から知っていてよく聴いていたのですが、音楽だけでなく、ニュースやらショーやらごっちゃまぜでラジオを聴き放題でした。静かな音楽を流しているのでどことも知らず聴いていたら、解説が「?」。ノルウェーの放送局でした。他にもフランス語、イタリア語など多くの言語と音楽に接することができました。

もちろんテレビも見られました。ARDとかZDFもiPad miniで過去の放送を見たり、ニュースをリアルタイムで聞きました。

今回の旅では以前にも増して多文化・多言語共生社会を体験できました。

最初の滞在時(2010年8-9月)、ベルリンの宿がサブ・カルチャーの中心みたいなところ(廃墟タヘレスの近く)で、困ったことにレストランにドイツ料理屋が少なく、エスニック料理店ばかりで食事に大変苦労しました。(私はあまりかわったものを食べないし、多くの食材にアレルギーがあるので、なんだかわからないものは絶対に食べません。)

しかし、今回はドイツ、フランス料理を堪能してきました。和食と中華は食べませんでした。

おっと、iPadの話からはずれてしまいました。

思い返すに、iPad miniを持っていなかったらずいぶん不自由でさびしい旅になっただろうなぁって思います。ホテルのロビーで新聞を読むかわりにSpiegel Onlineを読むとか、無線LANをフルに使った生活ができました。

実は私が帰国した3日後には夫がアメリカに出張で行ってしまいまして、目下家で寂しく暮らしています。しかし、オーディオ一式、iPad, PC, あ、それに新規購入したMacBookAirで気分転換をしています。

しかし、いよいよ小論文の締め切りが近づいて来ましたので明日からは調べものと書き物に集中しないといけません。

今大阪の自宅にいますが、面白いことにベルリンにいる時と環境はあまり変わりません。iPadとPC, それにテレビを使って世界中の放送を聴いています。インターネットのおかげで、どこにいてもたいして変わらない音楽生活ができるのはありがたいことです。

これからはしばらくいくつかの外国語の勉強にこの環境を活かすつもりです。

長々と駄文を連ねましたが、

   「iPad miniはいいよ!」

手が小さく、非力な私にはフルサイズのiPadよりminiのほうが使いやすいです。入力も最初はたどたどしかったのですが、二本指でかなり速く入力できるようになりました。

若者には負けたくないぞ!

2013年3月20日水曜日

とりあえず旅を終えました。

3月15日、無事に帰国しました。

帰路に関しては非常に懸念しました。というのも、北ドイツ~中部ドイツで大雪になり(今も降り続いています。)、私のいたベルリンでも市内交通も一部止まったりしました。それに何よりも不安であったのは帰る直前にドイツ国内および近隣諸国への飛行機が軒並みキャンセルされてしまい、ベルリンからフランクフルトに行けなくなる可能性があったからです。それにドイツ国内で散発的に空港のストがありましたので余計に不安になりました。

悪天候のため国際線も大幅な遅延が生じ、もし私が一日早く3月13日フランクフルト発関空行きのルフトハンザLH740便に搭乗していたら、到着が何と7時間18分も遅れていたことになります。長時間空港で待たされるのは本当に辛いです。

オルデンブルク、ハンブルクとまわり、旅は順調だったのですが、ベルリンで晴天の後いきなり温度が下がり雪になったために風邪をひき、それが悪化して気管支炎にかかってしまいました。ホテルのコンシエルジュに内科医を紹介してもらって診察を受けたものの、最初に診てくれた先生は代診の若い先生で西洋薬よりも植物エキスなど天然薬を好んで使われる方だったのですが、あいにく症状が悪化してしまったので3日後Frau Doktor(女医さん)ご本人の診察の日に行ったら、熱がありますね、炎症が広がっている可能性があるから抗菌剤を出します、そして咳には吸入薬をだしますということで薬が重装備になりました。

おかげさまで咳の発作は減り、ベルリン最後の3日間は仕事(調べものや出版社の方々との話しあいなど)もある程度できましたし、今実力が全世界に認められつつあるグルジア出身の女性バイオリニスト、リサ・バティアシュビリの弾く大変見事なブラームスの協奏曲を堪能することもできました。あ~、あの演奏は良かった!まだ耳に余韻が... バレンボイム指揮のシュターツカペレ・ベルリンも控えめながら素晴らしいサポートをしていました。

ただ、散歩と買い物だけはほとんどできませんでした。とにかく雪のあとは滑るので危なくて歩くのに慎重を要しますし、体調がすぐれなかったので、買い物をする気が全然起きず、文房具(アンペルマン製品!)を少しとキッチン用品、それにオストフリースラント茶とチョコレートを買ってきました。

外国旅行なのにこんなにお土産が少ないのはちょっと悲しいです。おしゃれな服を一着ぐらい欲しかったところです。本は多数欲しいものがあったのですが、重くて持ち帰れない上、航空便で送ると大変な送料がかかるので、通販(出版社の直販および libri.deを使って)で買うことにしました。

あっ、そうだ、シュタイフのセーラー服を来た男の子と女の子のクマのぬいぐるみを買いました。これが一番のお土産かな?とにかく可愛いのです。2010年夏にドイツに行きはじめてから今回で5回目。毎回シュタイフのぬいぐるみを買ってきているのでもう10匹以上になりました。ぬいぐるみは、ちょっとおしゃまな(しっかり気味の)女の子とおっとりした男の子をいつも組み合わせています。(笑)

目下大阪の内科のクリニックで気管支炎の治療を続けながら時差ボケ解消をしています。

3月末締切(建前 :-))の論文があり、まだ一字も書いていないので頑張らねばならないのですが、この疲労状態では集中できません。

来週頑張ろう。

一昨日から私と入れ替わりに夫がアメリカ、サンフランシスコに出張に行っています。彼が日曜日の夜に帰ってきたらようやく二人でゆっくりできるでしょう。でも論文書かねば。

ということで帰国のご報告でした。

ドイツでのさまざまなハプニングについてはまた書きます。

冬のドイツ旅行はもうこれで終わりです。もうドイツの冬に耐える体力がなくなってしまったことを痛感した次第です。年齢的衰えを何よりも痛感させられた旅でした。



2013年3月7日木曜日

ドイツ滞在中間報告


今回の旅行は、あまり体調がすぐれないにもかかわらず強行したためにいくつものトラブルがあった。

最初の滞在地オルデンブルクでは大変な倹約家の友人(40年来の友、4人の子供、3人の孫がいる)と何度となく口論してしまった。とにかく彼女はディスカウントされていない商品は絶対に買わない、薬はジェネリックでないとダメ、タクシーを呼ぶぐらいなら末っ子に運転させてそのお金を彼にあげてほしいなどと言って、時間と体力に制限のある私とは対立しっぱなしだった。

旦那さんの収入だけで4人の子供を育て上げ、大きなログハウスまで建てたのだから、彼女の経済観念はDINKSの私ら夫婦と違う。もっとも私も医療費と母を扶養する費用で毎月自転車操業状態であるが、わざわざチョコレートを買いに行くのにスーパーのチラシを比較検討するなんてことはしない。

ハンブルクの3日間は最初天気に恵まれなかったが素晴らしかった。トーマス・マンの全作品を学生時代に(日本語で)読んだ私にとってこの雰囲気こそ「北ドイツ」である。イメージと現実が見事に一致した。ここでは35年前に憧れた北ドイツの街と言葉を堪能することができた。おのぼりさん丸出しで、観光バスに二回(異なる経路)も乗ってしまった。はとバスにすら乗ったことがないのに。(笑)港町ハンブルクはどこか私の育った神戸と似ている。自由な雰囲気、遠い世界を想像させる港がそっくりなのだ。ああ、また来たいなぁ。

それに音楽会にまで行くことができて、これも予想外だった。聖ミヒャエリス教会でのコンサートの後、トン・コープマン氏と直接話ができて嬉しかった。クラウス・メルテンスの素晴らしいバスソロに涙を流した。

昨日最終訪問地のベルリンに到着した。オルデンブルクやハンブルクに比べると、電車が駅に近づくにつれてグラフィッティ(壁の落書き)が目立ちはじめた。私はこの手の落書きが大嫌いなのだ。以前に3回滞在した旧東ベルリン市の地域では結局全然くつろぐことができなかった。私が「壁」とか「グラフィッティ」を嫌うには特別な理由があるのだが、詳しくは別の折に書きたい。(1980年に西ドイツ人二人と一緒に東ベルリンに行き、壁を近くで見ようとして警察に6時間抑留されたのである。詳しくは後日。twitterにちらりと書いたのでmalte3またはkyoko rikitakeで検索してみてください。)

さて、今回は去年の夏同様シャルロッテンブルク、さらに詳しく言えばクーダム、かつての西ベルリンの中心街に投宿している。これから一週間のあいだゲーテ・インスティトゥートやら国立図書館に通う予定である。

しかし、困ったことにまたしてもハプニングが。

急に暖かくなったためにかえって風邪をひいてしまい、今声がほとんど出ない。週末にはまたマイナス何度(最低マイナス9度とか)の予報が出ている。はたしてもちこたえられるのか?

さらに困ったことに、ホテルにいるのが苦痛でたまらないのだ。いや、ホテルはとっても上等でサービスも最高だ。しかし、その設備に問題がある。一階にはレセプションはなく、ポーターがいるだけ。エレベータで二階のロビーに行き、さらにそこで別のエレベータに乗って上層階に行くようになっている。

ところが、私は異常な高所恐怖症なのである!エレベータは上下と側面全部ガラス張り!しかも建物は吹き抜けになっていて、エレベータから下も上も見える。このエレベータに乗ることを考えただけで私は身震いする。かといって膝関節症がひどくて階段の昇降ができない。普通の人には想像がつかないと思うが、高所恐怖症の私は実際に高いところに立ったときにパニックになるだけでなく、ガラス張りのエレベータに乗ることを考えただけで気分が悪くなる。

というわけで、このホテルから脱出することを試みた。しかし、全額前払いしているので話がややこしい。ホテル側は、連泊だから安くなったので、一週間はやくチェックアウトしても一切返金はできないと頑張っている。

しかし、貴重な一週間をこの気分ですごすのはあまりにも残念だ。というわけで、筋向いのホテル(去年泊まったところ)に引っ越すことにした。明日、向かいのホテルにチェックインする。そのホテルではレセプションの人やコンシエルジュは私を覚えていてくれた!しかし返金不可の現ホテルのことを考えると、ずいぶん無駄遣いになるので憂鬱だ。

ところで今夜は本来なら州立オペラの公演、ワーグナーの「神々の黄昏」を見ているはずだった。いや、実際に見に行った。午後6時開演で一幕を見た。しかし、風邪で体調は最悪、咳が出そうで苦しい。やたら叫び散らすソプラノとテノールはこれまた苦手中の苦手である。終演は何と午後11時30分頃となっている。カーテンコールを含めてその場にいると午前様になってしまう。

これは体調を考えれば絶対に無理なのできっぱりと諦めて休憩時に脱出してきた。ちょっとタクシーでトラブルがあったが、まあ部屋には戻れた。

私にとっての音楽の領域はピアノ、バイオリン、声楽(ドイツ・リートのみ)あたりで、最近オーケストラ音楽、ことに合唱入りの宗教音楽が大変好きになった。またモーツアルトのオペラにもほれ込んだ。

しかし、私は叫ぶソプラノとテノールが苦手である。そこまで叫ばなくても聞こえるのに、と言いたくなる。今日はまともに恐怖のソプラノに当たってしまった。お目当てのミカエル・ペトレンコ(ハーゲン役)が良かっただけに残念だったが、諦めた。

オペラといえば2010年にザルツブルク音楽祭で「コジ・ファン・トゥッテ」と「ドン・ジョヴァンニ」を体験して一発で持っていかれてしまい、完全にはまった。

しかしイタリアオペラは相性が悪いらしく、去年「トスカ」を二幕まで夢中になって見ていたのに、スカルピアが殺害された後の三幕では退屈してしまった。残るはソプラノとテノールだけだったからだと思う。今回オルデンブルクで「ラ・ボエーム」を見て、これも演出が大変気に入ってクリスマスの前と後の世の中の変わりようには感動した。しかし肝心のミミが死ぬシーンではもうすっかり冷めてしまった。たぶんイタリア語があまりわからないから言葉の意味と音楽を関連づけて考えられないためつまらないのだろう。それ以前にプッチーニの音楽は私にはもうひとつピンと来ないようだ。

まあ、当分オペラはモーツアルトとヘンデルだけにしようと思う。え?大阪フェスティバルホールのこけら落とし公演で「オテロ」を見る予定はあるが、これは原作がシェイクスピア。シェイクスピアものはほとんどすべて好きなのだ。オペラはモーツアルトもの、シェークスピア原作もの、それに20世紀の英米の歴史性のあるものが私にはあっていると思う。ジョン・アダムスの「中国のニクソン」は良かった!

というわけで、ベルリン到着早々風邪はひくし、ホテルではくつろげないし、惨憺たる状況であるが、残る一週間、図書館とか出版社に通ってまともに勉強したい。音楽会はあとアンドリス・ネルソン指揮のベルリン・フィルの公演とシュターツカペレの定期(リサ・バティアシュビリがブラームスのバイオリン協奏曲を弾く!)に行くのみである。

これ以上風邪がこじれるとまずいのでそろそろ今夜は寝ることにする。