2010年2月11日木曜日

鳩山弁を奇妙に感じるわけ?

昨日の日記の続きです。

鳩山弁に私が違和感を感じるのは丁寧すぎるからではないようです。

彼が自分の使っている言葉の意味を吟味しているのかどうか問いたくなることがあるからだと思います。

たとえば、2-3日前の、

「~という十字架を負って歩く

なんて表現に私はぶっとびそうになるのです。

ご存知のように、十字架はキリスト教の象徴であり、受難そのものであります。

キリスト教徒でない人が「十字架を負う」なんて言うと意味不明です。鳩山さんは「十字架を負う」という言葉の意味を知って言っておられるのでしょうか?

重い表現をあまりにも軽く使っているのでは?

せいぜい、「重荷を負って」でよろしいのではないでしょうか?

東京工大の助手時代の鳩山さんはどんな言葉を使っていたのか知りたいところです。