2009年10月12日月曜日

たかがコロン(:)、されどコロン(:)

最初から重箱の隅をつつくような細かい話で恐縮ですが、シューベルトの「冬の旅」(Winterreise)の第一曲、「おやすみ」(Gute Nacht)を聴いてかなり以前から感じていたことをひとつ。

恋に破れた男が寂しく町を去って行くのですが、恋した娘への思いを断ち切れず、通りがかりに彼女の家の戸に「おやすみ」と書いてゆく、というおセンチな話で始まります。

この「通りがかりに、家の戸に君宛に『おやすみ』と書いておこう」(Schreib' im Vorübergehen

Ans Tor dir: "Gute Nacht"....)

ここ"Gute Nacht"の前のコロン(:)をきっちり意識して歌っている声楽家がいることに気付きました。

つまり、

Schreib' im Vorübergehen(通りがかりに書こう)

Ans Tor dir (君のために扉に)

の後に本当に聴き取れるか聞き取れないか寸前の短い「間」を置いて歌う人がいて、そのあまりの几帳面さと歌詞に対する配慮に感動しました。

私が今聴いているのはトーマス・グヴァストホフ(Thomas Quasthoff)の古いほうの録音ですが、この人の歌詞の扱いは本当に丁寧です。コロンの後のいわば「引用」、あるいは「台詞」に入る前に僅かな間をとって、さらに"Gute Nacht"(おやすみ)をこれまたごくごく控えめに音色を変えて、いかにも優しく歌っています。

こんなに丁寧に歌うのはクヴァストホフだけかと思ったのですが、マティアス・ゲルネ(Matthias Görne, 10月10日のコンサートに行きました!感想はいずれ。)の古い録音(ブレンデルとの共演でないほう)と、ペーター・シュライアーのリヒテルとの共演盤を聴いてみると、いずれも本当に気がつかないほどですが音色を変えたり、小さな隙間を作っているようです。シュライアー、ゲルネともに一回目の「おやすみ」はかなり明瞭に間を置いているように思います。2度目は一息に歌っているようですが。

ゲルネやクヴァストホフの師匠のフィッシャー=ディースカウの古いバージョンは手元にないのですが、ブレンデルとの共演盤では残念ながら一息で歌っています。フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」は、60年代の録音のほうが私は好きなのですが、今行方不明のためいずれ確認してみます。

ちなみにヘルムート・ホルは露骨なぐらいはっきりと間をあけて歌っています。

こんな小さなことですが、歌を練習する時には歌詞の意味やそこにこめられた想いに思いをめぐらすのは大事だと思います。

私はヴォイストレーニングとして約1年前から声楽の先生に師事していますが、歌詞を味わい、そして音として丁寧に表現することを学んでいます。

ドイツ語は私にとっては本業と直接結びついた言葉ですが、話すドイツ語と歌うドイツ語にはかなりの隔たりを感じます。

ドイツリートを注意深く聴いていると、歌を一曲仕上げるには途方もなく丁寧に練習しないといけないことがわかります。

たかがコロン(:)ですが、されどコロン(:)なのです。

細かい話で失礼致しました。