2009年12月7日月曜日

「第九」の四重唱

私は普段あまりベートーヴェンの交響曲を聴かないのですが、授業の流れで(?)ベート-ヴェンの第九交響曲の第四楽章を年末に聴くことになりました。

そこでシラーの"An die Freude"(「歓喜に寄せて」)の原詩(初稿と後の改訂稿の両方)、さらにシラーをベートーヴェンがかなり改作した「第九」用の歌詞を紹介しようと思ったのですが、いざ訳そうとしてみて愕然。:-)

自分でもよく歌っていたこの曲の歌詞、よく考えるとわからない個所がいっぱいあります。

「歓喜よ、美しき神の閃光、楽園の娘よ
我々は炎にのまれながら..」

何気なく歌っていた歌詞ですが、いざとなるといまいちわかりません。

feuertrunken(火に飲まれて)ってどういうことなんでしょう?Götterfunken(神の火花=閃光)とあるからその火花によろけながら、という意味かな?手元にある格調高い訳では「情熱にのまれながら」となっています。でも、どこから「情熱」が出てくるのでしょう?

とまあ考えていたら夜が明けそうなので、とりあえず授業では特定の人の訳を紹介するのはやめて、私なりの解釈で説明することにしました。

あ~、とんでもない詩を選んでしまったな、と少し後悔。(笑)

ところで、第四楽章、私は「歓喜」のメロディーが低弦に始まり、だんだんと高い音域に移ってゆくあたりがたまらなく好きなのですが、この曲、本当に合唱と四重唱は必要だったのかしらと思ってしまいました。

バス(バリトン)の独唱(テオ・アダム盤2種類とディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ盤)およびテノール独唱によるトルコマーチ(ペーター・シュライアー盤二種類とエルンスト・ヘフリガー盤)は聴いていて違和感があまりありません。いや、トルコマーチのところは、とても「歌」とは言えない書法だと思いますが、上記のテノールの二方は実に上手に歌っています。

ところが、四重唱になると「あれ?」

噛み合わない、調和しない、それぞれのパートの良さが出てこない、といったところで少々フラスト気味。音もそれぞれ拡散してしまったように感じられ、調和を感じません。

四重唱のカデンツァ、これもなんだかみんな違う方向を向いているように感じられ、ソプラノが「ハイC」まで上がるところ、ヤノヴィッツ以外はちょっとうるさい気がします。高い「ド」のところで思い切って音を絞って細い声を出してほしいのですが。

で、この曲、作曲者は合唱を入れるまでは良かったものの、四重唱で失敗していません?

もう何種類かの録音を聴いてみることにします。