私は鳩山さんの談話をきいていると彼の言葉遣いを奇妙に感じることがあります。ことに変なのは敬語表現。
さきほどのニュースで、石川議員が民主党を離党することについて、
「出処進退は本人が<お決め>になる...」
と言っていました。
数日前には、小沢氏について、
「小沢幹事長は<ご自身で>...」
と言っていましたが、これ、日本語として正しいのでしょうか?
鳩山さんからすれば、小沢幹事長も石川議員も民主党の「身内」ですよね?石川議員はまもなく離党するのでもう身内ではなくなりますが、今は一応党員です。
身内に対して「ご自身、ご本人」とか、「お決めになる」と言うものでしょうか?
どうも鳩山さんの日本語、敬語表現に難があるように思うのですが、いかがでしょうか?
言葉尻をとらえて人をこきおろす気はないのですが、普段から言語に関する教育、研究をやっているとどうしても日本語が気になります。
malte@k2r.org
2010年2月10日水曜日
2010年2月1日月曜日
口のあけかた
次のふたつのYouTubeのデータを一回目は音を出して、二回目は「音を出さないで」みてください。
口の動きに注目してください。
(ボニージャックスの歌う「ちいさい秋」)
(テルツ少年合唱団の歌う「ちいさい秋」)
この二つを比べて私は自分がどうして日本語の歌曲をうまく歌えないかよ~くわかりました。
私の口の動きは完全に下のほう(テルツ少年合唱団の演奏)なんです。
母音をよく響かせようとするとどうしても「お」や「う」でくちびるを丸くしてしまいます。少年たちの口はかなり動いています。
ところがボニージャックスの人たちの口元がアップされた時に見ると、「うお~、口が動いていない!」
ためしにボニージャックスの人たちの口元を見ながら真似をしてみました。
とにかく口をできるだけ動かさないで歌う。
・・・できた!
歌のレッスンを受けるようになってから歌手さんの口元が気になってしかたがありません。でも私が一生懸命見ていたのはドイツ人の歌手の口元。
そ~か、日本語はこうやって歌うんだ、と納得した次第。
いつも歌の先生には、「外人さんが日本語の歌をうたっているみたいですよ」と言われていましたが、日本語の歌ではここまで口をあけないのかと知った次第。
しかし、ボニージャックスは「ちいさい秋」、2番までしか歌っていないのが残念。
比較的新しそうな録音で「おお、牧場はみどり」をどうぞ。
「おお牧場はみどり」
復職以来歌の練習ができなくなっていますが、何とかレッスンに復帰したいな。
口の動きに注目してください。
(ボニージャックスの歌う「ちいさい秋」)
(テルツ少年合唱団の歌う「ちいさい秋」)
この二つを比べて私は自分がどうして日本語の歌曲をうまく歌えないかよ~くわかりました。
私の口の動きは完全に下のほう(テルツ少年合唱団の演奏)なんです。
母音をよく響かせようとするとどうしても「お」や「う」でくちびるを丸くしてしまいます。少年たちの口はかなり動いています。
ところがボニージャックスの人たちの口元がアップされた時に見ると、「うお~、口が動いていない!」
ためしにボニージャックスの人たちの口元を見ながら真似をしてみました。
とにかく口をできるだけ動かさないで歌う。
・・・できた!
歌のレッスンを受けるようになってから歌手さんの口元が気になってしかたがありません。でも私が一生懸命見ていたのはドイツ人の歌手の口元。
そ~か、日本語はこうやって歌うんだ、と納得した次第。
いつも歌の先生には、「外人さんが日本語の歌をうたっているみたいですよ」と言われていましたが、日本語の歌ではここまで口をあけないのかと知った次第。
しかし、ボニージャックスは「ちいさい秋」、2番までしか歌っていないのが残念。
比較的新しそうな録音で「おお、牧場はみどり」をどうぞ。
「おお牧場はみどり」
復職以来歌の練習ができなくなっていますが、何とかレッスンに復帰したいな。
2009年12月11日金曜日
見覚えのある顔だと思ったら:樫本大進@ベルリンフィル
ベルリンフィルのコンサートアーカイブ(http://dch.berliner-philharmoniker.de/#/de/concerthall/ )にアクセスして、最近のコンサートの模様を見ました。
コンサートマスターの席に座っているのはアジア系のとても好感度の高い青年です。
そのコンマスの顔がクローズアップされるたびに、「見覚えのある顔だな。ごく最近見かけたような顔だ」と思っていたら、何と樫本大進でした!
今年ベルリン放送交響楽団の西宮公演の時にベートーヴェンの協奏曲を演奏したのを見ました。
10年ぐらい前に将来性の高い若者として日本でも有名になった樫本大進ですが、今や世界的なバイオリニストです。
Googleで検索したところ、新聞記事がヒットしました。
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200906180441.html
なるほど、ベルリンフィルのコンマスに就任したのですね。
上記の西宮のコンサートの時、弾き終えてからも万雷の拍手が鳴りやまず、樫本さんは何度も舞台に引っぱり出されていました。
いや~、樫本さんの好感度はとっても高いです。
これで有料のベルリンフィルのDigital Concert Hallにアクセスする楽しみがひとつ増えました。
ベルリンフィルの公式サイトの入り口はこちら。
http://www.berliner-philharmoniker.de/
コンサートマスターの席に座っているのはアジア系のとても好感度の高い青年です。
そのコンマスの顔がクローズアップされるたびに、「見覚えのある顔だな。ごく最近見かけたような顔だ」と思っていたら、何と樫本大進でした!
今年ベルリン放送交響楽団の西宮公演の時にベートーヴェンの協奏曲を演奏したのを見ました。
10年ぐらい前に将来性の高い若者として日本でも有名になった樫本大進ですが、今や世界的なバイオリニストです。
Googleで検索したところ、新聞記事がヒットしました。
http://
なるほど、ベルリンフィルのコンマスに就任したのですね。
上記の西宮のコンサートの時、弾き終えてからも万雷の拍手が鳴りやまず、樫本さんは何度も舞台に引っぱり出されていました。
いや~、樫本さんの好感度はとっても高いです。
これで有料のベルリンフィルのDigital Concert Hallにアクセスする楽しみがひとつ増えました。
ベルリンフィルの公式サイトの入り口はこちら。
http://
2009年12月7日月曜日
「第九」の四重唱
私は普段あまりベートーヴェンの交響曲を聴かないのですが、授業の流れで(?)ベート-ヴェンの第九交響曲の第四楽章を年末に聴くことになりました。
そこでシラーの"An die Freude"(「歓喜に寄せて」)の原詩(初稿と後の改訂稿の両方)、さらにシラーをベートーヴェンがかなり改作した「第九」用の歌詞を紹介しようと思ったのですが、いざ訳そうとしてみて愕然。:-)
自分でもよく歌っていたこの曲の歌詞、よく考えるとわからない個所がいっぱいあります。
「歓喜よ、美しき神の閃光、楽園の娘よ
我々は炎にのまれながら..」
何気なく歌っていた歌詞ですが、いざとなるといまいちわかりません。
feuertrunken(火に飲まれて)ってどういうことなんでしょう?Götterfunken(神の火花=閃光)とあるからその火花によろけながら、という意味かな?手元にある格調高い訳では「情熱にのまれながら」となっています。でも、どこから「情熱」が出てくるのでしょう?
とまあ考えていたら夜が明けそうなので、とりあえず授業では特定の人の訳を紹介するのはやめて、私なりの解釈で説明することにしました。
あ~、とんでもない詩を選んでしまったな、と少し後悔。(笑)
ところで、第四楽章、私は「歓喜」のメロディーが低弦に始まり、だんだんと高い音域に移ってゆくあたりがたまらなく好きなのですが、この曲、本当に合唱と四重唱は必要だったのかしらと思ってしまいました。
バス(バリトン)の独唱(テオ・アダム盤2種類とディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ盤)およびテノール独唱によるトルコマーチ(ペーター・シュライアー盤二種類とエルンスト・ヘフリガー盤)は聴いていて違和感があまりありません。いや、トルコマーチのところは、とても「歌」とは言えない書法だと思いますが、上記のテノールの二方は実に上手に歌っています。
ところが、四重唱になると「あれ?」
噛み合わない、調和しない、それぞれのパートの良さが出てこない、といったところで少々フラスト気味。音もそれぞれ拡散してしまったように感じられ、調和を感じません。
四重唱のカデンツァ、これもなんだかみんな違う方向を向いているように感じられ、ソプラノが「ハイC」まで上がるところ、ヤノヴィッツ以外はちょっとうるさい気がします。高い「ド」のところで思い切って音を絞って細い声を出してほしいのですが。
で、この曲、作曲者は合唱を入れるまでは良かったものの、四重唱で失敗していません?
もう何種類かの録音を聴いてみることにします。
そこでシラーの"An die Freude"(「歓喜に寄せて」)の原詩(初稿と後の改訂稿の両方)、さらにシラーをベートーヴェンがかなり改作した「第九」用の歌詞を紹介しようと思ったのですが、いざ訳そうとしてみて愕然。:-)
自分でもよく歌っていたこの曲の歌詞、よく考えるとわからない個所がいっぱいあります。
「歓喜よ、美しき神の閃光、楽園の娘よ
我々は炎にのまれながら..」
何気なく歌っていた歌詞ですが、いざとなるといまいちわかりません。
feuertrunken(火に飲まれて)ってどういうことなんでしょう?Götterfunken(神の火花=閃光)とあるからその火花によろけながら、という意味かな?手元にある格調高い訳では「情熱にのまれながら」となっています。でも、どこから「情熱」が出てくるのでしょう?
とまあ考えていたら夜が明けそうなので、とりあえず授業では特定の人の訳を紹介するのはやめて、私なりの解釈で説明することにしました。
あ~、とんでもない詩を選んでしまったな、と少し後悔。(笑)
ところで、第四楽章、私は「歓喜」のメロディーが低弦に始まり、だんだんと高い音域に移ってゆくあたりがたまらなく好きなのですが、この曲、本当に合唱と四重唱は必要だったのかしらと思ってしまいました。
バス(バリトン)の独唱(テオ・アダム盤2種類とディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ盤)およびテノール独唱によるトルコマーチ(ペーター・シュライアー盤二種類とエルンスト・ヘフリガー盤)は聴いていて違和感があまりありません。いや、トルコマーチのところは、とても「歌」とは言えない書法だと思いますが、上記のテノールの二方は実に上手に歌っています。
ところが、四重唱になると「あれ?」
噛み合わない、調和しない、それぞれのパートの良さが出てこない、といったところで少々フラスト気味。音もそれぞれ拡散してしまったように感じられ、調和を感じません。
四重唱のカデンツァ、これもなんだかみんな違う方向を向いているように感じられ、ソプラノが「ハイC」まで上がるところ、ヤノヴィッツ以外はちょっとうるさい気がします。高い「ド」のところで思い切って音を絞って細い声を出してほしいのですが。
で、この曲、作曲者は合唱を入れるまでは良かったものの、四重唱で失敗していません?
もう何種類かの録音を聴いてみることにします。
2009年12月5日土曜日
クリスマスソング
「聖夜」の録音は数え切れないほどありますが、純粋な少年の声もすばらしいです。
http://www.youtube.com/watch?v=4puLybRGSAw&feature=related
(ライプツィヒ・聖トーマス教会少年合唱団の演奏)
ボーイソプラノの独唱のはいったこの演奏も清らかで癒されます。
http://www.youtube.com/watch?v=XNHPGp9CyL0
(「マリアは茨の森を」)
http://
(ライプツィヒ・聖トーマス教会少年合唱団の演奏)
ボーイソプラノの独唱のはいったこの演奏も清らかで癒されます。
http://
(「マリアは茨の森を」)
2009年11月22日日曜日
ブロムシュテットのホスピタリティー
さきほど、ザ・シンフォニーホール(大阪)で行われた、ブロムシュテット指揮、チェコフィルハーモニーの演奏会から帰ってきました。
プログラムはドヴォルジャック、交響曲第9番、「新世界から」とブラームス、交響曲第一番というかなりヘビーなものでした。
チェコフィルのコンサートの日程をみると、11月20日東京公演に始まり、岩国とか千葉県松戸市などの地方を巡り、28日名古屋公演まで休みは24日たった一日です。
すごいタフなスケジュールです。
オケのメンバーは、観光を楽しむ時間などないでしょうね。
そんなにタイトなスケジュールなのに、ブロムシュテットは元気で「若く」、とても驚きました。
82歳なのにカクシャクとして、身のこなしも軽やか、足取りもしっかりしていました。
私はオーケストラの世界には疎くて(今もなお疎いです)、いろんな作品を聴いたり、同曲異演を聴き比べるということをほとんどやったことがありません。
その中でブロムシュテットは例外で、30年ぐらい前によく聴いたものでした。
私は大学院生時代、附属図書館でアルバイトをしていました。(時給500円!)、窓口業務のほか、返却された本を閉架式の書庫に戻すという仕事があり、その時地下の書庫でブロムシュテットの演奏を大音響でかけて流していたことを覚えています。
私の世代ではオケものといえばベーム、カラヤンなどを聴いて来た人が多いと思います。
しかし私の場合意外にもブロムシュテットを聴いて育ちました。だからシュターツカペレ・ドレスデンの音は私の中では「デフォルトの響き」なのです。ブロムシュテットのブラームスの第四番などは、私の脳みそに擦りこまれています。
それゆえか、今30年ぶりにブロムシュテットを聴くとある種の「懐かしさ」と「アット・ホームさ」を感じました。
本日座っていたのは正面一階前から5番目の中央でした。
その席からは指揮者の表情もよく見ることができましたし、コンマスの指使いもしっかり盗むことができました。
演奏は、ブラームスの終楽章などもう生命の賛歌という感じまで盛り上がりました。
指揮者が82歳とは信じられない演奏会でした。
誰もが第四楽章の「ソドーシドラーソ~」を待っているとすれば、私は第二楽章でソロバイオリンの入るところを胸をときめかしつつ待っています。もちろん「ソドーシド」も大好きですよ。
第二楽章は、第一楽章のハ短調からかなり遠いホ長調です。重苦しい第一楽章の後、少しは日の光の届く第二楽章、私はこの楽章が大好きです。
アンコールはブラームスの「ハンガリー舞曲」から嬰ハ短調を一曲。
ブロムシュテットは「翁」という称号は似合わない、万年青年だと思います。
ホスピタリティー満点で終演後、オーケストラが退場してしまった後も鳴り止まない拍手に応えて舞台に出てきて挨拶していました。そのとき、ティンパニ奏者一人しか残ってない舞台で「おい、メンバーはどこへ行った?」という身振りをして観衆を笑わせていました。
外にはサインを求めるファンの長い行列ができていました。
私もお願いしたかったのですが、冷たい雨の中だったので諦めて帰りました。
ブロムシュテットの人柄がよくあらわれたコンサートでした。
とても幸せな気分で帰宅することができました。
昨日体調がすぐれずブーニンのリサイタルに行けなかったのは残念でしたが、今日のために体力を蓄えておいて良かったです。
またブロムシュテットをぜひ聴きたいです。
どうか元気で長生きしてください!>ブロムシュテットさん。
プログラムはドヴォルジャック、交響曲第9番、「新世界から」とブラームス、交響曲第一番というかなりヘビーなものでした。
チェコフィルのコンサートの日程をみると、11月20日東京公演に始まり、岩国とか千葉県松戸市などの地方を巡り、28日名古屋公演まで休みは24日たった一日です。
すごいタフなスケジュールです。
オケのメンバーは、観光を楽しむ時間などないでしょうね。
そんなにタイトなスケジュールなのに、ブロムシュテットは元気で「若く」、とても驚きました。
82歳なのにカクシャクとして、身のこなしも軽やか、足取りもしっかりしていました。
私はオーケストラの世界には疎くて(今もなお疎いです)、いろんな作品を聴いたり、同曲異演を聴き比べるということをほとんどやったことがありません。
その中でブロムシュテットは例外で、30年ぐらい前によく聴いたものでした。
私は大学院生時代、附属図書館でアルバイトをしていました。(時給500円!)、窓口業務のほか、返却された本を閉架式の書庫に戻すという仕事があり、その時地下の書庫でブロムシュテットの演奏を大音響でかけて流していたことを覚えています。
私の世代ではオケものといえばベーム、カラヤンなどを聴いて来た人が多いと思います。
しかし私の場合意外にもブロムシュテットを聴いて育ちました。だからシュターツカペレ・ドレスデンの音は私の中では「デフォルトの響き」なのです。ブロムシュテットのブラームスの第四番などは、私の脳みそに擦りこまれています。
それゆえか、今30年ぶりにブロムシュテットを聴くとある種の「懐かしさ」と「アット・ホームさ」を感じました。
本日座っていたのは正面一階前から5番目の中央でした。
その席からは指揮者の表情もよく見ることができましたし、コンマスの指使いもしっかり盗むことができました。
演奏は、ブラームスの終楽章などもう生命の賛歌という感じまで盛り上がりました。
指揮者が82歳とは信じられない演奏会でした。
誰もが第四楽章の「ソドーシドラーソ~」を待っているとすれば、私は第二楽章でソロバイオリンの入るところを胸をときめかしつつ待っています。もちろん「ソドーシド」も大好きですよ。
第二楽章は、第一楽章のハ短調からかなり遠いホ長調です。重苦しい第一楽章の後、少しは日の光の届く第二楽章、私はこの楽章が大好きです。
アンコールはブラームスの「ハンガリー舞曲」から嬰ハ短調を一曲。
ブロムシュテットは「翁」という称号は似合わない、万年青年だと思います。
ホスピタリティー満点で終演後、オーケストラが退場してしまった後も鳴り止まない拍手に応えて舞台に出てきて挨拶していました。そのとき、ティンパニ奏者一人しか残ってない舞台で「おい、メンバーはどこへ行った?」という身振りをして観衆を笑わせていました。
外にはサインを求めるファンの長い行列ができていました。
私もお願いしたかったのですが、冷たい雨の中だったので諦めて帰りました。
ブロムシュテットの人柄がよくあらわれたコンサートでした。
とても幸せな気分で帰宅することができました。
昨日体調がすぐれずブーニンのリサイタルに行けなかったのは残念でしたが、今日のために体力を蓄えておいて良かったです。
またブロムシュテットをぜひ聴きたいです。
どうか元気で長生きしてください!>ブロムシュテットさん。
2009年11月17日火曜日
Görnes Schubert(ゲルネのシューベルト)
日本ではまだ発売されていないようですが、harmonia mundi から最近レリースされたマティアス・ゲルネのシューベルト歌曲集Vol.4にあたる"Heliopolis"をイギリスから取り寄せました。
このCDにはDVDがついていて、ゲルネとピアニスト、インゴ・メッツマッハー(Ingo Metzmacher)
による録音の様子や両者のインタヴューが収録されています。
ゲルネのリサイタル(10月10日、大阪いずみホール)には先月行ったばかりですが、このCD(+DVD)も買って良かったと思います。彼の飾らない、素朴な姿を見る思いがします。でもその素朴さは限りなく深い思考に裏打ちされていることもわかりました。
リサイタルについてはまだ感想文を書いていないのですが、一言で言うと、「女の愛と生涯」を男性が歌っても、声質さえあっていれば、別におかしくないし、けっこう聴きごたえがあると思いました。(他のシューマン歌曲については後で書くつもりです。)
「男が作詞し、男が作曲した曲を男がうたう」という観点からこの曲集と取り組んだらしいですが、ゲルネの柔らかなヴェルヴェットの手触りを感じさせるような声に「女の愛と生涯」は意外にもあっていたように思います。
リサイタルでびっくりしたのは、この人、体を上下左右ありとあらゆる方向に伸ばして歌うことでした。すでに今年5月のベルリンフィルの演奏会で「エリア」を彼が歌ったのを見ていたので予想はしていましたが、ものすごい体の動かせぶりでした。バレエよりもよく動いている?(笑)
揺れ動くというより伸縮自在の体から声が全方向に放射されるような錯覚に陥ってしまうほどでした。それほど声がよく広がるのでした。
さて、CDのほうですが、まだ全部聴いていませんが、DVDは見ました。
ゲルネの話し声は実はけっこう高くて、話し声からすると「テノール」ではないかと思えるほどなのです。でも、実際の歌ではバス・バリトンですよね?これがまた不思議。
ピアニストとの打ち合わせも「そこまでやるか!」と思うほど入念です。
DVDに収録されているのは「春の想い」("Der Frühlingsglaube")という曲なのですが、この曲、実は私が歌のレッスンを受けるようになって(といっても、まだ一年ちょっと前なんですが:-))最初に手がけたドイツ歌曲です。
「春の想い」は数ヶ月やってみましたが、結局完成させることができず、ペンディング状態になっていました。
私は、仕事に復帰して新たな曲を練習する余裕がなくなったところで、ちょうどこの曲に戻って来たばかりです。キッチンで夕食の用意をしながら、"Die lineden Lüfte sind erwacht.."と小声で歌っています。(笑)
「一筆書き」するような冒頭のメロディーラインとか、"Nun, armes Herz, sei nicht bang!"(「さあ、希望の乏しい心よ、恐れないで!」と自分の心にやさしく話しかけるようなニュアンスを表現できませんでした。
(なお、「希望の乏しい」は超意訳です、普通は「貧しい、哀れな」です。私はここを冬の間、氷や雪に閉ざされた自然同様、あわれにも、希望が乏しくなってしまったわが心」と解釈しました。「やっと春が来て万物が花開き、すべてがあらゆるところで創造をはじめる、だからおそれずに心を開いて!」と語りかけているように私は感じます。)
ゲルネは体を大きく動かしながらメロディーを作ってゆきます。こっちまで一緒に踊りながら歌いたくなるほどです。
声楽のレッスンでは、たった二つの音をつなぐだけなのになぜ何度もやり直ししなきゃいけないんだろう、なんて思うこともしばしばだったのですが、歌を完成させるというのは途方もなく難しいということを理解しました。フレーズひとつにしても何十回も練習してもうまく歌えないことがありました、いや、あります、と現在形にしておきましょう。
ゲルネの歌詞、響きに対するこだわりはDVDを見ているとよくわかります。
歌うことの難しさ、その練習の地味さを痛感させてくれるDVDでした。
しかし、この「ゲルネ踊り」、真似をし始めたらやめられません。明日DVDを見ながら一緒に体をゆすって歌ってみようっと。:-)
このCDにはDVDがついていて、ゲルネとピアニスト、インゴ・メッツマッハー(Ingo Metzmacher)
による録音の様子や両者のインタヴューが収録されています。
ゲルネのリサイタル(10月10日、大阪いずみホール)には先月行ったばかりですが、このCD(+DVD)も買って良かったと思います。彼の飾らない、素朴な姿を見る思いがします。でもその素朴さは限りなく深い思考に裏打ちされていることもわかりました。
リサイタルについてはまだ感想文を書いていないのですが、一言で言うと、「女の愛と生涯」を男性が歌っても、声質さえあっていれば、別におかしくないし、けっこう聴きごたえがあると思いました。(他のシューマン歌曲については後で書くつもりです。)
「男が作詞し、男が作曲した曲を男がうたう」という観点からこの曲集と取り組んだらしいですが、ゲルネの柔らかなヴェルヴェットの手触りを感じさせるような声に「女の愛と生涯」は意外にもあっていたように思います。
リサイタルでびっくりしたのは、この人、体を上下左右ありとあらゆる方向に伸ばして歌うことでした。すでに今年5月のベルリンフィルの演奏会で「エリア」を彼が歌ったのを見ていたので予想はしていましたが、ものすごい体の動かせぶりでした。バレエよりもよく動いている?(笑)
揺れ動くというより伸縮自在の体から声が全方向に放射されるような錯覚に陥ってしまうほどでした。それほど声がよく広がるのでした。
さて、CDのほうですが、まだ全部聴いていませんが、DVDは見ました。
ゲルネの話し声は実はけっこう高くて、話し声からすると「テノール」ではないかと思えるほどなのです。でも、実際の歌ではバス・バリトンですよね?これがまた不思議。
ピアニストとの打ち合わせも「そこまでやるか!」と思うほど入念です。
DVDに収録されているのは「春の想い」("Der Frühlingsglaube")という曲なのですが、この曲、実は私が歌のレッスンを受けるようになって(といっても、まだ一年ちょっと前なんですが:-))最初に手がけたドイツ歌曲です。
「春の想い」は数ヶ月やってみましたが、結局完成させることができず、ペンディング状態になっていました。
私は、仕事に復帰して新たな曲を練習する余裕がなくなったところで、ちょうどこの曲に戻って来たばかりです。キッチンで夕食の用意をしながら、"Die lineden Lüfte sind erwacht.."と小声で歌っています。(笑)
「一筆書き」するような冒頭のメロディーラインとか、"Nun, armes Herz, sei nicht bang!"(「さあ、希望の乏しい心よ、恐れないで!」と自分の心にやさしく話しかけるようなニュアンスを表現できませんでした。
(なお、「希望の乏しい」は超意訳です、普通は「貧しい、哀れな」です。私はここを冬の間、氷や雪に閉ざされた自然同様、あわれにも、希望が乏しくなってしまったわが心」と解釈しました。「やっと春が来て万物が花開き、すべてがあらゆるところで創造をはじめる、だからおそれずに心を開いて!」と語りかけているように私は感じます。)
ゲルネは体を大きく動かしながらメロディーを作ってゆきます。こっちまで一緒に踊りながら歌いたくなるほどです。
声楽のレッスンでは、たった二つの音をつなぐだけなのになぜ何度もやり直ししなきゃいけないんだろう、なんて思うこともしばしばだったのですが、歌を完成させるというのは途方もなく難しいということを理解しました。フレーズひとつにしても何十回も練習してもうまく歌えないことがありました、いや、あります、と現在形にしておきましょう。
ゲルネの歌詞、響きに対するこだわりはDVDを見ているとよくわかります。
歌うことの難しさ、その練習の地味さを痛感させてくれるDVDでした。
しかし、この「ゲルネ踊り」、真似をし始めたらやめられません。明日DVDを見ながら一緒に体をゆすって歌ってみようっと。:-)
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